母が突然に旅立って2週間が過ぎました。
今日は母が亡くなる少し前に一緒に観に行く約束をしていた映画[ おとうと ]をひとりで観に行きました。
母の遺骨をそっとカバンに偲ばせて…
映画は、しっかり者の姉と、心が弱くてきちんと生きられず家族に迷惑ばかりかけている、けれどどこか憎めない愛すべき弟との交流を軸にした温かな人間ドラマ…
弟役のつるべさんが上手くて、いい映画でした
最近、実家に泊まる日が増えて妹といろんな思い出話をしています
私が9歳になる少し前に、闘病中だった父が亡くなり私たちは家族3人で暮らしてきました。
美容師だった母は自分の店を持って、懸命に働きながら私と妹を育ててくれました。
その頃に3人で出かけた万博( 1970年に大阪で開催された万国博覧会 )の写真があります。
多分、夏休みだったのでしよう、眩しそうに目を細めてわずかに微笑む私と指をくわえて不安そうな面持ちの妹、そして黒ぶちの眼鏡をかけた母の表情は硬くこわばり、張り詰めた気持ちが伝わってきます。
父親が居なくても、両親の居る家族と同じように、いやむしろそれ以上に豊かに暮らしたい…
幼い私たちにみじめな思いをさせないために、そして自分自身のプライドのために母はパワフルに突き進みました。
仕事第一、そしてお客さん第一…
その頃の母のイメージは、とにかくいつも時間に追われて大変そうだったこと、そして仕事を終えた夜には疲れた顔をしていました。
妹は今でも、母は常に怖かった、と言います。
けれど、そんな忙しい日々の中でも毎日、必ず手作りの夕食を用意してくれて洋服も何着か縫ってくれた母…古い写真の中には妹とお揃いのセンスの良いワンピースなどを着たものも何枚かあります。
本来は女性らしい、愛情溢れる人だったのだと思います。
自分自身、何かに甘えることなく、そして私たちにも甘えを許さなかった母…
私も妹も母に褒められた記憶はほとんどありません…
大人になって、少しは母の本質を理解した私ですが、やはり母への思いには複雑なものがありました。
同年代の人たちから「母親は最愛の存在、大切にしたい」という言葉を聞くと素直にそう思えない自分がとても嫌でした。
ひとりで苦労して育ててくれた母を大切に思えない冷たい自分が…
それでも、晩年、特に仕事を辞めてからの母とはひんぱんに映画や食事、温泉などに行きました。
結構な毒舌だった母とも仲良くしてくれたダニエルと、3人で出かけたりもして楽しい思い出も沢山あります
…今日、映画が終わってエンドロールが流れた時に、隣に母が居ないことがしみじみ寂しくて、いっぱい泣いてしまったシャロンです。
今日は母が亡くなる少し前に一緒に観に行く約束をしていた映画[ おとうと ]をひとりで観に行きました。
母の遺骨をそっとカバンに偲ばせて…
映画は、しっかり者の姉と、心が弱くてきちんと生きられず家族に迷惑ばかりかけている、けれどどこか憎めない愛すべき弟との交流を軸にした温かな人間ドラマ…
弟役のつるべさんが上手くて、いい映画でした
最近、実家に泊まる日が増えて妹といろんな思い出話をしています
私が9歳になる少し前に、闘病中だった父が亡くなり私たちは家族3人で暮らしてきました。
美容師だった母は自分の店を持って、懸命に働きながら私と妹を育ててくれました。
その頃に3人で出かけた万博( 1970年に大阪で開催された万国博覧会 )の写真があります。
多分、夏休みだったのでしよう、眩しそうに目を細めてわずかに微笑む私と指をくわえて不安そうな面持ちの妹、そして黒ぶちの眼鏡をかけた母の表情は硬くこわばり、張り詰めた気持ちが伝わってきます。
父親が居なくても、両親の居る家族と同じように、いやむしろそれ以上に豊かに暮らしたい…
幼い私たちにみじめな思いをさせないために、そして自分自身のプライドのために母はパワフルに突き進みました。
仕事第一、そしてお客さん第一…
その頃の母のイメージは、とにかくいつも時間に追われて大変そうだったこと、そして仕事を終えた夜には疲れた顔をしていました。
妹は今でも、母は常に怖かった、と言います。
けれど、そんな忙しい日々の中でも毎日、必ず手作りの夕食を用意してくれて洋服も何着か縫ってくれた母…古い写真の中には妹とお揃いのセンスの良いワンピースなどを着たものも何枚かあります。
本来は女性らしい、愛情溢れる人だったのだと思います。
自分自身、何かに甘えることなく、そして私たちにも甘えを許さなかった母…
私も妹も母に褒められた記憶はほとんどありません…
大人になって、少しは母の本質を理解した私ですが、やはり母への思いには複雑なものがありました。
