Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

オムライスや親子丼など座間のB級グルメ

2013-02-27 08:18:09 | 

ものは試しと思って初めて自宅から相武台前駅までを歩いてみた。途中の脱線があるけどおおよそ30分かかる。同じ小田急が走っている座間駅までは20分くらいの所要時間だ。しかしこちらの座間駅コースは坂のアップダウンが多すぎる。「天台」などと命名された旧地名の謂れが納得できるようないつも喘いでしまう道だ。舗道も狭いせいか通過車両からの圧迫感もつよい。昨日歩いたコースは平坦な新開地風道路で広々として眺望もよい。

途中にはいくつかグリーンスポットへの入り口がある。先日のブログに登場した「県立座間谷戸山公園」のメインの入り口は、やはりこちらの通り沿いにあるようだ。しばらくいじっていないコルネットの1番ピストンのバネを修理したら、どこか大きな公園の人気がない適地を探してみたいものだ。もう少し春めいた気候になってきたら実行することを思いつく。伊勢秀一郎さん直伝のロウソクの灯を消すみたいな微かなロングトーンの練習ならば、公園に憩う人へのはた迷惑にもならないだろう。

相武台前駅近くにある黄色の踏み切り遮断機が遠くの視界に入ってくるあたりで、素人っぽい店舗を見つける。福祉施設が運営する付属店舗のようだ。「きづきcafe」という店名でお昼のランチメニューの誘導表示板にさそわれる。ここで防寒厚着を一旦緩めて一休みする。500円の均一献立では色彩に目を奪われた「オムライス」がとても美味そう。「長寿卵」というプレミアム玉子を使っている。中身のケチャップご飯を覆った玉子はふわふわしてとろりとしている。甘いお菓子めいた香りも漂ってきて実に美味い。ほんとうは固めに仕上げた玉子焼きに、やはり固めなご飯を長円形に型抜きした昭和の昔風なオムライスが食べたいのだが、これはこれで現代風に満足できるものだ。それにしてもトマトケチャップの大胆な注ぎ模様には驚いた。アンフォルメルの絵画みたいである。ボーズ301スピーカーからは有線のジャズが流れている。「いつか王子様が」とか「星への願い」みたいな曲を聞きながら食後のコーヒーを啜る。近くで練習してからここで一服休憩するのも悪くない場所だと思いながら店をあとにする。

玉子で思い出したが、「池久ベーカリー」のある座間・立野台近くには「善知鳥(うとう)」という小さな居酒屋がある。ここもランチをしているが、ここの親子丼(煮干ミニラーメン付600円)をたまに食べに出かける。ここには風呂敷に印刷されたという棟方志功の女人像の優れものが飾ってあって、その描かれた女人の豊頬とモウブ色の背景配色に目を奪われながら食する親子丼の美味も忘れがたい。五年住んだ伊勢原では野菜等の原材料には恵まれたが、蕎麦店以外の街中の普通食堂で舌鼓を打つような小さな幸せには恵まれなかった気がする。

ビュッフェのクルマ絵本

2013-02-25 12:16:29 | 
ベルナール・ビュッフェが色々なクルマを描いている中古絵本を半日散歩の途中で手にいれた。ビュッフェが描いたジャズLPのジャケットイラストではエラ・フィッツジェラルドが歌っているバーブレコードからリリースしたものを2枚持っているが、ビュッフェはジャズ以外にもクルマが好きだったことを彷彿とさせる素晴らしい絵本である。スイスのモーリス・ガルニエ出版という版元から1985年に発売された洋書だ。タイトルは「L’Automobile(自動車)」と自筆で素っ気なく題されたもの。

1925年の「デラージュ グランプリ」から始まって1980年の「フェラーリ」まで欧米のスポーツカー、セダン、コンパクトカーが30種類に亘って描かれている。背景を粗略化してモノトーン処理する描出法はいつものビュッフェの他作品と共通する非情感ともの哀しさが漂っている。どこか南仏らしい避暑地の海岸、自動車レースの競技場、ガソリンスタンド、ブルジョア風館のガレージなどをスケッチ場所にして描き溜めたものだろうか。第二次大戦中の車種はさすがに登場しないが、絵としてはクラシックカーの範疇に入る戦前期の車種を描いたものがいずれも美しく楽しい。


あとでオールペン処理したと想定される黒と黄の対比も鮮やかな「BUGATII 50」これなどは昭和年号に換算すると昭和10年(1935)のものらしい。モスグリーンのコンバーチブル車はやはり昭和12年(1937)の英国製「MG」だ。表紙を彩る緋色のスポーツカーは同じ英国製の「MOGAN」(1950)である。戦争の後遺症なのか、たまたまフランス人的視野へ収まらなかったのか不明だが、戦後すぐのビュイック、プリマスなどゴージャスなアメ車はけっこう登場するが、ドイツ勢はメルセデスもVWも皆無でありポルシェが二回登場するくらいのものである。この洋書が横浜・伊勢佐木町の田辺書店で1000円だった。こういうものが発掘できることこそ古本漁りという趣味の醍醐味があるのだと痛感する。

