むさでん業務日誌帳(改)

むら@車掌の徒然模型日記・・・・(ちょっとだけ愚痴もあるよ!)

青梅線・・・ついでの話。

2011-03-06 21:31:00 | 車掌@コラム

模型のほうで青梅線の話題が出て来ましたが・・・当の工場長も色々な想い出が蘇ってきました。そんな訳で せっかくなので?別項立てにて青梅線の想い出話でも書き綴ってみる事にします・・・・。

模型さながら・・・・旧型国電時代の青梅線のおはなし・・・・

母の実家が青梅ということもあって 幼少期の私(幼稚園に通う前だった・・・?)も何回か乗車していました。 当時の青梅までのルートは?というと・・・路線バスに揺られて立川へ向かい、そこから青梅線に乗車して青梅へ向かう・・・といった 今では想像も出来ない経路でした・・・。

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当時・・・、所沢駅西口から立川駅北口行きの西武バスが1日に数本走っていました(現在は廃止)。 自宅に程近い「桜淵(さくらぶち)」という名前のバス停 (※こちらも今はありません)から このバスに乗車して立川へ向かい、立川から青梅線で実家へ向かう、という行程でした。 当時の我が家には未だマイカーが無く 実家へ向かう時にはこのルートを使っていた様子・・・。我が家にマイカーがやって来たのは妹が生まれた47年夏の事。 仕事柄、父は運転免許は持っていたようでしたが 職場への通勤にはスーパーカブを使っていた・・・、もっとも当時、うちの近所でも車を持っていた家は僅かなもので・・・それも殆どがスバル360とかフロンテとかの軽自動車・・・・。そんな中で ついに我が家でも二人目の子供が誕生間近・・・・それに合わせてのマイカー購入となったようです。

さて・・・、当時の所沢は本当の田舎街で・・・我が家から程近い 先のバス通りの県道も未舗装の砂利道・・・・、それだけに雨なんぞ降ろうものなら もう大変!な時代だったようです。何より立ったままバスに乗っていられないほど揺れたそうで・・・・当時の苦労が偲ばれます。 話は脱線しますが 今の最寄り駅である西武狭山線の下山口駅・・・、当時は駅自体が無かったんですよ! ※下山口駅は戦前に開業していましたが 戦時中に不要不急路線ということで一旦廃止され、戦後もそのままの状態が続いて 再度駅が開業するのは昭和52年6月4日まで待たねばなりませんでした・・・・ちなみに この開業日には 学校に通う前、父と一緒に西所沢行きの始発電車に乗車してきました・・・・この時から 私と狭山線の付き合いが始まった、と言っても過言では無いでしょう・・・・。事実、それまでは「ただ眺めるだけの電車」だった訳ですから・・・・・。

そんな訳で 当時は家の前を電車が通るけど 最寄駅が無い状態・・・・、地元の人は並走する西武バスを利用して 所沢市内へ買い物に出掛けたものです・・・。それが 西武ライオンズの誕生と共に 急速に狭山線のインフラ整備が進み 電車の利便性が飛躍的に向上したのとは裏腹に 野球開催時における道路交通事情の悪化(開かずの踏切)によって長年利用してきた 立川・狭山湖⇔所沢駅西口間のバス路線もやがて廃止に追い込まれる事となった訳です。ちなみに 今現在では 西武ドームでの野球開催時、立川駅から西武ドームまで臨時の路線バスが運行されていますが この路線は 在りし日の立川行きバスを偲ぶ事が出来ます・・・。

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と・・・話がだいぶ脱線してしまいましたが 青梅線の話に戻る事にします。

