goo blog サービス終了のお知らせ 

朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

正義と愛が支配する世界へと

2020-04-20 09:53:55 | 聖書から
主の言葉:
わたしがアブラハムを選んだのは、
彼が息子たちと子孫に、
主の道を守り、
主に従って正義を行うよう命じて、
主が彼に約束したことを
成就するためである。創世記18:19



あなたがたは、
今は罪から解放されて神の奴隷となり、
聖なる生活の実を結んでいます。
行き着くところは、永遠の命です。ロマ6:22



 創世記32:22b~32
 Ⅰコリント15:50~58(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/20;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちと息子娘たち、私たちの子孫が、
ご自身と思いを一つにして歩み、
ご自身が思っておられるとおりの正義を行う者になるよう、
願っておられるのですね。
ご自身が約束されたとおりが私たちに実現するように、と。



 【父である神は、
ご自身と思いを一つにして生きる者を、
との願いで造られていながら(創世記1:26)、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
神に対立、対抗し、神の向こうを張って、神と張り合う、
「的外れ」な存在になっている私たちの、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合体させて死んだものとし、



 死んで、墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって、

ご自身の思いを私たちの心に置き、
ご自身の思いが私たちの心にあるようにし、
私たちが、ご自身と思いを一つにして生きるようにして、
私たちを、あるべき正しい位置に取り返し、
この世から取り分けて、
永遠のいのち、神との関係を持ちながら生きる世界へと。



 今から4千年近く前の、今のイスラエルでのこと、
イサクとリベカの双子の子の、弟ヤコブは、
兄エサウから長子の権利を、
そして、高齢で目が見えなくなっている父イサクをだまして
祝福(長男の相続分、この地を受け継ぐ遺言)を奪いました。



 それで、兄エサウに殺されそうになって、母リベカの実家、
ハラン(パダン・アラム、イスラエルの北方700キロ、ユーフラテス川の上流の地域)へ逃げ、
21年ぶりに故郷に帰ろうとしていたのだそうです。



 ヤコブは兄エサウが怖くて
ヤボク川を渡ることができませんでした。
その夜、一人の人が現れ、
ヤコブは、明け方まで、この人と格闘したのだそうです。


 この人にしがみついて、
「私を祝福してくださらなければ」と離さず、
ついに祝福を勝ち取るまで。
神と顔と顔を合わせて格闘して。(創世記32:22~31)


 天の神、主は、私たちにも、祝福を与え、
神の国を相続させようと思っていてくださるのだそうです。



 けれども、この「血肉のからだ」は、
神の国を相続出来ないのだそうですね。



 それで、【父である神】は、私たちの、この「血肉のからだ」を、
イエスが復活されたのと同じような「復活のからだ」、
「霊のからだ」に変えようとしていてくださるのだそうです。



 変えられるのですね。私たちも。
この「血肉のからだ」から「霊のからだ」に。
終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに。
ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、
そのとき、まだ生きている私たちは変えられるのですから。



 この朽ちるべきものが、朽ちないものを必ず着ることになり、
この死ぬべきものが、
死なないものを必ず着ることになるのだそうですから。



 そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着、
この死ぬべきものが死なないものを着るとき、
「死は勝利に呑み込まれた。」
「死よ、おまえに勝利はどこにあるのか。
死よ、おまえのとげはどこにあるのか」と書かれている
聖書のことばが実現するというのですね。


 死のとげである罪、その罪の力である律法から、
神はイエス・キリストによって、
私たちに勝利を与えてくださって。(Ⅰコリント15:50~57)



 神の国は、
神と思いを一つにしている者だけが入れるところなのですね。
私たちもこのヤコブのように、
祝福、神の国を相続することを願い、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにしていただく生き方、
永遠のいのちの中を歩むのですね。
神の正義と神の愛が支配する世界へ。
今日も。



(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
婚活で、広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。

〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

目のひとみのように、私たちを守られ~復活の希望の中で~

2020-04-19 07:52:20 | 聖書から
神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を与えて下さった。Ⅰペテロ1:3(4/19の週の聖句)

 主はご自分の民を
ひとみのように守られた。申命記32:10

 小さな群れよ、
恐れるな。
あなたがたの父は
喜んで神の国をくださる。ルカ12:32

 ヨハネ20:19~20(21~23)24~29
 詩16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/19;Ⅲ日曜)