これを購入してから斜め向かいの「りせっとカフェ」にてナチュラルなアサリの歯応えも美味い「クラムチャウダーセット」500円で締めることにする。半日散歩がいつもこうしたよい後味で終わってくれたらいいのだが。

9回裏のさよならヒット風

2013-02-22 10:29:16 | クラシック
レコファンの町田店があと三日(24日)かぎりで閉店になる。ここが撤退すると町田散歩の折に中古CDやLPを物色できる店はなくなってしまう。またささくれ立った無味乾燥の郊外タウンへと加速するのかと思うと淋しくなってしまうものだ。ユニオンもあるのだが、こちらはジャズ系が殆ど死に体の様相でどんどん売り場が小さくなっている。

メダルト・ボスあたりの「現存在分析」を一知半解に通暁した視点で、隣り合っている客を「現存在分析」すると、その顔相や骨相はいかにもクラブジャズ乃至半グレならぬ半ジャズ相貌めいた町田風類型を感じる。デフレと非消費性向、おまけにダウンロード社会の加速現象という社会変化もある。店側の苦慮も半端じゃないと思う。たしかにターミナルにひしめいている相当数の若者にはJポップファンはいても、ジャズ系などは極小なのだろう。単価も低い。売り上げは多分前年割れに間違いない。一人前の高い賃借料も想像できる立地だ。こう不景気ではでかい面積など維持できるわけがない。悲鳴が聞こえてきそうである。そこで元零細社長は効果は無理だけど一助になればという気持を抱いて最後の餌漁りとコーヒー粉の特売品の買出しを兼ねて町田へ向かう。

やはり期限をビルの入り口で表示しているPOP広告のせいか?平日にもかかわらずお客はどのジャンルにも多い。レコファンではLPのレア盤を発見するのは難しい。ジャズにしてもクラシックにしてもその多くは国内プレス品だ。たまに海外盤が混じっているが、それも1980年代以後に発売されたジャケ裏にPOSコードのバーがプリントされた再発品である。とうぜん魅力を感じないものだから、足早に通過することが多い。

CDに関してはインポート盤の在庫にも力をいれていたせいか、けっこうよい買い物ができたと思っている。閉店告知を見てから三回ほどやってきてもCDではどちらのジャンルにしてもよい収穫に恵まれている。最近では国内のTDKが発売した古楽器チェロ奏者、鈴木秀美が演奏する「ドメニコ・ガブリエリ チェロ作品全集」などが代表例である。新しく到着した古いバイタボックススピーカーでよく聴いているこの中の「無伴奏チェロによるリチェルカーレ」第2番等はレコファンの気まぐれ徘徊が招いた最良の出会いと思っていつも感謝している。さて補充に力が入っていない様子のジャズコーナーを諦めて、いつもパスするクラシックLPコーナーをめくってみた。バッハやベートーベンのLPはボックスものを含めて在庫の数も多い。気力は減退気味ながら、ふと目を止めると、よく目につくありふれたCBS発売ではないグレン・グールドのコロムビア盤が現れた。

これは珍しい。バーンスタインが指揮したベートーベンのピアノ協奏曲第4番だ。それもモノラル録音の方である。年譜を調べていないが、相貌から推測するとグールドがブラームスの間奏曲集(インターメッゾ)を録ったころと同じ肌艶の張り具合である。1957年頃だろうか?バーンスタインも若い。コロムビアはステレオ導入が早いが、この頃はモノとステレオ盤を別々に発売していた。このLPはコロムビアのモノラル表記であるML5662が印字してある。スタンプはグレーの6アイズで、溝の彫りもあるから正真正銘のモノラルということだ。

よいLP収穫には恵まれなかったレコファンだが、定価を1680円に付けている。まんざら無知な鑑定ではないが、都心のすれたレコード屋さんならこの盤質程度で5000円は付けるだろう。野球で喩えると9回2アウト、ランナーを二塁に置いて三遊間に強襲安打を放ったみたいな快感である。さらば町田レコファン、機会があったら渋谷や大森にも行くからね。という境地である。

「雨水」のジュリー・ロンドン

2013-02-21 08:49:28 | JAZZ

二月初めの温かさはどこへ行ってしまったのか?綻ぶ途中にある梅の小さな蕾も困った様子だ。梅の花芯に蜜を乞いに飛来してきたペアーのメジロは、それでも春の訪れを喜色に満ちた細かい囀りで応えている。二十四節気の「雨水」は雪が雨に変わる時季を喩えているがそれが過ぎても寒気は去っていかない気配である。
昨朝の大山に連なる低山は夜半の雨が雪に変わったせいで、舞っていた粉雪が麓の方にまでたっぷりと覆っている。温暖な伊勢原・秦野地方としては滅多に見ることがない雪化粧の山景色を眺めながら座間へ戻る。

