視人庵BLOG

古希(70歳)を迎えました。"星望雨読"を目指しています。
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磁力と重力の発見〈1)、(2)、(3)

2009-02-14 06:53:06 | 読書
磁力と重力の発見〈1〉古代・中世
山本 義隆
みすず書房

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正月以来、やっと読み終えた本。
著者の山本義隆氏は小生の若い友人にとっては、氏が教鞭をとっている予備校で物理の講義を受け、"物理の面白さ"に惹きつけられるきっかけになった先生。
小生にとっては、勿論東大全共闘山本義隆議長だ。
安田講堂が全共闘によって占拠封鎖されていた40年前、安田講堂前の広場で山本議長のアジ演説を聞いた全共闘世代ですから。

"連帯を求めて孤立を恐れず力及ばずして倒れることを辞さないが力尽くさずして挫けることを拒否する"
 
一時、山本義隆氏のような優秀な物理学者の卵が何故、学生運動(社会運動)なのか訝しがった記憶がある。


さて「磁力と重力の発見」について。
いまだに良く解らない「マックスウエルの方程式」に苦しんでいた時、図書館から参考書とともに一緒に借り出し、ポツポツと読んでいたが、やっと全3巻、読み終わった。
当然返却期限はとっくに過ぎている。

読了後の所感は
「やっと、読みきった!」
そして
圧倒的な情報量にうちのめされた!

魔術的なもの、似非科学的なものは現在も横行している。
常識では理解できない現象が厳密な観察と実験から数学的法則が構築されたことにより、科学としての普遍性を得られた分野と、営々と原理(証明できないもの)、仮説として存在しつづける"魔術"的な分野(中世においては恋愛関係も磁力の効果として検討されていた)を、21世紀の"今"、両方飲み込んで生活する危うさ(?)の楽しみ方を、この本を読んで再認識させられた次第である。



磁力と重力の発見(3)
エピローグー磁力法則の測定と確定 P935-P938

 中世末期から近代初頭にかけて力とくに遠隔力、具体的には磁力やあるいは潮汐に見られる天体間の力を主要に問題としてきたのは、魔術であり占星術であった。魔術、ことに後期ルネサンスの自然魔術は、電磁力をふくむ自然界の種々の力を「共感と反感」「隠れた力」と名づけ、その本質をわからないものとして不問にし、むしろ実験と観測によってそのふるまいを調べ利用するというゆき方をとった。実験と観察の重視という点では錬金術もおくれをとらない。それは事物の本質からすべてを 論理的に演繹する、裏返せば事物の本質がわからなければものごとは理解できないとするスコラ学の方法に対立するゆき方であった。

他方、近代初頭にスコラ学にかわる新哲学として登場した機械論は、力の説明、つまり力の原因や 伝達のメカニズムの解明を要求することで魔術の解体をはかろうとした。機械論から見れば「共感や反感」や「隠れた力」は単なる説明放棄であった。しかし機械論は、そのみずから立てた目標の達成に失敗した。パオロ・ロッシは近代科学思想(実際には機械論)を特徴でつけるメルクマールのひとつとして「人間は自らなしうることや、〔自ら〕作りうるものしか知ることはできない」ということを挙げ、「われわれは機械(人工の所産)と機械的に説明しうるものについてのみ完全な知識をもつことができる」という思想を挙げている。しかしその伝で言うと、遠隔力としての重力や磁力は、まさしく人間の手では作ることができないゆえに機械論の理解を越えていたことになる。

 結局のところ、力についての認識が深化し新しい発展の道が開かれたのは、機械論の構想したように力の伝播を再現するモデルを考案することによってではなく、ましてや絶対的に正しい第一原理から力の本質を演繹することでもなく、さしあたって力の本質や力の原因をめぐる問いを棚上げにし、実験と観察ーとりわけ精密な測定ーによって力の数学的な法則を確定することにおいてであった。
 
その最終段階は、重力についてはフックとニュートンによって、磁力についてはマイヤーとクーロン によって遂行されたのであり、ここに近代物理学で言う力の認識が始まる。

こうして見ると、磁力そして一般に力の研究の発展は、古くはプラトンやエピクロスそしてルクレティウス、近代にはデカルトやガッサンディのめざした還元主義の方向にではなく、どちらかというと神秘思想家ニコラウス・クザーヌスそして魔術師デッラ・ポルタの予感した方向を辿ったことがわかる。こうしてもともとは物活論的で霊魂論的なあるいは魔術的な自然観から生まれ出て、実際にギルパートやケプラーにいたるまでそのような意味を色濃く帯びていて、そのため機械論からは否定されていた遠隔力の概念が、数学的関数に表される法則として確定されることによって、自然学の内部にその位置を見出し、かくしてコペルニクスの体系は真に動力学的に基礎づけられ、近代物理学が生まれ出たのである。

 その意味では、アリストテレス・スコラにかわって機械論が登場し、それによって科学革命がなしとげられたという単純な図式は、すくなくとも力の問題ー近代物理学の基軸となる問題ーについ ては、あたっていない。機械論者ガリレイにとって太陽系は物理学の問題ではなかったし、デカルトの機械論もチコ・ブラーエの観測やケプラーの理論とは接点をもたない空想でしかなく、ともに重力を理解しえなかった。
それにたいして近代初頭に力の観念を自然学の中心に据えたのは、霊魂論や物活論の影響を残していたギルパートやケプラーであり、彼らの思想は「磁気哲学」という形で、一七世紀にとりわけイギリスにおいて大きな影響を残した。こうして機械論者でありながらも磁気哲学の影響を受けていたフックや、錬金術そしてケンブリッジ・プラトン主義の影響を受けていニュート ンが重力理論を作りあげていった。そして実際に近代以降に生き残ったのは、ケプラーの法則であり ニュートンの重力法則でありクーロンのカの法則であった。

  魔術は機械論の意図したように解体されたのではない。魔術的な遠隔力が数学的法則に捉えられ合理化されたことにより、自然哲学(物理学)は検証可能なそして数学的に厳密に表現された法則を扱うものであるという原則が確立され、その結果として魔術固有の問題に自然学者が関心を失っていっ ただけのことである。近代科学の形成過程では科学は魔術から刺激を受け、とくに力概念の形成においては、その中枢の遠隔力の概念を魔術と占星術から受け継いだが、ひとたび自然科学がその固有の方法を確立してのちは、もはや魔術は自然科学者の議論の対象ではなくなり、人間の自然観に重要な影響を与えなくなったのである。近代科学確立後の見方で近代科学の揺監期を見て、その過程で魔術が果たした役割を過小評価するのは誤りである。しかし逆に近代科学の形成過程の一時期に魔術が演じた役割ゆえに魔術がその後もなんらかの意味を持っているかのように語るのは、もちろんそれ以上の過ちであろう。

これでもって、磁力と重力の前科学史をめぐるこの長い物語は終る。やがてニュートンとクーロンの遠隔力の概念がファラデーからアインシュタインにいたる過程であらためて問い直されることになるが、それはこの後の話である。



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