 【父である神】は、
ご自分の大きなあわれみのゆえに、
私たちに、
十字架刑での処刑を受けて死に、
墓に葬られたイエス・キリストが
死者の中からよみがえられたことによって、
【聖である霊】と呼ばれる方を遣わし、



この方によって私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を与えてくださっているのですね。



私たちをご自分の目のひとみのように大事にし、守られて。


 私たちは小さなものであっても、
喜んで神の国を相続する者にしてくださって。


 その日、
イエスが十字架刑で処刑され、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られた

翌々日の週の初めの日の夕方のこと、
弟子たちはユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけていたのですが、
イエスが来て彼らの真ん中に立たれたのだそうです。
そして、「平安があなたがたにあるように」と言い、
手と脇腹を彼らに示されたのだそうです。


 ところが、そのとき、
12弟子の一人、トマスはそこにいなかったのですね。
それで、「私たちは主を見た」と言うほかの弟子たちに言ったのだそうです。



「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、
その脇腹に手を入れて
ローマ兵が刺した槍の跡に触れてみなければ、
決して信じません」、と。



 八日後、次の日曜日のこと、
弟子たちは再び家の中におり、
トマスも彼らと一緒にいるとき、
戸には鍵がかけられていたのに、
イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、
「平安があなたがたにあるように」と言われ、



それから、トマスに
「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。
手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。
信じない者ではなく、信じる者になりなさい」、
と言われたのだそうです。



 トマスは、イエスに、「私の主、私の神よ」と答え、
イエスは彼に
「あなたはわたしを見たから信じたのですか。
見ないで信じる人たちは幸いです」と答えられたのだそうです。(ヨハネ20:19~20、24~29)

 確かに、【父である神】はイエスをよみがえらせなさったのですね。
「あなたは、私のたましいをよみに捨て置かず、
あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです」(詩篇16:10)と書かれているとおりに。



 【父である神】は、この、イエスが十字架刑で処刑され、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活されたことにより、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊の処刑が終わり、
もう、問われるべき責任は残っていないことを証明され、

 天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
私たちの思いの中にご自身の御思いを置き、
私たちのうちにご自身の御思いがあるようにしてくださって、
私たちがご自身と思いを一つにして、
新しく生きるようにしていてくださるのだそうです。



 今、着ている肉体を脱ぐことになっても、
復活されたイエスと同じような
新しい霊のからだを着せてくださって。


 神の国で、ご自身と思いを一つにしながら、
いつまでも、一緒にいるように、と。
今日も。





(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉





イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

つばめや鶴が帰る時を知っているように

2020-04-18 07:59:07 | 聖書から
空を飛ぶコウノトリもその季節を知っている。

山鳩もつばめも鶴も、渡る時を守る。
しかし、わが民は
主の定めを知ろうとしない。エレミヤ書8:7



 キリストが私たちのために
御自身を献げられたのは、
私達をあらゆる不法から贖(あがな)い出し、
良い行いに熱心な民をご自身のものとして
清めるためだったのです。テトス書2:14



 ルカ24:1~12
 Ⅰコリント15:35~49(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/18;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
嘆いておられるのだそうです。



 コウノトリも、山鳩もつばめも鶴も、渡る時を知っており、
帰る時を守るのに、
なぜ、わたしの民は背信を続け、偽りを握りしめ、
わたしに帰ろうとしないのか、と。



 それで、【父である神】は、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方に、
私たちすべての人間の背き、「的外れ」の責任を負わせて
十字架刑で処刑し、
私たちの
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとしてくださったのだそうです。



 そして新たに、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によってご自身の御思いを私たちの思いの中に置き、
私たちの心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。
私たちが【父である神】と思いを一つにして
良い行いに熱心な神の民となるようにと願って。



 そして、十字架刑で処刑され、死んで墓に葬られたイエスが、
その三日目の朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活したように、
私たちが、たとえ、死んで今のこの体を脱ぐことになっても、
【父である神】は、私たちにもイエスと同じような
新しい霊のからだを着せてくださるのだそうです。
裸のままでいることがないようにと。



 あの、週の初めの日の明け方早く、
マグダラのマリアほか、数人の女性たちが
イエスを手厚く葬ろうと、
用意しておいた香料をもって
イエスが納められた墓に行ったのだそうです。



