ひつじっく Style♪

♪シャロンとダニエルの夫婦でアカペラ多重録音♪
雨の日も風の日も晴レルヤ!

バベルの塔(ダニエル)

2014年10月26日 | ずいそー
聖書の創世記には、バベルの塔の話があります。

そこで人々は次のように言いました。
さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう

そして、バベルの塔を建てますが、ここで神様は、人の言葉を互いにわからないようにし、人を散らされ、この町の建設は中止になりました。

何だか悲しいお話ですが、人の罪を示す大切なお話です。何が神様の御心に適わなかったのか、それを考えさせられます。
人々が考えたのは、さらっと聞くと別にそんなに悪いことのようには思えません。
では、神様の怒りが理不尽なのか? 聖書には、一見するとそう思えてしまうような記述がたくさんありますが、それは違うでしょう。
全知全能の神様が誤っておられることはないし、第一、人を神様に導くはずの聖書が、そんなことを書くことはありえないからです。

人々が言った言葉をよく読んでみると、天は神の御座。そこまで到達しうるという人の驕り、高ぶり、有名になろうという欲望などが垣間見えます。
そして、散らされることのないようにしよう、という言葉は、神様への反抗のように聞こえます。
ここには、謙虚さや従順さなどは感じられません。

産業革命、現代科学…… それは長い間、人間が培ってきた知恵や知識、洞察などに基づいたもの。私たちは、自分たちが作り上げてきたこれらのものに頼って生きています。
日進月歩で、どんどん色々と便利になっていく一方で、どんどん色々なものがないがしろにされたり、破壊されたりしています。
バベルの塔のお話は、古代から伝えられている私たち人間へのメッセージです。あのような驕った思いには、特に気を付けなければならないように思います。

遺伝子操作、原子力発電、そしてリニア開発など、もちろん、それそのものを悪と決めてかかるのは早計です。
でもそこには何か、私たち人間が恵まれ、生かされているという感謝や謙虚な思いが忘れ去られているような気がしてなりません。
ただ自分たちが便利だからとか、もっともっと速く、もっともっと豊かに、などといった果てしない欲望が渦巻いて、自分たちで解決できない歪みを作っているような気がします。

感謝をもって謙虚な気持ちで歩んでいくところに、結局、私たち人間にとって一番の道があるのだと、僕は信じています。

喜怒哀楽(ダニエル)

2014年10月13日 | ずいそー
最近まで、喜怒哀楽の「喜」と「楽」の区別があまりつきませんでした。
「悔」とか「戯」とか他にも感情はあるのに、なぜ代表として「喜」と「楽」という似たものを入れるのだろうと思っていたのです。
インターネットで調べてみると、同じように「喜と楽」の違いについてよくわからない、と困っている方々を見かけました。
色々な記事を参考に、自分なりに考えてみた結果、「喜と楽」について次のように区別をつけることができました。

【喜】
動的な、嬉しい感情
自分自身、また自分以外のものに起こったことについて起こる感情

【楽】
静的な、♪な感情
自分のことについてのみ起こる感情

「♪な感情」という書き方はイマイチかもしれませんが、鼻歌が出るような、楽で楽しい感情といった意味です。

こうしてみると、「楽」というのは、他の感情と毛色が違う気がしました。
というのは、「喜怒哀」はどれも、結構動的なのです。でも、「楽」だけが静的です。
「喜怒哀」は心が揺り動いているけれども、「楽」だけが平静です。

また、「喜怒哀」は、自分以外のものについても適用できる感情です。たとえば……
 ・友達のラッキーを喜ぶ
 ・友達が差別されたことについて怒る
 ・友達の不幸を悲しむ

これらは、「愛」だろうと思います。自分のことではなく、友達のことについて心を馳せているからです。
友達のために、友達を大切に思うから起こる感情です。

でも、「友達の○○を楽しむ」ということはできないというか、それはすでに自分の思いであって、友達のためにはなりません。
「楽」はあくまでも、自分自身のための感情ではないかと思うのです。

もちろん僕らは人間ですから、「楽」で自分自身をケアしなければ、壊れてしまいます。
ストレスの多いこの時代の中で、いかに自分自身を「楽」で慰めつつ、隣人について「喜怒哀」を抱くかが大切なのかなぁと思う今日この頃です。

古代に思いを馳せるロマン(ダニエル)

2014年09月07日 | ずいそー
僕は興味関心が、結構次から次へと移り変わっていくのですが、最近興味があって調べていることは、日本人の起源です。
とはいえ、実は 10 代の頃から関心のある分野で、今までにも色々な本を読みました。

縄文人が先に住んでいて、後に大陸から弥生人が来たことは、ほぼ定説のようになっています。
最近は遺伝子解析の技術が進み、遺伝子上ではチベット人と近縁であるなど、色々と新たなことがわかってきたのですが、それでもまだまだ多くの謎に包まれています。