同年代の人たちから「母親は最愛の存在、大切にしたい」という言葉を聞くと素直にそう思えない自分がとても嫌でした。
ひとりで苦労して育ててくれた母を大切に思えない冷たい自分が…
それでも、晩年、特に仕事を辞めてからの母とはひんぱんに映画や食事、温泉などに行きました。
結構な毒舌だった母とも仲良くしてくれたダニエルと、3人で出かけたりもして楽しい思い出も沢山あります
…今日、映画が終わってエンドロールが流れた時に、隣に母が居ないことがしみじみ寂しくて、いっぱい泣いてしまったシャロンです。
シャロンさんの悲しみはどれほどのものなのか、両親、家族が健在である私には全く想像もできないことです。でもいつかは、その悲しみや苦しみを通らなければならない日がくることでしょう。そのとき私はどのようにして過ごさなければならないかわかりません。ですが、シャロンさんは、今その中で癒されることのない悲しみでいっぱいなのですね。シャロンさんとお母様の絆が深ければ深いだけその悲しみは大きなものでしょう。
神様の慰めがあるよう祈ります。
Kさんもホントに私とよく似た境遇…ちょっとびっくりです。
そして母に対する今の思いも、Kさんと同じ…
もっともっと大切にして優しい言葉をいっぱいかけてあげれば良かった、と毎日思います。
しばらくはメソメソの日々が続きそうですが、体には気をつけますね…
更新されるのを待っていました。
主人の母も9年前、脳梗塞の発作4回目で、両四肢マヒで、認知症となり、遠方に住んでいたのですが、大津へ連れてきました。老人保健施設に入所させています。
同じ脳梗塞でも、こんなに急に逝かれてしまうこと悲しみも大きいことと思います。
遺されたご家族の皆様が、体調を崩されないよう、お過ごしくださることを、同じ琵琶湖のそばからお祈りいたします
そこで”ママの足は車椅子”の本のコメントを見て訪問して来ました。
私の近所の方が出した本ですが、お時間の許す時に読んでみて下さいね。
お母様を亡くされて大変辛い時にごめんなさいね。
私も6年前に母を亡くしてます、そして父は私が15才の時。。。。。
今でも母の事を思うと涙が頬を。。。。
本当に淋しいですよねっ!悲しいですよねっ!
初めての訪問ですが、一緒に涙を流させて下さいね。
お母様のご冥福心よりお祈りいたします。
言葉にもなりません。
私の母も、2年半前に逝ってしまいました。
シャロンさんととても似た境遇で、母は33歳で 私と弟を女手一つで育ててくれました。
明るく気丈で前向きでしたが、甘える事無く、甘えを許さず。。。懸命に生きた人でした。
今なら少しは理解できる母の心・・・
もっともっと寄り添えたら良かったのに、もっともっと歩み寄れたら良かったのに・・・
本当に未熟な私でした。
今は、母が身を以て気付かせてくれた事のあれこれを 日々、有難く想い、偲ぶ毎日です。
シャロンさん、ご家族の皆さん、どうぞくれぐれもお体を崩さない様にお過ごし下さいね。
心からお母様のご冥福をお祈りいたします。
シャロンにとっては、しばらく続く悲しみの時になります。けれど、ブログで皆さんと交流することで、温かいものがいただけると思います。よろしくお願いします。
心よりご冥福お祈りします。
お母様も仕事を辞められた後は張り詰めていたものも解けて、
心からシャロンさんやダニエルさんたち同様に楽しまれていたのではないかと思います。
あまりにも急なことでまだまだ心の整理はつかないことと思いますが、
お母様のことをこうやって一つ一つ思い出し涙を流すということも
供養の一つになるのではないかと個人的には思っています。
日が経つほどいろいろな思いが蘇り悲しい思いをしてらっしゃるんだと胸を痛めています。
お正月、皆さんでカラオケを楽しまれてのにねぇ・・。
まだシャロンさんたちの近くにいてくださってると思うので話しかけたり思い出を話したりしたらおかあさまも喜んでらっしゃるんじゃないかな。
どうかシャロンさんや皆さまが体をこわさないようにしてくださいよ。
今回読んで、つくづくお母さまはすごい方だったんだなあと思いました。私はシャロンより10ほど年下なんで、親世代もそれぐらい違うんでしょうが、昭和一桁世代ではないですか?これぐらいの方は本当に偉いですよね。すっかりぬるま湯につかりきった私たちとは雲泥の差という気がします。
また、すっかり気が持ち直したらゴスペルに来て下さいね。待ってます。
脳梗塞は思ったより怖いですね。
実はお話ししていました義兄(姉の)も
この前亡くなってしまったんです。左半身付随と
言葉がしゃべれなくなっていたんですが
命だけは助かると信じていましたが、急に
容態が急変しまして・・・
お母様のご冥福を心よりお祈り申しあげます。