 すると、墓の入り口の蓋をしていた大きな石が
墓からわきに転がされていて、
墓の中にはイエスのからだは見当たらなかったのだそうです。



 彼女たちが途方に暮れていると、
まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来たのだそうです。
彼女たちは恐ろしくなって地面に顔を伏せていると、
その人たちは言ったのだそうです。
「あなたがたは、
どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。
ここにはおられません。よみがえられたのです。
まだガリラヤにおられたころ、イエスがお話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、
十字架につけられ、
三日目によみがえると言われたでしょう」、と。



 それで彼女たちは墓から戻って、
ペテロたち11人とほかの弟子たち全員に
これらすべてのことを報告したのですが、
この話はたわごとのように思え、
11人の弟子たちも信じようとしなかったのだそうです。(ルカ24:1~12) 



 私たちは、「人は死んでも復活する」と聞いても、思うのですね。

「では、死者はどのようにしてよみがえるのか。
どのようなからだで来るのか」、と。



 麦であれ、他の穀物であれ、
私たちが畑に蒔くものは、死ななければ生かされません。
蒔くのは、後にできるからだを蒔くのではなく、ただの種粒です。
しかし、神は、御心のままに、それにからだを与え、
それぞれの種にそれ自身のからだをお与えになります。



 どんな肉も同じではなく、
人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉、それぞれ違うように、
天上のからだもあり、地上のからだもあるのだそうです。



 天上のからだの輝きと地上のからだの輝きは異なり、
太陽の輝き、月の輝き、星の輝き、それぞれが違うように、
死者の復活もこれと同じなのだそうです。
朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、
卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、
弱いもので蒔かれ、力あるものによみがえらされ、
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのだそうです。


 私たちは、土で造られた人のかたちを持っていたように、
天に属する方のかたちも持つことになるのだそうですから。(Ⅰコリント15:35~49)



 【父である神】は、帰ることを知らない私たちにも、
イエスによってご自身に帰る道を開いてくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにして良いわざに熱心な者ともして、この地上での生涯を生きさせてくださり、

やがて、天に属する栄光のからだにして、
いつまでも、ご自身と一緒にいるようにしてくださるのだそうですから。

この希望の中を、今日も。



(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉





イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

私たちを救おうと定めてくださって

2020-04-16 22:54:39 | 聖書から
主よ、常に身を避けるための住まい、
岩となり、私を救おうと定めてください。
あなたは私の大岩、私の砦。詩71:3



主は私をすべての悪い業から助け出し、
天にある御自分の国へ
救い入れてくださいます。Ⅱテモテ4:8



 ルカ24:36~47
 Ⅰコリント15:29~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/17;金)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちの避け所、岩となって、私を救ってくださるのだそうです。
どんな悪しき業からも助け出し、
天にある神の御国に救い入れてくださって。



 そのために、神の独り子であられる方が、
人間イエスとして人の世に来られ、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任を自分の身に負い、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。


 そして、死んで墓に葬られたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活なさったのだそうです。



 そのイエスが、集まっていた弟子たち、
11人とその仲間たちの真ん中に立ち、
「平安があなたがたにあるように」と言われたのですね。
弟子たちは、
幽霊を見ているのだとおびえて震えあがったのですが、
イエスは言われたのだそうです。
「なぜ取り乱しているのですか。
どうして心に疑いを抱くのですか。
わたしの手やわたしの足を見なさい。まさしくわたしです。
わたしにさわって、よく見なさい。
幽霊なら肉や骨はありません。
見て分かるように、わたしにはあります。」
こう言って、イエスは彼らにと足を見せられたのだそうです。


 そして、「ここに何か食べ物がありますか」と言われ、
弟子たちが差し出した
焼いた魚一切れを食べて見せたのだそうです。(ルカ24:36~47)



 パウロは言います。
「もし死者がよみがえらないのなら、
『食べたり飲んだりしようではないか。
どうせ、明日は死ぬのだから』ということになります。
惑わされてはいけません。
『悪い交際は良い習慣を損なう』のです。
目を覚まして正しい生活を送り、罪を犯さないようにしなさい」、と。(Ⅰコリント15:32~34)



