Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

寺島靖国との靴談義

2018-11-16 06:31:08 | ラジオ亭便り
ジャズやオーディオに就て書いている寺島靖国さんとの付き合いはおよそ40年になろうか?吉祥寺のジャズ喫茶「メグ」もすでに代が変わってしまった。昭和13年生まれの寺島さんも80才を超えてどんな境地に達しているのか?時々気になることがあって先日も久し振りに電話をしてみた。滅多にかけない電話の声色で私の識別が一発でついているようだから、当節増えている「認知症」高齢者には縁遠い明晰性は健在の様子である。

昨年は9月に吉祥寺東急の中にある神田須田町の「まつや」分店で蕎麦を食べて、駅ビルのカフェで互いの持病のことや近況について雑談を交わした。それからあっという間に一年が過ぎて、今回も都内用事の折に吉祥寺で会おうという話が起こった。

コーヒーが高い「カフェラミール」での談義は共通した知己の消息、読書傾向の情報交換に花が咲く。その中でも面白いのは世俗次元でとかくその気儘な生き方に後ろ指が立てられ易いような「メグ」後期に登場した出たがり屋のHさんの変転人生模様を語る形容、高名なジャズ評論家のIさんに死が近づいていた頃の生活状況、などの描写にはさすが文章家として鍛錬された方ならではの雑談の妙味を覚える。
昔から寺島さんとは会った瞬間にお互いの服飾の一端について鋭利とユーモアを交えた寸評を交わしあうことにしている。

今回は靴がテーマだ。私は困窮老人の例に漏れず最近はABCマートの店先にあるようなありふれた人工皮革製品のウオーキングシューズを愛用している。そこで何を評されるか?わかったものでないので警戒して仕舞ってある本革シューズを取り出して吉祥寺に向かった。アメリカ製のカジュアルタイプながら皮の艶が赤ワインを彷彿させるオーソドックスなお気に入りの靴だ。一方で寺島さんが履いているのは青いキャンバス地の白いゴムが施されたズック靴だ。ズック靴を指差して「無理して藤村女子だね」とジャブを浴びせる。

するとこちらへのカウンターがすかさず帰ってくる。皮靴を指差して「いいけどさ、これはもうAー7だよ」。オーディオの世界に熟知していないと分からない答えである。あのボイスオブシアターと銘打たれたアルテックランシング社の大型スピーカーの喩えだ。つまりはもう古いということである。この答えを聞いてたじろぐ年齢ではないけど、まだまだ寺島さんは、ミンコフスキーが言っているところの「生きた現実との接触」を80才になっても日々重ねているのだと、妙なところで感心してしまった。
営業ご案内 11月17日(土) 16時〜19時 11月24日(土)寺島靖国を囲む放談会 16時~ 18時 2ドリンク必須。二次会は近所のジャズ喫茶訪問と中華街での簡素食事

神保町古本祭り

2018-11-06 12:32:06 | ラジオ亭便り
カフェを臨時休業日にして神保町の古本祭りへ出かける。前日3日の好天が恨まれるような小雨混じりの曇天日だ。雨が本降りにならぬことを祈りながら靖国通りを三省堂辺りから神保町交差点へ向けて歩き出す。小雨にもかかわらず古本祭りの最終日は見物客でごった返している。

目玉の仮説店舗の陳列書籍を物色する。目が眩むような膨大な本の中にお目当ての本を探す。それもリーズナブルな値段で掘り出す快感が古書祭りの醍醐味だ。今回もそんな喜びを味わえる数冊の本に出会えた。中野重治短編小説集「眺め」中村汀女句集「都鳥」畑中純、アルミトランクケース入り 限定春画集「月光」大阪市立美術館、根津美術館他編集「美濃古陶」等である。



この日の極めつき優品は中村汀女の昭和26年初版「都鳥」に尽きる。スワン堂古書店さんの出品からゲットする。通常価格1500円の半額だ。中村汀女が昭和期日本を代表する俳句の大家であるくらいの予備知識は高校時代の教科書で知っていたが、俳句門外漢の自分がそうした大家の初版単行本を手にするのはこれが初めて。戦後の質素な印刷用紙にせめて表題だけでも贅沢しようと外箱のタイトル部分が銀箔用紙に印字されているまことに地味な本にすぎない。

しかし中身を取り出してびっくりする。小倉遊亀がこの本の為に素晴らしく懇切な装丁と挿絵を担当しているではないか。銀色の表紙に描かれた色絵壺の艶やかな彩色挿絵に目を奪われてしまう。これで買いは決まったが、更に魅力を高めているのはこの句集の四季に区切られたコンテンツの節目に描かれている小倉遊亀の見事な挿絵である。梅、土筆、白菜、どれもこれも感動を呼ぶ絵筆の冴えが充満している。仕事盛りの年齢が為せる業だろうか。

中村汀女の戦後東京生活を詠んだこの句集の良質な叙情性はちょうど映画に喩えるなら、我々が小津安二郎から感じる空気と同質なものを感じる。小倉遊亀の高級箸休め的挿絵を味わいながら、中村汀女の 嗜み深い言葉の正統的な綾織りを倍にして愉しむ。隠然たる市井生活の快味を感じる瞬間である。