Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

パエリアとミネストローネで音の同窓会

2011-10-30 20:10:21 | JAZZ
十数年前に渋谷で本業の片手間に開いていたイベントスペースは「UNISON」という音楽用語に因んだ名前だった。これが四谷に移転して「音の隠れ家」になってその後伊勢原にてささやかな隠棲寓居の中に「音の隠れ家」の残り滓で時々遊んでいる。そのときの縁で交遊する人に呼びかけて久しぶりの旧交を温めようということになって、11人がわざわざ遠路を乗り継いで日向薬師まで訪ねてきた。

日本一といってもよいジャズレコードと本格オーディオの達人、アンティックライトの達人、WEの超ど級SPを家庭の居間でものにしている達人、管球アンプ製作の達人、池田敬氏最期の直弟子であらゆるビンテージが自在にこなせる達人、テキスタイルの達人、皆さんはさりげなく穏やかなのにすごい達人ばかりだ。ほんとは一癖も二癖もある連中が、それも男だけの無粋の中で少年みたいに音楽をバックに飲み食いしながら、雑談する。これが面白い。食材を用意してKさんがお得意の魚貝パエリア、自分はトマトベースのミネストローネを早朝から仕込む。ワインも珈琲もたっぷりある。Kさんの仕込んだパエリアがとてもカラフルに補色のアクセントがよくて思わず写真ネタにしてしまった。イカ、鱈、海老、アサリなどを補うパプリカ、ケッパー、オリーブ、ミニトマトの装いがとてもサフランライスに合っている。大きな電子プレートを2個使って炊飯、自分のミネストローネもアルミの大型鍋にて煮込む、いつも多人数時に悩む塩加減が今日は成功して鍋の底には明朝の一人前くらいだけが残った。

ビンテージの達人Hさんが持ち込んできたアナログプレイヤーがことのほかデッカのコーナースピーカーの持ち味を発揮させた。自分が持っているフォンタナ盤の45回転EPマイルスの「死刑台のエレベータ」もRCA赤盤のハンガリア四重奏団のモーツアルトK421なども潤い豊かに音場を広げてくれるのに、音の輪郭は鮮明に浮かぶ。Hさんによるとアメリカエンパイアのプレイヤーの回転ベルトをアグファ(ドイツ)のテープに替えて素晴らしく音離れがよくなったらしい。談笑していても音がボケない理由はHさんの弁に根拠があるのかもしれない。きちんと調整が済んでいるアナログはCDに優るという証拠を一同で納得する。男の手料理に舌鼓をうち雑談する。こうした会をまた年明けにでもしてみたくなる楽しい一日が終了した。


ハゼ釣りのちジャズ日和

2011-10-27 10:17:56 | JAZZ
数日間、時雨もようの天気が続いて欲求不満気味だったが、ここ二日は秋らしい好天気になった。遊び友達のA君とは10代以来の横浜っぽい交遊が続いている。彼は父親の倒産のあおりを食らってかなり早くから家業を助けていた。免許も早くから取っていて彼の運転する商業バン車のトヨタタウンエースにもよく乗せてもらって方々へ出かけたものだ。昨日はちょうど彼の住む横浜南部の海沿いのニュータウンでトランペットの金井豊さんが出演する恒例の地域イベントに一緒に行こうと誘われていた。

会場へ行く前の隙間時間が絶好のハゼ釣りタイムとなった。金沢八景の平潟湾はクルマの往来が煩いから河岸を変えようと追浜に近い深浦湾を選んで同行する。近くにいた漁師さんの話では未だ海の温度は21℃らしい。これならハゼも深い場所には落ちていないという意見で一致する。小型の漁船が靄ってある遊歩道沿いの桟橋がしばしの釣り場になる。昨今の環境はハゼ釣り一つでも入れ食いなんて事は稀になってしまった。ところがである。昔みたいな澄んだ体色のハゼが餌を落とすとプルプルっと当ってくる。二時間で30匹の良い型のハゼを釣って溜飲を下げることになった。お目当ての唐揚げの南蛮漬けを数日後には食べていつも本の中で羨ましい思いをさせられている天国在住の江戸前流儀の池波正太郎さんあたりに一泡吹かせてやろうとほくそえむ一時になった。