 天の神、主は、私たちを救おうと定めていてくださり、
たとえ、死んでも
新しい霊のからだ、復活のからだを着せてくださって、
天のご自分の御国に救い入れてくださるのだそうですから。



 その希望の中を。
今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉





イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

自分の目には、「自分には、知恵がある]と見えるけれど

2020-04-16 08:21:58 | 聖書から
災いだ、
自分の目には知者であり、
うぬぼれて、賢いと思う者は。イザヤ書 5:21



私たちは世の霊ではなく、
神からの霊を受けました。
それで私たちは、
神から恵みとして与えられたものを
知るようになったのです。Ⅰコリント2:12



 ヨハネ21:1~14
 Ⅰコリント15:20~28(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句4/16;木)


 「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになっている私たちは、

心のどこかで、自分は知恵ある者、賢い者、
悟りのあるものだと思い、
自分の理性の善悪の判断に頼っている者のようです。



 それはうぬぼれであり、わざわいだと
天の神、主は、おっしゃるのですね。



 そのような知恵は過ぎ去って行くものであり、
その知恵によっては、だれ一人、
神の独り子である方が、人となって人の世に住まれ、
すべての人の身代わりとなって、神に呪われた者になり、
人の手によって十字架刑での処刑を受ける、などということは
理解の出来ないことですから。



 それで、【父である神】は、
自分を知恵ある者、善悪の判断の出来る者だと思っている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスの十字架刑での処刑に合体させて、
処刑された者、死んだものとしてくださり、

 その私たちに【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、

私たちを神からの霊を受けた者とし、
私たちがこの世の霊、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る知恵によってではなく、
神からの霊による知恵で生きるようにしてくださるのだそうです。



 神は、この知恵によって私たちが、
神が恵みとして提供していてくださっているものを
知ることができるようにしていてくださるのだそうです。


 あの金曜日の朝の9時ころ、
エルサレム郊外で、
ローマ兵によって十字架にかけられたイエスは、
午後3時ころ「完了した」と言われて息を引き取られ、
日没直前に、
近くにあったアリマタヤのヨセフが自分のために掘ってあった墓に葬られたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
墓の中から、新しい霊のからだに復活し、
何度も弟子たちにご自身を現されたのだそうです。



 三度目に、
復活されたイエスが弟子たちにご自身を現わされた次第は
次のようだったそうです。

シモン・ペテロとほかの弟子たちがガリラヤに帰り、
ガリラヤ湖で小舟に乗って漁に出たとき、
その夜は何も取れなかったのだそうです。



 夜が明け始めていたころ、岸に一人の人が立っていて、
「舟の右側に網を打ちなさい」と言ったのでそうしてみると
おびただしい数の魚が網にかかったので、
網を引き揚げることができなかったのだそうです。



 ヨハネがペテロに、「主、イエスだ」と言ったので、
ペテロは、裸に近かったので
上着をまとい、湖に飛び込んで岸へ向かったので、
ほかの弟子たちは
魚の入った網を引いて舟で岸に戻ったのですね。



 陸地に上がると炭火がおこされていて、
その上には魚とパンがあり、
イエスは、「今捕った魚を何匹か持って来なさい」と言われ、
パンを取り、彼らにお与えになり、魚も同じようにされたで
弟子たちは復活されたイエスと朝食を共にしたのだそうです。(ヨハネ21:1~14)



 このように、イエスは、眠った者の初穂として、
死者の中から新しい霊のからだによみがえられました。
死が一人の人を通して来たように、
死者の復活も一人の人を通して来たのだそうです。
アダムにあってすべての人が死んでいるように、
イエスにあってすべての人が生かされて。



 しかし、それぞれに順序があるのだそうです。
まず初穂であるイエス、
次に、イエスが二度目に天の雲に乗って来られるとき、
イエスによる神からのプレゼントである救いをもらっている人たち、

それから、世の終わりにそのほかに人たち、と。(Ⅰコリント15:20~28)



 この世の知恵では、愚かな作り話、
たわごとのようにしか思えないこのようなことですが、
自分を知恵ある者とするのはうぬぼれでしかないことを認めた人は、
神からの霊から来る知恵によって、
これが事実であることを知るのですね。



 そして、このことが自分の身にも完全に実現することを
待ち望みながら。
今日も。



(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
婚活で、広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。

〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]