Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

夏の夕餉のイサキ

2012-06-28 20:38:10 | 
講談社の刊行物に「講談社の食手帳」というシリーズがあって、これがコンパクトな文庫サイズなのに写真が鮮明で大きく座右の図鑑として役に立っている。この中の2巻目は「魚の目利きになれる本」というタイトルがついている。

海水魚、淡水魚、貝類などの多種類の水生動物の解説が楽しく、あまり魚屋では馴染みのないような「かいわり」という鰺の仲間で伊豆半島沖で釣れるすこぶる美味な魚、水が透明な岩礁の浅瀬に潜んでいる「ぎんぽ」みたいな珍魚、はたまた磯釣りの最中に外道として上がる黒くヌメリの強い怪魚「アイゴ」等の解説項目など迄あって時々開いていると食指南の面でも役に立つ楽しい本である。

「ぎんぽ」などは「舌平目」などとおなじで形が捉えどころがない魚だが、この本によると「ぎんぽ」は「あなご」と同様に天ぷらの種としては高級とのことだ。

真鶴半島には小さな隠れ海岸がいくつかあって「尻掛」という変な名前の場所がある。
ここは崖を降りるという厄介な難所のせいか一般の釣り人が少なく、水色の美しさは抜群だ。ここの膝が立つ程度の石の隙間に餌の青イソメをつけて置き竿をしておくとこの「ぎんぽ」が入れ食いになるのを思いだした。この本でさりげなく触れている「ぎんぽ」のすり身を薩摩揚げ風にすると美味という箇所を覚えておいて、夏の休みには「ぎんぽ」を釣って薩摩揚げにでも挑戦したい気分になっている。

梅雨時分から夏にかけて特別に旨味が増す近海の魚には「イサキ」「タカベ」「マゴチ」などが筆頭にあげられる。「まごち」などはその相貌からして惣菜料理向きではないから、一般の魚屋でお目にかかることもない。どうしても入手したくなったら小田原の「魚国」渋谷の大手デパ地下でシェアを占める「出川」のような大手の魚屋へ出向くしかない。「イサキ」「タカベ」はその点ポピュラーに出回っているから、これからの季節には平凡な近所の魚屋でも調達しやすい。

今日は仕事も休みで久しぶりの自炊夕飯を思案する。中性脂肪の少ない食事を心がけているとスーパーにおける物色視線はどうしても肉売り場よりも魚売り場に傾いてしまう。
いつも寄っている「道の駅」風なスーパー「わくわく広場」を物色していたら、「カツオ」「ワカシ」「イサキ」の刺身などが並んでいる。「ワカシ」は鰤のジュニアクラスでこれは淡白すぎて物足りないからパスにする。

春先によく食べた「カツオ」にも飽いたので、お造りのフォルムと切れ身の色艶が素晴らしい「イサキ」に購入を決める。30センチ弱の食べ頃サイズが440円ということで「美味い」「安い」という大人の味覚路線にふさわしい夕餉の材料になった。
付け合せには胡瓜とワカメの酢もの、茄子の生姜焼き、トマトスライス、納豆が揃ってこれに「イサキ」のお造りが加わったものだから、一層夏めいた夕餉になったみたいだ。


梅雨の晴れ間

2012-06-24 10:04:25 | 自然
夏至きぶん 花に充ちたる 我らあり (新)

夏至の日の休日は郊外にある自然公園をそぞろ歩いてみた。4両編成の私鉄電車が時々公園の桜木立の向こうを横切って行く。
公園の外周には満開の紫陽花、真ん中は菖蒲畑、大きな公園は六月の花々で溢れている。花を近くで感じるしばしの幸せ気分、一年も半分まできたのだという嘆息と喜びの同居。

横浜でジャズボーカルLPを特上モノラル装置で聴く会

2012-06-17 21:10:45 | JAZZ
横浜のJR関内駅に近いジャズのライブハウス「FAROUT」の隙間時間を融通してもらって久しぶりのジャズレコード鑑賞セミナー風のイベントを開くことになった。ソフトではドクター桜井、佐々木正武さんといった心底ジャズボーカルの魅惑を具体的に体得している達人が控えているし、ハードでは欧米のモノラル全盛時代のよき歌心を最適に鳴らす為のビンテージ・オーディオシステムに熟知した日置、北嶋、出口さんといった諸先輩も参加するので鬼に金棒の心境だ。

店のオーナー村尾さんは大著「ジャズ詩大全」というスタンダードソングの由来や翻訳で知られる知る人ぞ知るピアニストである。この日は村尾さんの楽しい即興的解説も期待できそうだ。ハード面とソフト面の両方に通暁している企画者の自分としては194~50年代の愛すべきボーカリストの吐息や呟きを実在以上にリアル再生することを狙っていて時を経たボーカルが少しもかび臭く、古めかしいものではないことを実証しようと思っている。

皆が持ち寄ってくる貴重なオリジナルLPには懐かしいシンガーが満載、リイ・ワイリー、ペギー・リー、ドリス・デイ、ダイナ・ショア、ジュリー・ロンドンといったいずれも甲乙つけ難い名花の競演に期待が高まってくる。

この日用意する臨時モノラル装置はスピーカーがウエスタンのWE555ドライバーに小型ホーン14A(アメリカレプリカもの)RCAの真空管アンプ、アナログプレーヤーにはトーレンス、エラック等定評のベルトドライブ型、カートリッジはGEのバリレラ針というモノラルをふさわしく鳴らす為に考慮したものばかりである。以下に概要を列記しておく。