このところ、ずっと貧果だった釣りだが、案内したA君の目利きを讃えライブ会場を目指す。60歳以上の居住者がすごい勢いで増えているニュータウンの町おこしみたいな企画で今回が5回目だ。毎回聞きに行くのもモノ好きだが訳がある。PAを殆ど使用しない場所で演奏が進む過程でこのトランペットという金管楽器の生き物ぶりが手にとるように見えるからだ。プロっぽいライブハウスではそうはいかない。ミキサーをいじる担当者が再生音にお化粧をかけるから、終いまでその人の耳が選んだ音に支配されてしぶしぶ苦行の数時間を過ごす羽目に陥ることがしばしばある。金井さんは屈指のスタジオミュージシャン、話術とラッパ演奏の加減がとても上手いから聴衆を飽きさせない。昨日も映画やラジオ放送の黄金時代にヒットした時の流れがあっても風化されない曲をたくさんサービスしていた。


イントロ付近で吹いた秋の代表曲「枯葉」では今日の音はどこか難渋していて痩せているなと思った。ところが「知床旅情」とあの有名な唱歌「早春賦」の音階進行の類似性をジジババ連に向かって話してまた吹く、そんなことを重ねているのが丁度関取の四股踏みみたいで、コンチネンタルタンゴの名曲「奥様お手をどうぞ」「追憶のテーマ」橋田ノリヒコのフォークソング曲「風」など中盤にさしかかれば、トランペットの音は艶も乗る。粒立ちも豊か、伸びきる高音の清澄感、いつもの金井さんらしい復調した音調に揃いぶみを齎すのだ。アンコール曲にA君の女友達がリクエストした「ゴッドファーザーのテーマ」などは絶好調で金管楽器が特別に有機的な生き物だということをあらためて知らされることになった。

野草の持ち味

2011-10-23 15:22:40 | 自然
借家の敷地はとても広くて手に負えない。竹薮に囲まれた北東側の敷地は管理が行き届かない分だけ得たいの知れない野草がはびこる。そんな野草では春先の蛇イチゴの花、秋の赤まんまも良いが荒地野菊のようなモーブ色も仄かな小菊も深まっていく秋を感じさせる趣のある花である。

先日、読了した棚橋 隆「魂の壷 セントアイビスのバーナード・リーチ」という味わい深い本にはまるで古代ギリシャの哲人のような叡智の言葉を吐く90歳のリーチの詩的な箴言がいくつも堪能できる稀なる良書だ。その一節に二回ほど引用されたリーチの言葉を思いだす。「現代のばらはよくない。昔のばらがいい。私は野ばらがすきだ」セント・アイビスというイギリス南西部にある海沿いの港町付近の駅には駅舎を仕切る柵の傍に、この野ばら(Rosa Canina)が零れるように咲き乱れていて異郷の地に4年にわたって滞在した棚橋さんの心を慰めたようだ。我々が時々飲むハーブティーにローズヒップという種類がある。酸味のつよい独特な味だがこれはイギリス人がドッグ・ローズといって特別有り難味もなさそうな蔑称で呼ぶこの野ばらの秋になる実から採ったものらしい。ありふれた雑草に近似した花、ばらでも菊でもよい。これらの花に反応する感性がリーチの作った壷や皿に描かれる抽象的な図柄に凝縮していることが想像できるいかにもリーチらしい民芸精神が溢れるフレーズだ。


この雑草が覆う敷地には南に面した道路の方にミカンの木が二本ある。だいぶ前から園芸対象から外れて放置されてきた前住者が植栽した庭木みたいなものだ。たまにまぐれで実がなっても雑草に養分を持っていかれて実の大きさも数も望めない木だった。この木の幹から伸びる枝を毎年、剪定してみたせいか?今年は初めて20個くらいの青い実が成っているのに今朝方やっと気がついた。12月になれば黄色く色づいた種類不明なこの柑橘を賞味できる楽しみが待っている。ミカンの木に隣接して数年前に植えていた明日葉の苗も手入れ不在で雑草に囲まれているが、幹がしっかりと根付いているから簡単にはしおれそうもない。冬篭りを準備しているのだろうか。花蕾をたくさんつけているのを眺めるのは初めての体験だ。色彩による鮮やかな対比はないものながら、淡い緑が素晴らしく美しい。久方の雑草地に潜んでいる草花の動きを眺めて秋を感じる休日である。