仮眠後のはっきりしない空を見上げるコーヒータイムは、ジャズ耽溺者による「雨水」時期の選曲である。気分でジュリー・ロンドンのリバティー時代の企画シリーズの人気盤として名高い「CALENDER GIRL」を選んでみる。1956年という輝ける旬のジュリー・ロンドンだから、ジャケットを飾るピンナップの美肌も顕わなる各種肢体写真の質感は、特別に金をかけた制作が可能だった時代にふさわしい厚手なビニールコーティング仕様の初期盤LPでこそその臨場性も発揮されるのだろう。残念ながらこの時期のジュリー・ロンドンの初期盤LPは「ハー・ネーム」の1・2、「アットホーム」「ミッドナイト」くらいしか持っていない。あとのジュリーは全てセカンド・イシューかそれに併せたCDでこれもその類のBGM用ストックである。

ジュリーはこの中で「4月の思い出」「メンフィス・イン・ジューン」「9月の雨」のような各月にふさわしい恋歌をしっとりと歌っている。このレコードに時々目が行くのもジュリーの露出度ばかりではなく、こうした良いバージョンに引き寄せられるからだ。このレコードにはジュリーの旦那さんだったボビー・トループが作ったお洒落な曲も公平に二曲ほど選ばれている。10月と2月である。男性コーラスを従えたミュージカル調の「THIS OCTOBER」と「FEBRUARY BRINGS THE RAIN」というちょっと鬱っぽい曲だが、好みは後者である。やはりアメリカにも「雨水」めいた時期があるのだろうか、ジュリーの声も湿り気をたっぷりと含んで、短く過ぎる二月の恋心を切なげに歌っているようだ。

恋の歌はどうしても届かない心情を描写するものが多いけど、今度はリー・ワイリーがだいぶ大年増になってから吹き込んだオーディオファイルの「バック・ホーム・アゲイン」というデモセッションでも取り出してみよう。その中には大好きな「SPRING WILL BE A LITTLE LATE THIS YEAR」や「IF I LOVE AGAIN」みたいな曲が満載しているからだ。こうした曲でも聴きながら季節はちょっぴりと春めいてくるのだろう。

ポトフ日和

2013-02-15 20:24:26 | 
連休の最終日は神保町で古本でも漁ってついでに音楽ソフトでも物色しようと思っていた。起き掛けにパソコンで天気予報を開いたら東京・神奈川地区は雨または雪の予報とある。午後からは特に悪くなるとのことだから散歩を取りやめることにした。傘をさしながらの古本の物色はとても気色が悪いものだ。ついでに余り品で構成してみたラジオ風装置のモノラルシステムにAM/FMチューナーの中古品でも追加してみたくなって秋葉原へも足を伸ばそうと思っていたのでなおさらである。諦めて日替わりにTさんからのバイタボックスシステムをエイジング稼動させる一日をめざすことにする。

独居用の小さな冷蔵庫を調べたら、外へ食べに出なくても済むギリギリ程度の食材があった。パンも冷凍してあるから、珍しくポトフを作ることにした。ポトフなら作りおいても便利だし体も温めてくれそうである。相模ハムの荒挽きポークウインナがちょうど在庫していたので、メインの肉代わりとする。野菜はジャガイモ、人参、玉葱、椎茸を具材にする。封をきっていないグレープシード・オイルの大瓶もあったが、保守的にいつも使っているダンテというイタリア製安物のオリーブオイルで具を炒めることにした。添加調味には塩、黒胡椒、バジル粉末、固形コンソメ、白ワインなど必須品が珍しく完備してあった。アク抜き、煮込み中の火力調節にも神経を使ったせいだろうか、円やかな味のポトフが完成して安心する。トーストパン、ポトフ、小さな「サン富士」という林檎をデザートにした朝・昼の兼用食事にやっと漕ぎ着けた。


午後は読書とヒアリングをくりかえす。知己のビンテージオーディオの碩学者「いぼたろう」さんがバイタボックスの不明名称についてMIXI日記でご教示してくれた。MIXIに倦んでしまいログインさえ覚束なくなってしまったが、「いぼたろう」さんの仰られる輸入元、今井商事によるアッセンブリイ箱説には合点がいった。舶来品をイデアルタイプとしてだけ追っている極東日本のフェティシストだったら、そのような事実によって欠損感覚や瑕疵的心情に苛まれてしまいノイローゼになるような人もいるのだろう。

箱の裏側は素地のままの米松材、フロントとサイドはベニヤ合板につき板のウオールナット化粧を張ったものだ。よくみると往年の日本的実務臭も香ってくるスピーカーだと思う。しかしバスレフ開口部の異常にも思える四角い大サイズぶりなど日本サイドだけの設計案で決まったとも思えない箇所もあるから不思議である。

今日もエラックのミラコードプレーヤーでコロンビアのモノラルLPをかけてみる。サミー・ケイのムードミュージック集やジョー・スタッフォードのビックバンドものなどだが、端正な顔に反して押し出しのよい油っけも解像力も兼備したバランスのよい再生音が流れることに唸らされる。かって二年ほど付き合った国産の銀箱に収納した604Eの濃厚音よりも、同じソースが格上に変貌しているようだ。よい年になっているのだからオーディオは卒業したいが、これではしばらく卒業できそうもないと思う瞬間である。