7月8日(日)午後3時~6時   JR関内駅南口下車3分 FAROUT

会費 1500円 1ドリンクケーキ付

定員30名 申し込み希望者は当ブログ宛にコメント願います。


国立 SINGS

2012-06-15 18:17:21 | JAZZ
木曜はたいていオフ日になるから、昔から馴染んでいるエリアへと電車を乗り継いで散歩に出かけるようにしている。亡くなった漫画家畑中 純さんの最後のちょっと前のブログを読むと、動脈瘤が決壊する数日前の小田急線の事故による余波を受けた満員電車における苦しい体調不良をこらえている描写を読んでいるとこちらまで油汗が滲んでくるようで切なくなる。

自分の狭心症が発作しはじめた5年前にも似たような冷や汗の出ることがしばしばあった。当時自営していた四谷3丁目の事務所を出てほぼ1キロ程度先の地下鉄丸の内線四谷駅まで、帰宅の為に新宿通りを歩く機会が多かったが、これが100メートル程度歩くと息が苦しくなって立ち止まってしまうという健脚自認者としては異常なシーンを度々迎えることになった。いま思えば心臓の基幹動脈の一本が塞がり始めてこれが二年後の夏の発作へと結びつく兆しだったようだ。カテーテル治療と予後のクスリ治療を重ねた節制のせいか?歩行時の苦痛なども忘れるようになって、それからは歩くということへの喜びは前よりも深まってきて暇さえあればクルマで遠出してもついでに歩くということを忘れないようにしている。

今回の散歩は久しぶりの中央線国立界隈そしてその北側に位置する小平付近を選んだ。西国分寺駅で友人のクルマに同乗させてもらう。そこからは思いつきNAVI役を買って梅雨晴れの多摩・武蔵野の郊外情緒に浸りたい思いでアドリブめいた場所探しのクルマ徘徊を重ねる。

そんな矢先の奇遇は前から一度は寄ってみたかった国立市内にあるカフェ「SINGS」に出会えたことである。府中の医療センター沿いの都道を抜けて国立の街へ入って大学通りに近接した交差点で信号待ちをしていたら、なんと!気にかけていた「SINGS」のベージュ色の瀟洒な店構えが飛び込んできた。即寄ってみることで一致する。端正な古典家具で統一した店内に控え目な音量のジャズボーカルが流れていて心地よい。カナダの本格男性シンガー、マイケル・ブブレのDVD収録映像ものなども流している。
こちらが年期の入ったジャズファンということを知ってオーナーは、アナログLPのヘレン・フォレスト、リー・ワイリーといった1950年代までの名花達の歌をとりだして聞かせてくれる。焙煎コーヒー、手製バナナケーキの美味も加わってよい午後の時間が流れる。更に因縁が深いのは、偶然寄ったこのお店にここ二年ほど親交が途絶えている吉祥寺「メグ」の寺島靖国さんが滅多にない電話をしてきたことだ。こちらの来店を主人が伝言してくれたせいで、電話を主人と交代して寺島さんとも瞬間的に会話を重ねる羽目になった。足が遠のいているこちらの薄情を言外になじっているようだが、寺島さん特有の人なつこさも健在で近々に吉祥寺で蕎麦でも食べようということになった。

国立を後にして立川の砂川付近からめざす都下唯一の楽園的花園「森田ガーデン」内にある民家蕎麦店「松根」は定休日で昼食を逃すことに。かわりにガーデンの未亡人が手製しているカモミールティーを喫しながら、味のあるガーデニング論をしばし拝聴することになった。これからの季節は向日葵、百合の諸種が夏空を彩ることでこのガーデンにはいつも自然の喜びが満ちている。

漫画家 畑中純 死去

2012-06-13 14:28:08 | その他
夜勤が明けて早朝の空をみていたら薄日が射している。梅雨の小休止といった好天気だ。気まぐれに温泉銭湯めいた所でさっぱりしたくなって、たまに立ち寄る東海大学前駅の丘にある「さざんか」へ行く。10時からのオープンを待って一風呂浴びてそのあと畳敷の休憩室にてゴロリと寝そべっていたら、気がつくと時計は12時半を廻っている。家に戻って雑事をこなしたあとにパソコンの玄関を開けてみたら驚愕の記事が飛び込んでくる。

漫画家畑中 純の訃報記事だ。心臓病の予後は良好だと思っていたら、腹部の動脈が破裂したらしい!今年の春は恒例の大磯や調布の画廊における展覧会がないと聞いていた。深い縁というものではないが、四谷三丁目の旧「音の隠れ家」の空間をそのままモデファイして引き継いだ「喫茶茶会記」が大阪在のジャズ画家、山賀さんの展示会を開催したときにご夫婦で立ち寄られた折に話が弾んで以来の縁である。

我が家では畑中さんの木版画になる、招き猫とリアル猫が向かい合うという、ユーモアと力感に満ちた油が乗っている時期の作品を玄関の壁に相変わらず掲示している。また英デッカ製コーナースピーカーの頭上にも、昨年秋に調布の「みるめ画廊」で行った展示会に都下に住む女友達が購入して、その後我が家へと返送されてきたいわくつきの細密ペン画も不可思議な畑中純的抒情感で季節を彩ってくれている。
天衣無縫な悪戯小僧の感性を漫画や木版画で爆発してきた畑中さんだが、道半の62歳で果てるのはさぞかし無念きわまりないことだと思う。これからは毎年作っていたとてもビビッドなカレンダー作品、その最終ページの表紙裏に一品づつ手描きしていた猥画風純情絵画を見ることもできなくなってしまう。今日はこの即製美人の肖像をスピーカーの前で開いて、好きなトランペッター、ケニー・ドーハムのくすんだバラード「マイ・アイデアル」でもかけて古めなジャズの投げやりっぽいムードを好んでいた漫画家 畑中純さんへの手向けにしたい気分である。