御茶ノ水界隈に

2011-10-15 11:18:22 | JAZZ
伊勢原駅から新百合ヶ丘駅まで快速急行に乗って、そこから多摩急行に乗り換えると地下鉄で都心に直通するということがようやく理解できた。綾瀬行きの千代田線経由で新御茶ノ水駅に辿りつく。順天堂病院の眼科に入院しているジャズ畏友のドクターSさんを見舞うことと駿河台下付近の気晴らし散策という土曜日の午後である。

聳え立つ病棟の受付ロビーはごった返している。高齢化社会が現実になって団塊の世代もますます老境を迎える訳だから、今後は治療難民が増える時代になることは間違いないとロビーの活況を見て思った。早朝の5時付近に寝床で読んでいた棚橋隆さんの「魂の壷 セントアイビスのバーナード・リーチ」という最晩年のリーチ訪問記ともいうべき傑作本の一節を思い出す。その中にはリーチの陶芸分野以外の周辺アーティストの余話が絡んできて面白い。現代アートをすこしは齧ったことがある人ならば記憶に入っているバーバラ・ヘップワース、ベン・ニコルスン、クリストファー・ウッドなども登場するが、その中で興味を惹かれた画家がアルフレッド・ウオリスとブライアン・パースのことだ。棚橋さんによるとウオリスは幼少時から帆船の乗り組み員として壮年を迎えて21歳年上の妻が亡くなってから船の絵を描き始めた画家だ。全く無名の老人画家の才能を広めたのがセントアイビスを訪問したベン・ニコルスンだったらしい。棚橋さんはこの素朴で多色を使用しない画家の荒れ海を航海する帆船を描いた傑作「ラブラドールへの旅」とロンドンのテイトギャラリーで接したらしい。貧乏そのもので救貧院へ入れられることを恐れていた画家は老衰してペンザンスの救貧院施設で1942年にその生涯を閉じたとのことである。順天堂病院の資本制的楼閣を眺めながら本の中に登場するリーチが作ったという、ウオリスに捧げた陶板製の墓銘碑の心情が横溢するデザインを思い出し、自分も片足を突っ込んでいる老境にも思いを馳せる羽目になった。

ちょうどお見舞いで一緒になった神楽坂在のTさんと御茶ノ水駅で別れてこの夏にオープンしたジャズ喫茶「GRAUERS」に寄ってみる。店主の古庄さんはジャズの三大レーベルの一つであるリバーサイドの完全ディスコグラフィーをものした研究家として知る人ぞ知る方だ。大昔に千葉は稲毛駅の近くにあった「CANDY」を訪問したことがあった。現在の「CANDY」というオーディオとアバンギャルドジャズに力を注いでいる店は元夫人が経営していて別ものらしい。店は明治大の坂を駿河台下交差点まで下らないで同じ靖国通りへバイパスする路地に入ってすぐの二階にある。JBLのスタジオモニター4333Aを使っている。入った時はミュージックバードのPCM放送に登場した店主と寺島靖国、岩浪洋三を交えた収録模様が流れている。そこで若き日の小林秀雄がモーツアルトに出会ったみたいに、古庄さんが出会ったリバーサイド衝撃の原点ともいうべきセロニアス・モンクの演奏する「スイングがなければ意味がない」が解説の後に流れる。これを聴いてセロニアス・モンクのピアノはスイングしては駄目!間合いと捩れのデフォルメに豊饒な美学がこめられていることを再認識する。

古庄さんもジャズ専門誌のスイングジャーナル社員時代があった。お店の空気はやはり都会のお坊ちゃんが持つ70年代的でスクエアな冷涼感を感じる。これはいまオーディオ執筆で面白げ風に振舞っている田中伊佐資氏など元SJ社員の佇まいと同根なる匂いということで、これは自分だけの受容感覚かもしれないが?コーヒーは美味、添えられたラスクの味が繊細だ。珍しく古典的にジャズと対座する半時流的な貴重な店だと思った。こんど寄った時にはリバーサイドの音力を体感できそうなジョニー・グリフィンの「STUDIO JAZZ PARTY」でもリクエストして聴いてみたいものである。