弥生だけではなく、その後も大陸から渡り、定住するようになった人々は幾多の時代に数多くいたと思います。
たとえば、秦とか百済とか、そういう名前を地名や寺社名などで見かけますが、これは渡来のものと言われています。
朝鮮半島についても、日本と交易が盛んだった百済は、もともと高句麗から別れ出た国です。
ツングース系の民族であって、現在の韓国人、朝鮮人とは別系統の民族であることがわかっています。
とはいえ、歴史書によれば、高句麗が出自だが、新羅人や倭人、中国人など、様々な民族が住んでいたらしいです。
百済滅亡の時に、命からがら日本へ亡命した百済人の一部は、日本人となっています。
ということは、日本人には色々な血が混ざっているわけで、遺伝子解析の結果、他のアジア大陸諸国の民族よりも、異系統の遺伝子が混ざり合って存在していることがわかっています。

……というようなことを、近年はインターネットが発達し、色々な資料や情報が閲覧できるので、歴史ロマンとして楽しんでいます。

感謝と賛美、祈ること(ダニエル)

2014年08月19日 | ずいそー
つくづく思うこと。祈ることって、大切だな、と。特に、感謝と賛美。

食べるときに「いただきます」と言う。これは、感謝していただくということ。
食べ終わったときは「ごちそうさま」と言う。これは、満たされて感謝するということ。

もちろん、用意してくれた人だけではなく、命を犠牲にしてその材料となった動物や魚、植物などの色々な生物、そして、その命をいただくことをお許しくださった神様に感謝するということ。

ありがたいことに、私たち日本人には、そういった感謝を述べる言葉が当たり前のように浸透している。

でも、「当たり前のよう」に習慣づいているということは、心がこもらない場合もあるということだ。

そんなときは、自分が今生かされていることを、決して「当たり前」ではないことを見つめなおせばいい。

そうすれば、自ずと感謝は湧いてくるものだし、同時に自分を造り、愛してくださっている神様への賛美も湧くだろう。

遺伝子組み換え食品とか(ダニエル)

2014年02月22日 | ずいそー
加工食品や清涼飲料水などの原材料を見ると、色々な表示があります。「調味料(アミノ酸等)」とか「青色1号」とか「酸化防止剤(ビタミンC)」とかは、食品添加物と言われているもので、「ムム…… あまり体によくないのでは?」と思うような感じがすると思います。(個人的な感想)
これに関しては、今回は横に置いておいて……

それとは別に、「果糖ぶどう糖液糖」とか「ぶとう糖果糖液糖」とかいう表示はよく見かけます。清涼飲料水などでは、原材料の大半を占めていると思います。
これが、コーンシロップなんです。なぜコーンか? トウモロコシから作るからです。トウモロコシの何が気になるか? そのまま食べるためのトウモロコシではないため、基本的に遺伝子組み換えトウモロコシが使われているからです。

まあ、そんなことを言えば、普通にスーパーで売っていたり、外食で口にする植物油も、表示義務がないので、遺伝子組み換え作物から作られている場合が多いですけどね。
言ってしまえば、今の世の中、普通に暮らしていれば、遺伝子組み換え食品とは常に隣り合わせで、間接的、または加工された形で口に入っているということです。
(というか、外食する時点で表示のないものを食べていますよね。)

たとえば、牛肉や豚肉などでも、日本産はどうかわかりませんが、その牛や豚が生きていた時に食べているのは、まず遺伝子組み換えのはずです。だって飼料は大量に必要ですからね。また遺伝子組み換えでないと書いてあっても、昨今よく行われている偽装の場合もあるでしょうし、日本の表示基準は農林水産省が取り決めているのですが、全体の重量の 5% までなら「遺伝子組み換えでない」と書いてもよいと書かれているんですよ。↓ ありゃりゃ……
原材料の重量に占める割合の高い原材料の上位3位までのもので、かつ、原材料の重量に占める割合が5%以上のものをいう。
公式リンク→ http://www.maff.go.jp/j/kokuji_tuti/kokuji/k0000940.html

本当に避けたければ、完全自給自足くらいしかないと思います。と言っても、やっぱし無理でしょうね。だって、そこに遺伝子組み換えの花粉が飛んで来れば…… そもそも、肥料自体の原材料は…… など、いくらでもアウトなツッコミはできますし、栽培している中で、受粉して混入したとしても、もう見た目ではわからないですしね。

さてさて、本当に危険なのかどうかは、たぶん誰にもわかりません。ひょっとしたら杞憂に終わり、人畜無害で安全なのかもしれません。

まぁ、電子レンジのときと同じように、なるべく避けておくに越したことはないけれども、無理をしない方がいい、というのが僕の結論です。
そして、大事なことは「自然が一番!」。結局、自然界にないものを作り出そうとするから、トラブるワケです。

コーンシロップが開発されたのは、1970年代。給食に牛乳が出始めたのも同じ頃。この頃から花粉症や成人病などの現代病リスクが上がってきていますが、何が原因かわからないけれども(食品以外の可能性もアリ)、気をつけたいものですネ。