母が突然に旅立って2週間が過ぎました。
今日は母が亡くなる少し前に一緒に観に行く約束をしていた映画[ おとうと ]をひとりで観に行きました。
母の遺骨をそっとカバンに偲ばせて…
映画は、しっかり者の姉と、心が弱くてきちんと生きられず家族に迷惑ばかりかけている、けれどどこか憎めない愛すべき弟との交流を軸にした温かな人間ドラマ…
弟役のつるべさんが上手くて、いい映画でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0058.gif)
最近、実家に泊まる日が増えて妹といろんな思い出話をしています![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
私が9歳になる少し前に、闘病中だった父が亡くなり私たちは家族3人で暮らしてきました。
美容師だった母は自分の店を持って、懸命に働きながら私と妹を育ててくれました。
その頃に3人で出かけた万博( 1970年に大阪で開催された万国博覧会 )の写真があります。
多分、夏休みだったのでしよう、眩しそうに目を細めてわずかに微笑む私と指をくわえて不安そうな面持ちの妹、そして黒ぶちの眼鏡をかけた母の表情は硬くこわばり、張り詰めた気持ちが伝わってきます。
父親が居なくても、両親の居る家族と同じように、いやむしろそれ以上に豊かに暮らしたい…
幼い私たちにみじめな思いをさせないために、そして自分自身のプライドのために母はパワフルに突き進みました。
仕事第一、そしてお客さん第一…
その頃の母のイメージは、とにかくいつも時間に追われて大変そうだったこと、そして仕事を終えた夜には疲れた顔をしていました。
妹は今でも、母は常に怖かった、と言います。
けれど、そんな忙しい日々の中でも毎日、必ず手作りの夕食を用意してくれて洋服も何着か縫ってくれた母…古い写真の中には妹とお揃いのセンスの良いワンピースなどを着たものも何枚かあります。
本来は女性らしい、愛情溢れる人だったのだと思います。
自分自身、何かに甘えることなく、そして私たちにも甘えを許さなかった母…
私も妹も母に褒められた記憶はほとんどありません…
大人になって、少しは母の本質を理解した私ですが、やはり母への思いには複雑なものがありました。
同年代の人たちから「母親は最愛の存在、大切にしたい」という言葉を聞くと素直にそう思えない自分がとても嫌でした。
ひとりで苦労して育ててくれた母を大切に思えない冷たい自分が…
それでも、晩年、特に仕事を辞めてからの母とはひんぱんに映画や食事、温泉などに行きました。
結構な毒舌だった母とも仲良くしてくれたダニエルと、3人で出かけたりもして楽しい思い出も沢山あります![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0230.gif)
…今日、映画が終わってエンドロールが流れた時に、隣に母が居ないことがしみじみ寂しくて、いっぱい泣いてしまったシャロンです。
今日は母が亡くなる少し前に一緒に観に行く約束をしていた映画[ おとうと ]をひとりで観に行きました。
母の遺骨をそっとカバンに偲ばせて…
映画は、しっかり者の姉と、心が弱くてきちんと生きられず家族に迷惑ばかりかけている、けれどどこか憎めない愛すべき弟との交流を軸にした温かな人間ドラマ…
弟役のつるべさんが上手くて、いい映画でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0058.gif)
最近、実家に泊まる日が増えて妹といろんな思い出話をしています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
私が9歳になる少し前に、闘病中だった父が亡くなり私たちは家族3人で暮らしてきました。
美容師だった母は自分の店を持って、懸命に働きながら私と妹を育ててくれました。
その頃に3人で出かけた万博( 1970年に大阪で開催された万国博覧会 )の写真があります。
多分、夏休みだったのでしよう、眩しそうに目を細めてわずかに微笑む私と指をくわえて不安そうな面持ちの妹、そして黒ぶちの眼鏡をかけた母の表情は硬くこわばり、張り詰めた気持ちが伝わってきます。
父親が居なくても、両親の居る家族と同じように、いやむしろそれ以上に豊かに暮らしたい…
幼い私たちにみじめな思いをさせないために、そして自分自身のプライドのために母はパワフルに突き進みました。
仕事第一、そしてお客さん第一…
その頃の母のイメージは、とにかくいつも時間に追われて大変そうだったこと、そして仕事を終えた夜には疲れた顔をしていました。
妹は今でも、母は常に怖かった、と言います。
けれど、そんな忙しい日々の中でも毎日、必ず手作りの夕食を用意してくれて洋服も何着か縫ってくれた母…古い写真の中には妹とお揃いのセンスの良いワンピースなどを着たものも何枚かあります。
本来は女性らしい、愛情溢れる人だったのだと思います。
自分自身、何かに甘えることなく、そして私たちにも甘えを許さなかった母…
私も妹も母に褒められた記憶はほとんどありません…
大人になって、少しは母の本質を理解した私ですが、やはり母への思いには複雑なものがありました。