釣り思案からケニー・バロンに脱線。

2011-10-08 17:55:18 | JAZZ
秋も深まってきた。近所で買ってきた栗、柿の実などを籠ざるなどに盛っておくだけで部屋の中には秋の気分が上積みするようで気持ちがよい。さつまいもの形のよいのも入った、これに蓮根、カボチャをプラスして久しぶりに精進天麩羅でも揚げてみようと思ったが、あいにくゴマ油を切らしている。普通のサラダ油だけではコクが生まれない。三割ほどゴマ油をブレンドするとよいのは過去の経験による。明日の日曜日にはゴマ油を補給する買い物ついでにハゼでも釣ってみたくなる凪日和だ。去年は八景の平潟湾にある舟溜まりで天種か甘露煮を!と思って挑戦したが時期が11月の落ちシーズンに入っていたようで型はよいのに数が出ないで寂しい思いをした。ハゼ、めごち、白ギスみたいな近くの海で釣った小魚を天種に使えるのはいまや素人だけの特権になってしまった。外食してどんなに定評のある天麩羅が美味いと評判の店でもこれらの小魚に関しては不合格が大半と確信している。ホクホクと白身が弾けるやつにお目にかかったことはない。みんなドンヨリと粘体化していて味というものの核心を捜すのに一苦労する。

それなら自分で小物釣りに挑戦して、戻ってすぐに捌いて下手な揚げ温度管理に苦戦しながら粋のよい天種を調達するしか方法はない。近場圏の釣り場を思いめぐらす。茅ヶ崎の小出川は数日前に悪水の酸欠で相当数の魚が浮かんだという記事を読んだばかりだ。相模川の河口はどんなものだろうか?ネットも交えて釣り場案をサーチするが、いずれも時期がずれている情報ばかりで信憑に欠ける。

釣り情報を探っていたらネットのSNSサイトに寄り道してしまった。同じ年齢の仇名をJさんと呼ぶジャズファンの方の私書箱風「伝言板」を覗くのも日課である。この人は単純明快でダイレクトにジャズを名乗っているから同好の趣味人の寄り付きが多いようだ。そのなかに「カンチャン」さんというジャズファンがいて趣味のよさの片鱗をいつも披瀝している。ズート、ハミルトン、アレキサンダーのテナーサックス奏者を私的三大テナーとしてメッセージで賞賛している。そのあとの短い伝言に目が止った。「これからバロンを聴きます。。。」と。そうか!バロンを忘れていた。ここ20年にわたる現代ジャズピアノの私的三大巨匠はケニー・バロン、ビル・チャーラップ、ベニー・グリーンだ。この人の伝言を読んでいたら急にご無沙汰していたケニー・バロンの内省感に富んでいて空疎な叙情趣味にも陥らない瑞々しいピアノの弾力を浴びてみたくなった。まったく影響されやすいものだ。CDの棚にある大切ピアノトリオジャンルからバロンのCDを取り出す。

「LIVE AT BRADLEY'S」というニューヨークにあったライブハウスのライブ録音である。ピアノの資質に喩えるとバロンはトミー・フラナガンに一番近いのだろう。いきわたったスタンダードをとてもモダンな意匠の曲として昇華させる技は並のものではない。デッカの古いスピーカーを大きな音で再生する。マイルス・デイビスの冴えに冴えた名曲「SOLAR」などでバロンの無駄撃ちのないスピーディーな即興を楽しむのもよいが、秋の夜長にはあの「BLUE MOON」「カナダの夕陽」等の素敵に歌うメロディーの豊饒もいいものだ。それにしてもロゴスと情感のバランスを巧みに調和するケニー・バロンのピアノを支えるリズム陣の色彩の溢れ方に驚愕する。こんな連中が出るライブなら、三度の飯をケチっても行ってみたくなるものだ。