こんにちは。ダニエルです。
ブロ友の皆様には、娘の留学について、色々な励まし、祝福のコメントをいただき、ありがとうございました。
子供が巣立つのは嬉しさと淋しさとがありますが、今朝は初めて Skype などでビデオ通話もでき、遠くても近い良い時代になったものだとつくづく思いました。
今回の記事は、珍しくクイズから入りましょうか。

さて、これは何でしょう? 一見すると、普通の不動明王の御影札のように見えますが…… 答えは、後で書きますね。
娘を空港へ送った後、実は、僕の実家のそばにあるお寺に行きました。え? ひつじっくStyle でお寺?? あの夫婦ってキリスト者じゃ……?
もちろん、お参りに行ったわけではありません。栄国寺というお寺の中に、「切支丹遺蹟博物館」があるのです。
博物館といっても、ババーンと立派な建物があるわけではなく、一見、単なる幼児園付きの普通のお寺です。
敷地内には、カトリック名古屋教区が建てた顕彰碑があり、その碑には、概要がわかりやすく記されています。
初代尾張藩主の徳川義直、二代目の光友は、キリスト者に対して寛大であろうとしていたけれども、江戸幕府の切支丹宗門禁制の命に従わざるを得ず、伝道活動をしていた 200 人ほどを処刑し、残りの人については、赦免しようとしていました。けれども、幕府の了承が得られず、結局、2000 人以上も処刑し、それを弔うために建てたお寺が栄国寺、ということです。「栄国寺側の好意溢れる快諾を得た上で、信仰のための彼らキリシタンの熱心と忠誠をたたえつつ、この碑を建立する」と締めくくられています。
そのお寺には、殉教者の遺物などが残されており、ご住職の好意で「切支丹遺蹟博物館」として公開されています。遺物はどれも、命を狙われている中で、必死に信仰を護り抜こうとする、ものすごい意志が刻まれています。
さてさて、最初の写真の不動明王の御影札、本物の御影札(白黒画像)は、梵字の部分が違います。最初の切支丹遺物のものには、JESU という文字が隠されています。それぞれの文字を、赤、黄、緑、青で示してみました。

このブログではほんの一部分だけ紹介しますが、色々なものが展示されていました。
切り口が十字になっている鈴

高山右近の奥さんがされていた、かんざしも、さりげなく一か所だけ十字架が隠されています。説明の書いた紙の「十字架」という文字の付近に十字架が隠されています。


十字の形のヤカンも……

本物の踏み絵など。僕たちは、本物の踏み絵を初めて目にしました。今はこうしてブログで書いていても、命を狙われることもないけれども、ただ信じていただけで、たくさんの血が流されてきたことは、本当に言葉にできないものがあります。

これは、最初に紹介したカトリック教会による顕彰碑

多分、元は洗礼盤だったのだろうと思われる手水鉢。横には十字架が描かれています。黄色で示しました。真ん中の十字は頭が丸くなっていますが、切支丹遺物では、キリストの象徴です。十字架の蓋付きの木製の写真の方は、彦根聖愛教会の洗礼盤です。蓋を取れば、形はソックリです。



僕の生まれ育ったところで、そんな大迫害があったことなど、まったく知りませんでした。驚きと共に、信仰のために命を捧げた先達の平安を祈ります†
ブロ友の皆様には、娘の留学について、色々な励まし、祝福のコメントをいただき、ありがとうございました。
子供が巣立つのは嬉しさと淋しさとがありますが、今朝は初めて Skype などでビデオ通話もでき、遠くても近い良い時代になったものだとつくづく思いました。
今回の記事は、珍しくクイズから入りましょうか。

さて、これは何でしょう? 一見すると、普通の不動明王の御影札のように見えますが…… 答えは、後で書きますね。
娘を空港へ送った後、実は、僕の実家のそばにあるお寺に行きました。え? ひつじっくStyle でお寺?? あの夫婦ってキリスト者じゃ……?
もちろん、お参りに行ったわけではありません。栄国寺というお寺の中に、「切支丹遺蹟博物館」があるのです。
博物館といっても、ババーンと立派な建物があるわけではなく、一見、単なる幼児園付きの普通のお寺です。
敷地内には、カトリック名古屋教区が建てた顕彰碑があり、その碑には、概要がわかりやすく記されています。
初代尾張藩主の徳川義直、二代目の光友は、キリスト者に対して寛大であろうとしていたけれども、江戸幕府の切支丹宗門禁制の命に従わざるを得ず、伝道活動をしていた 200 人ほどを処刑し、残りの人については、赦免しようとしていました。けれども、幕府の了承が得られず、結局、2000 人以上も処刑し、それを弔うために建てたお寺が栄国寺、ということです。「栄国寺側の好意溢れる快諾を得た上で、信仰のための彼らキリシタンの熱心と忠誠をたたえつつ、この碑を建立する」と締めくくられています。
そのお寺には、殉教者の遺物などが残されており、ご住職の好意で「切支丹遺蹟博物館」として公開されています。遺物はどれも、命を狙われている中で、必死に信仰を護り抜こうとする、ものすごい意志が刻まれています。
さてさて、最初の写真の不動明王の御影札、本物の御影札(白黒画像)は、梵字の部分が違います。最初の切支丹遺物のものには、JESU という文字が隠されています。それぞれの文字を、赤、黄、緑、青で示してみました。


このブログではほんの一部分だけ紹介しますが、色々なものが展示されていました。
切り口が十字になっている鈴

高山右近の奥さんがされていた、かんざしも、さりげなく一か所だけ十字架が隠されています。説明の書いた紙の「十字架」という文字の付近に十字架が隠されています。


十字の形のヤカンも……

本物の踏み絵など。僕たちは、本物の踏み絵を初めて目にしました。今はこうしてブログで書いていても、命を狙われることもないけれども、ただ信じていただけで、たくさんの血が流されてきたことは、本当に言葉にできないものがあります。

これは、最初に紹介したカトリック教会による顕彰碑

多分、元は洗礼盤だったのだろうと思われる手水鉢。横には十字架が描かれています。黄色で示しました。真ん中の十字は頭が丸くなっていますが、切支丹遺物では、キリストの象徴です。十字架の蓋付きの木製の写真の方は、彦根聖愛教会の洗礼盤です。蓋を取れば、形はソックリです。



僕の生まれ育ったところで、そんな大迫害があったことなど、まったく知りませんでした。驚きと共に、信仰のために命を捧げた先達の平安を祈ります†

相当な勇気と思いやりがあったのだと思います。
たとえば、遺物なども、違う信仰対象であるにもかかわらず、こうして焼き捨てずにとってあるのですから。
また、それをこのように好意によって、寄贈、公開されたのですから。
また、高山右近をはじめ、当時のキリシタンの先達は、本当に頭が下がる方々ばかりです。
栄国寺の僧侶たちも勇気があったと思います。
高山右近。魅力ある人物ですね。
大佛次郎「若き日の信長」で知り、魅了されました。