立川から乗車する青梅線・・・・。当時は今のように中央線との直通運転などはありませんでした。唯一 休日の奥多摩・五日市方面への行楽列車が乗り入れて来るのみの典型的なローカル線だったように思います。先のとおり 自分の記憶に残っているのは昭和46~7年の頃のこと・・・、当時の青梅線は未だ73系電車が主流だったと記憶しています。ボロボロ?に見えた茶色の車体・・・、片開きドアから車内に乗り込むと スタンションポールが立っていて、紺色モケットの座席に腰掛けてみれば 異様な座り心地だったように思えます(座り心地って・・・幼少期だから良く判るまい・・・)。紐で編まれた 本当の「網棚」がついていて・・・床板はコールタールの染込んだ木製板・・・如何にも機械?といった臭いだったのを憶えている。 やがて短い発車ベルの後、車掌さんのホイッスル一笛・・・、プシュ~っとドアが閉まれば 僅かの間をおいて グォ~ン・・・と 特有の吊り掛け駆動を響かせて走り出します・・・。 青梅線の歴史を辿れば 元は青梅電気鉄道という由緒ある私鉄で・・・、 戦時中に国有化されはしましたが 歴史のとおり 駅間が比較的短く 電車もそれほど高速では走りません・・・、西立川、東中神、中神、昭島、拝島・・・と進みます・・・。この付近・・・幼少期ながら記憶にあるのは たぶん日野自動車のトラック工場に並んでいた大量のトラックと 米軍横田基地周辺の米軍キャンプ等々・・・・、ベトナム戦争も終焉を迎える頃だったのかもしれませんが 横田基地界隈にいると 頻度に巨大な輸送機(4発レシプロの大きなやつ・・・・C-97とかだったのかな?)が離着陸していて それは青梅線の車窓からも眺められましたよ・・・。

拝島に到着すると必ず見られたのが 青梅線名物の石灰石を満載した貨車の列・・・・。それに横田基地に出入りする航空機燃料輸送用のタンク車たち・・・。特にタンク車は米軍御用達?ということで標記類が他の国鉄の貨車とは少々違った趣きで印象的でした・・・・。また拝島は八高線との乗り換え駅・・・・、運が良い時?には八高線のディーゼルカーを見る事も出来ました・・・・。当時は絵本でしか知らなかったディーゼルカーでしたから さぞかし喜んだ事でしょう・・・・。 拝島を過ぎれば再び民家と畑の車窓が続き いよいよ終点の青梅駅へ・・・。

青梅駅には上屋付きの大規模?な電留線 があって さながら車庫の様相を呈していました。 そして駅構内には茶色い電車が溢れていた・・・・今だったら まさに天国?とも思えるぐらいの光景だったのでしょうが 当時の自分はそのまま母に手を引かれ そそくさと駅を後にしたのでしょうね・・・・。

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青梅駅から歩いて15分程のところにある永山公園・・・・、この一角に有名?な「青梅鉄道公園」があります。 ここにも本当に良く連れて行って貰ったものです。 日本の鉄道史上、貴重な蒸気機関車や電気機関車たちが静態保存されており、今現在でも訪問可能です。 蒸気機関車が身近に感じられるようになったのは まさにこの公園のおかげなのでしょう・・・・。火を落とした蒸気機関車ではありましたが 当時の私にとっては機関車の大きさを肌身で感じ、その巨大な鉄の塊に夢を抱いたものです・・・・・。

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考えてみたら今から40年も昔の話・・・・

今となっては良い想い出に違いありませんし、何より自分の鉄道好きは この幼少期に体験した青梅線がルーツとなっていると言っても 恐らく間違いでは無いでしょう・・・・。 最近でも 愛車で青梅へ行く機会はしばしばあるけれど・・・・鉄道公園には行ってないな。自分の鉄道趣味の原点を確認すべく 近々再訪してみようかな? って思うようになりました・・・。

それと・・・先のクモハ40もここに保存車があるんだった・・・・!