同年代の人たちから「母親は最愛の存在、大切にしたい」という言葉を聞くと素直にそう思えない自分がとても嫌でした。
ひとりで苦労して育ててくれた母を大切に思えない冷たい自分が…
それでも、晩年、特に仕事を辞めてからの母とはひんぱんに映画や食事、温泉などに行きました。
結構な毒舌だった母とも仲良くしてくれたダニエルと、3人で出かけたりもして楽しい思い出も沢山あります
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0230.gif)
…今日、映画が終わってエンドロールが流れた時に、隣に母が居ないことがしみじみ寂しくて、いっぱい泣いてしまったシャロンです。
シャロンさんのお母様は苦労してシャロンさんと妹さんを育てたようですが、
なかなか厳しくて反発した思いが文章からわかりました。
でも、晩年は仲良しの親子になれたようで、本当によかったですね。
お母様もきっとうれしかったと思いますよ。
シャロンさんまだまだ思い出がいっぱい
何していてもお母様を思いだし涙が~
今日の映画お母様と一緒だったじゃないですか。親孝行してますよ。
いつもシャロンさんの事見てるよ。
色々な思い出が巡りますね。
今もお母様が、姉妹の心のなかでお仕事されているんですね。
親父の兄も滋賀の◯土の中学校長です。
どうしようもない弟には、愛想をつかしたみたいです。兄弟は他人の始まりと申しますが、そんなことはないといつも思っています。
ただ、今は他人より疎遠です。
私が天に召されたとき、うちの子はなんと言うだろうか・・などと思いながら読ませていただきました。
必死に子育てしていると、ついつい厳しくなってしまいますから・・・。
お気持ち、お察しします。
天国で再びお会いなさる日まで、お母様は微笑みながらシャロンさんや妹さんや、ご家族の皆様を見守っておられることと思います。
お疲れが出ませんように・・。
でも、親の存在、子供の存在・・・それは、何物にもかなわないものだと思っています。
私も、姉妹の関係・・今、母を挟んで少々複雑です。
仏教の世界では、四十九日に法要がいとなまれますが、その日数に、私は一つの区切りをいつも感じます。それまでに、人は、自分の気持ちに向き合って、語り続けるのだと思います。
そして、それが、亡くなられた方を想う、忍ぶ・・優しい月日になって行く最初の道筋かと思います。
シャロンさん・・・いっぱい泣いて良いんですよ。流した涙こそ、お母様からの贈り物ですよ。お大事に・・・
お母様への供養になると思います。
いっぱいいいっぱい思い出して、そして泣いてね。
『きみは愛されるため生まれた』を今もう一度聴き直させてもらいました。
シャロンの写真はとても可愛らしく、愛されてる様子がとっても伝わってきましたよ。
思わず私もこの歌を歌わせてもらいました。
またゴスペルでお会いしましょうね♪
私は母が亡くなってから、自分の中で思い出に変わるまで何年もかかりました。
シャロンさんのお母様、お二人の娘さんを手離すことなく、しっかり育てるために頑張ってこられたのだなあと涙が出ました。
一見幸せに見えるようでも、どの家庭にも様々な事情があり、一人一人家族の複雑な思いが交差していますね・・・。
晩年にシャロンさんやダニエルさんとご一緒に出かけられて、お母様も嬉しかったことでしょう。
シャロンさん、今は涙が溢れて来ると思います。たくさん泣いてあげてください。
シャロンさんとダニエルさんの歌をまた楽しみにしています。
数年前に亡くした父を思い出しました。
私の友達は両親を亡くしていて
私が父を亡くした時に
【親を亡くした哀しみは亡くした人にしか
わからないのよね】
とポツリ。
父を亡くしてこんなに涙がでるのか・・・
と思うほど泣きました。
そして・・・
テレビを見てはふと・・・
音楽を聴いてはふと・・・
ことあるごとに父を思い出し泣いて・・・。
1年ぐらいは心が薄く透明になっていたように思います。
お母さんを思い出しいっぱい泣いて・・・
そして少しずつ少しずつ・・・
元気になって言ってくださいね。
実際に親を亡くされた経験や家族の複雑な問題など、だれでも通る道なんだなぁ、と思うと今流している涙にも意味があるように思えます。
当分の間、妹と交替で実家に泊まりに行く生活で皆さんにキチンとお返事書けないこと、申し訳ありません。
時間を作って皆さんのところにお邪魔させていただければ、と思っています
コメント出来ずにおりました。
不義理をお許しください。
私事で恐縮ですが、うちの母は糖尿病を患い
軽い痴呆症状もあり、名古屋に帰省するたびに
変りゆく姿に心を痛めておりました。
そんな中にあってシャロンさんの母上様の
訃報を知りました。
先日、甥の結婚式の際にも披露宴の最中に
具合が悪くなり途中退席を余儀なくされ
救急車にて病院まで運んで頂き事なきを得ましたが
これから先も病と向き合いながら生活をしていくことは
本人を含め周りの家族も大変なことですし
どのようなカタチで人生の終焉を迎えるのが
本人そして残される家族にとって負担が少ない
のか深く考えることとなりました。
この場で私事を長々と書き連ねましたこと
お詫びいたします。
くれぐれもシャロンさんダニエルさん、
時節柄、お疲れが出ませんようご自愛ください。