朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

災いも疫病も、恐れなくてよくなるのだそうですから。

2020-04-06 23:42:55 | 聖書から
イスラエルの王なる主は
お前の中におられる。
お前はもはや、
災いを恐れることはない。ゼファニア書3:15



 イエスは弟子たちに言われた。
「なぜ怖がるのか。
まだ信じないのか。」マルコ4:40
 ヨブ記38:1~11、42:1~6
 マルコ14:66~72(通読箇所)

  (ローズンゲン『日々の聖句』4/7;火)



 イスラエルの王である主、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が私たちの中におられるとき、
私たちはもう、災いを恐れなくてよくなるのだそうです。



 この方が言われるのですから。
「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。
あなたの神、【主】は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。
主はあなたのことを大いに喜び、
その愛によってあなたに安らぎを与え、
高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」、と。



 だから、イエスに信頼していけば、舟を飲み込もうとする嵐も、
怖がらなくっていいのだそうです。



 この方は、【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いのとおりに地の基を、その大きさを定め、
その位置を定め。海の波の境界を定められた方。



 すべてのことができ、
どのような計画も不可能ではない方(ヨブ38:1~11、42:2)、
なのだそうですから。



 この方は、
「たとえ、ご一緒に死ななければならないとしても、
あなたを知らないなどとは決して申しません」と豪語するペテロが、
その数時間後には、
召使の女性や、下役の男から
「おまえもあのイエスの仲間だ」言われて、
「その人を知らない」と
三度も否定することを御存じで(マルコ14:66~72)、
前もってペテロに
「シモン、シモン。見なさい。
サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、
聞き届けられました。
しかし、わたしはあなたのために、
あなたの信頼がなくならないように祈りました。
ですから、あなたは立ち直ったら、
兄弟たちを力づけてやりなさい」、と、
言ってくださっていたのだそうです。(ルカ22:31~32)



 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたこのイエスが
私たちに派遣してくださるもう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちの中に、
いつまでも私たちとともにいて
私たちの心に【父であり神】の御思いを置き、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるように
して下さるのだそうですから。
今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉





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マリヤのように、イエスの言葉に聞き入って

2020-04-06 09:12:03 | 聖書から
わたしは多くの戒めを書き与えた。
しかし、彼らはそれを
無縁なものと見なした。ホセア書8:12



わたしは
真理について証しするために生まれ、
そのためにこの世に来た。
真理に属する者は皆、
わたしの声を聞く。ヨハネ18:37



 マタイ26:6~13
 マルコ14:53~65(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/6;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が
多くの戒め、教えを書き与えてくださっても、
私たちはこれを他国人のもののように見なし、
自分とは無縁なものとしてしまうのですね。



 イエスが、真理そのものとして
ご自身を証しするために来られても、
イエスの裁判をしたローマ総督ピラトがそうであったように、
人々はこれを自分とは関係のないものとして。



 しかし、真理に属する者、神に属する者は
イエスの言われることを聞くのだそうです。
そして、イエスを愛する者になるのですね。


 ベタニアのマリアが非常に高価なナルドの香油を、
そのつぼを割って、その全部イエスに注ぎかけ、
イエスから「わたしに埋葬の用意をしてくれた」と喜ばれたように。(マタイ26:6~13)



 確かに、その数日後には、
イエスは、12弟子の一人、イスカリオテのユダの裏切りによって
祭司長、律法学者たちに捕らえられ、
サンヘドリン(ユダやの最高法院)での裁判にかけられ、
大祭司からの
「おまえは、ほむべき方の子キリストなのか」との問いに、
「わたしがそれです。
あなたがたは、人の子が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲とともに来るのを見ることになります」と答え、
「神を冒涜することばだ」として、死刑の判決を受け、
十字架刑での処刑を受けることになったのですから。(マルコ14:53~65)



 私たち自身は、
イエスの言葉を自分に関係のない無縁なものとする者ですが、
マリヤのように聞き入るようでありたいですね。


 十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活され、
天の父である神の右の座に復帰されたイエスから派遣されて
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを
私たちの心に書きしるしてくださるのだそうですから。
今日も。



(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
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婚活で、広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは、
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