ベテランスーパー先生たち(うちの学校には複数形で存在します)と、
苦虫先生を始めとする「自分ではかなりいい感じのつもりだけど・・・」という若手先生たちとの違いってどこにあるかというと
「大事な一つの事を伝えるためにどこを削るか」がわかっているかいないかだと思うのです。
先日記事にした文章題。苦虫先生は絵ではなくブロックを使ったのですが、
「ブロックをどう並べるか」(一列にせず2列にした子がいたので、そこでどう並べるべきか発表させたの)
「ブロックの色はどうしたらいいのか」(名まえの子だけ色を変えた子がいたのでその理由を発表させたの)
などという、これまでの「おさらい」があちこちではいるんです。
更に、これまで学んできた事を思い出させようと色んな質問が入る。
例えば、
「式を作るときに大事な事ってなんだっけ?」
(頭に浮かんだ答えの数字を式に使っちゃう子がいるので、「お話に書いてある数字を使う」ということを思い出させたかったらしいです)
と問い掛けて、
「あわせて!」だの「のこりは!」だの色んな意見がでてきちゃう。
先生にしてみたら、「あれ程丁寧にやってきた並べ方が崩れてる」
とか、「ちゃんと意味を考えて並べてない」とか、
教えたい事が色々とあって、その熱意からのことだとはわかるんですけどね。
たった3行の文章題を整理して記憶する事が出来ないから、
すんなり式がたてられずに困っちゃう子がいるわけで・・・
なのに、あっちこっちで寄り道しちゃうと、
余計わからなくなっちゃうんですよ。
スーパー先生達は、この辺が実にうまい。
この単元の今日の授業ではどこに拘るべきか。それをしっかり持っているから
些末な事はスパっと落とす。
この文章題も、絵で描くか実際に子ども達を並ばせて解くか。
言葉の中身をストレートにイメージできるように授業を組み立ててきます。
ブロックは、「みたて」ですから、余計な変換作業が入る事になっちゃうんですよね。
そういう、余計な部分をしっかり削ってくれるから、
「筋」の部分が捕まえやすくなるんです。
授業の目的がはっきりしているから、チェックもしっかりできて、
子ども達の躓きポイントを見つけられる。
だから、フォローも行き届くんですね。
苦虫先生を始めとする「自分ではかなりいい感じのつもりだけど・・・」という若手先生たちとの違いってどこにあるかというと
「大事な一つの事を伝えるためにどこを削るか」がわかっているかいないかだと思うのです。
先日記事にした文章題。苦虫先生は絵ではなくブロックを使ったのですが、
「ブロックをどう並べるか」(一列にせず2列にした子がいたので、そこでどう並べるべきか発表させたの)
「ブロックの色はどうしたらいいのか」(名まえの子だけ色を変えた子がいたのでその理由を発表させたの)
などという、これまでの「おさらい」があちこちではいるんです。
更に、これまで学んできた事を思い出させようと色んな質問が入る。
例えば、
「式を作るときに大事な事ってなんだっけ?」
(頭に浮かんだ答えの数字を式に使っちゃう子がいるので、「お話に書いてある数字を使う」ということを思い出させたかったらしいです)
と問い掛けて、
「あわせて!」だの「のこりは!」だの色んな意見がでてきちゃう。
先生にしてみたら、「あれ程丁寧にやってきた並べ方が崩れてる」
とか、「ちゃんと意味を考えて並べてない」とか、
教えたい事が色々とあって、その熱意からのことだとはわかるんですけどね。
たった3行の文章題を整理して記憶する事が出来ないから、
すんなり式がたてられずに困っちゃう子がいるわけで・・・
なのに、あっちこっちで寄り道しちゃうと、
余計わからなくなっちゃうんですよ。
スーパー先生達は、この辺が実にうまい。
この単元の今日の授業ではどこに拘るべきか。それをしっかり持っているから
些末な事はスパっと落とす。
この文章題も、絵で描くか実際に子ども達を並ばせて解くか。
言葉の中身をストレートにイメージできるように授業を組み立ててきます。
ブロックは、「みたて」ですから、余計な変換作業が入る事になっちゃうんですよね。
そういう、余計な部分をしっかり削ってくれるから、
「筋」の部分が捕まえやすくなるんです。
授業の目的がはっきりしているから、チェックもしっかりできて、
子ども達の躓きポイントを見つけられる。
だから、フォローも行き届くんですね。