こりゃ 早く行かなければ・・・・。 


お披露目・・・青梅線仕様のクモハ40

2011-03-06 17:43:00 | 工場長の独り言

身延線電車の塗装に合わせて 先日無事に竣工?したばかりの 青梅線仕様の クモハ40も撮影したので アップしてみる事にしました・・・・。首都圏の旧型国電といえば・・・・やっぱりこの「ぶどう色」塗装。もっともこんな車両が走っていた事を知ってる人達は40代以上の世代でしょう。

さて・・・今回 、思い付きで製作してしまった正面切妻タイプのクモハ40ですが 気がついてみたら 本命?の身延線の旧国よりも先に完成してしまった次第。 何より両運転台付きで1両でもさまになる・・・というところが製作を優先してしまった由縁かもしれません。車体も単色塗装だし、作るのは簡単?ですから・・・・ね!

で・・・、完成したのはこんな感じに仕上がりました。

Img_0821

左側は半流タイプのクモハ40・・・・。リトルジャパン製のキットを組んだもの。何れも青梅線仕様ということで 行き先サボを「青梅行き」としてあります。

Img_0824

運転台部分を横から見る・・・・・

Img_0825

車番のほうは実際に青梅線に在籍した車両の中から外観が最も近似している40033としてあります。

Img_0827

青梅線のクモハ40・・・・本来の用途はラッシュ時の増結用だった訳で 日中は青梅駅構内の電留線で昼寝をしている事が多かったみたい。肝心の73系電車のほうは現在4連が1編成所属していますが これはGMキットを組み上げたもの。 ただ、塗装の際、保存車のように艶のある塗装としてしまったために どうも違和感があるのが否めない・・・。なので 追って新規に青梅線仕様の73系電車を製作する事にしちゃいました・・・! なにかミイラ取りがミイラになる・・・・そんな感じも否めませんが 既に部材は発注済なので(やる事が早いっ!) 追って73系の基本編成も仕上げていくことにします・・・・これだから 模型って終わりが見えないんだよね・・・・。

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と・・・外は夕闇、そろそろ雨戸を閉めようかと 隣りの部屋に入ってみたら こんな光景が飛び込んできました。 通称 バックヤード・・・・・。いわゆる「未着手品置き場」といったところ。 ここには鉄道モノはありませんが 改めて良く見てみると 知らないうちに 船モノ模型が増えている・・・・・。 ま、通販で買ったキットが届く度に ここに積み上げていくんだから 当たり前といえばそのとおり・・・・むしろ「無意識に・・・・」というのが怖いくらい。

※くれぐれも言っておきますが ここはプラモ屋の一角ではありませんのよ!

Img_0832

で・・・、気になりだしたのは上のほうに載っている箱ふたつ・・・・

え~っ、何々? 海上自衛隊 護衛艦 「ひゅうが」と「いせ」・・・・

「ひゅうが」はともかく 「いせ」は先週入荷したばかりだ・・・・・!

もう少し寝かせて熟成させたほうが良いのかも・・・・

※当然ながら プラモデルは洋酒と違って熟成なんかしません・・・・

Img_0834

それにしても「ひゅうが」と「いせ」はともかくとして・・・・

画像左下にある海保の巡視船キットは 早く組みたいんだよね・・・・

尖閣の事件があった時、真っ先にこれでジオラマ組みたいな!って思ったんだけど。 無論・・・ジオラマの世界では領海侵犯船は・・・・×○▲してやるつもり。 只々一方的に体当たりされているだけじゃ 何のための警察機構なのか良く判らないからね・・・・せめて一国民として模型の中で愛国心を表現してやろうと思ってます・・・(笑)

今年は年頭から鉄モノ続きだったから・・・・

そろそろ船モノでも作りたい!というのも本音ではありますが・・・

いま この箱に手を出したら また工作台上が不法投棄の山と化すでしょ!

極限まで我慢しないと・・・・真の快感は得られない?・・・・のか?

まあ、当方の模型癖からして どれから先に手を付けるのかは・・・

全く以って予測不可能!なのであります。