とにかく時間が解決するまでつらいですけど
無理をされないようになさって下さいね。
コメント出来ずにおりました。
不義理をお許しください。
私事で恐縮ですが、うちの母は糖尿病を患い
軽い痴呆症状もあり、名古屋に帰省するたびに
変りゆく姿に心を痛めておりました。
そんな中にあってシャロンさんの母上様の
訃報を知りました。
先日、甥の結婚式の際にも披露宴の最中に
具合が悪くなり途中退席を余儀なくされ
救急車にて病院まで運んで頂き事なきを得ましたが
これから先も病と向き合いながら生活をしていくことは
本人を含め周りの家族も大変なことですし
どのようなカタチで人生の終焉を迎えるのが
本人そして残される家族にとって負担が少ない
のか深く考えることとなりました。
この場で私事を長々と書き連ねましたこと
お詫びいたします。
くれぐれもシャロンさんダニエルさん、
時節柄、お疲れが出ませんようご自愛ください。
実際に親を亡くされた経験や家族の複雑な問題など、だれでも通る道なんだなぁ、と思うと今流している涙にも意味があるように思えます。
当分の間、妹と交替で実家に泊まりに行く生活で皆さんにキチンとお返事書けないこと、申し訳ありません。
時間を作って皆さんのところにお邪魔させていただければ、と思っています
数年前に亡くした父を思い出しました。
私の友達は両親を亡くしていて
私が父を亡くした時に
【親を亡くした哀しみは亡くした人にしか
わからないのよね】
とポツリ。
父を亡くしてこんなに涙がでるのか・・・
と思うほど泣きました。
そして・・・
テレビを見てはふと・・・
音楽を聴いてはふと・・・
ことあるごとに父を思い出し泣いて・・・。
1年ぐらいは心が薄く透明になっていたように思います。
お母さんを思い出しいっぱい泣いて・・・
そして少しずつ少しずつ・・・
元気になって言ってくださいね。
私は母が亡くなってから、自分の中で思い出に変わるまで何年もかかりました。
シャロンさんのお母様、お二人の娘さんを手離すことなく、しっかり育てるために頑張ってこられたのだなあと涙が出ました。
一見幸せに見えるようでも、どの家庭にも様々な事情があり、一人一人家族の複雑な思いが交差していますね・・・。
晩年にシャロンさんやダニエルさんとご一緒に出かけられて、お母様も嬉しかったことでしょう。
シャロンさん、今は涙が溢れて来ると思います。たくさん泣いてあげてください。
シャロンさんとダニエルさんの歌をまた楽しみにしています。
お母様への供養になると思います。
いっぱいいいっぱい思い出して、そして泣いてね。
『きみは愛されるため生まれた』を今もう一度聴き直させてもらいました。
シャロンの写真はとても可愛らしく、愛されてる様子がとっても伝わってきましたよ。
思わず私もこの歌を歌わせてもらいました。
またゴスペルでお会いしましょうね♪
でも、親の存在、子供の存在・・・それは、何物にもかなわないものだと思っています。
私も、姉妹の関係・・今、母を挟んで少々複雑です。
仏教の世界では、四十九日に法要がいとなまれますが、その日数に、私は一つの区切りをいつも感じます。それまでに、人は、自分の気持ちに向き合って、語り続けるのだと思います。
そして、それが、亡くなられた方を想う、忍ぶ・・優しい月日になって行く最初の道筋かと思います。
シャロンさん・・・いっぱい泣いて良いんですよ。流した涙こそ、お母様からの贈り物ですよ。お大事に・・・
私が天に召されたとき、うちの子はなんと言うだろうか・・などと思いながら読ませていただきました。
必死に子育てしていると、ついつい厳しくなってしまいますから・・・。
お気持ち、お察しします。
天国で再びお会いなさる日まで、お母様は微笑みながらシャロンさんや妹さんや、ご家族の皆様を見守っておられることと思います。
お疲れが出ませんように・・。
色々な思い出が巡りますね。
今もお母様が、姉妹の心のなかでお仕事されているんですね。
親父の兄も滋賀の◯土の中学校長です。
どうしようもない弟には、愛想をつかしたみたいです。兄弟は他人の始まりと申しますが、そんなことはないといつも思っています。
ただ、今は他人より疎遠です。
シャロンさんまだまだ思い出がいっぱい
何していてもお母様を思いだし涙が~
今日の映画お母様と一緒だったじゃないですか。親孝行してますよ。
いつもシャロンさんの事見てるよ。
シャロンさんのお母様は苦労してシャロンさんと妹さんを育てたようですが、
なかなか厳しくて反発した思いが文章からわかりました。
でも、晩年は仲良しの親子になれたようで、本当によかったですね。
お母様もきっとうれしかったと思いますよ。