朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

悲しみが、喜びに変わって

2019-04-14 23:31:44 | 聖書から
 人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が
永遠の命を得るためである。ヨハネ3:14、15(4/14の週の聖句)



 天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろして、
あなたの民イスラエルを祝福してください。申命記26~15



 主はそのしもべイスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません。ルカ1:54



 ヨハネ12:12~19
 詩69:17~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/14;Ⅱ日曜)



 あなたは再び私たちにいのちを得させ、
あなたによって、
喜び祝うようにしてくださらないのですか。詩85:7


 イエスの言葉:
今はあなたがたも悲しんでいる。
しかし、わたしは再びあなたがたと会い、
あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。ヨハネ16:22

 マタイ26:6~13
 マタイ26:69~75(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/15;月)



 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
ご自分の民とされたイスラエルを、
そして、その、アブラハムの信頼に続く者となった私たちを
祝福しようとしていてくださる方なのですね。
憐れみをもって。

 それで、約束のとおりに
【御子である神】を「女の子孫」として、
ダビデの家系の処女マリヤの胎を通して
人の世に派遣されたのだそうです。

 その、人となられた【御子である神】
イエスは言われました。
「モーセが荒野で蛇を上げたように、
人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、
人の子にあって永遠の命を持つためです」と。

 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛されているのだそうです。
御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つように(ヨハネ3:14~16新改訳)、
神との正しい関係の中で生きるように、と。

 この方は柔和な、優しい方。
その時のエルサレム入城にも、
軍馬に乗ってではなく、ろばに、
しかも、母ろばもいたのに、
まだ、人を乗せたことのない子ろばに乗って(ヨハネ12:12~16)。

 そして、詩篇69:19~21で歌われているように、
そしりと恥と侮辱とを受けられ、
同情者も、慰める者もなく、
十字架刑での渇きの中でも酢を飲まされて。

 そして、この方こそ、
イスラエルの栄光を取り戻してくださる方と期待していた、
その肝心な先生が捕らえられ
十字架刑で処刑されることになって、
悲しみと失望、落胆の中にいた弟子たちに
驚きの知らせが届いたのですね。
三日目の日曜日に。
「イエスはよみがえられた」との。

 そして、新しい霊のからだに復活されたイエスに出会い、
喜びに満たされて。

 40日にわたって何度も弟子たちに現れて
神の国のことを語ったイエスは、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたのだそうです。

 そして、「わたしが去って行くことは、
あなたがたにとって益なのです。
それは、もしわたしが去って行かなければ、
助け主があなたがたのところに来ないからです。
しかし、もし行けば、
わたしは助け主をあなたがたに遣わします」(ヨハネ16:7)
と言っておられたとおりに、
10日後の五旬節(ペンテコステ)の日に、
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)が
待ち望んでいた弟子たちに来てくださり、
弟子たちは、この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのままに語ることを
始めたのだそうですから(使徒2章)。

私たちにも。
今日も。


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柔らかな言葉、平和を実現する者にと

2019-04-13 21:17:10 | 聖書から

 柔らかな応答は怒りを静め、
傷つける言葉は怒りをあおる。箴言15:1

 平和を実現する人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。マタイ5:9

 ルカ18:31~43
 マタイ26:57~68(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/13;土)
 
 人は、心に満ちていることを口が話すのだそうです(マタイ12:34)。
柔らかな、優しい心の人からは柔らかな言葉が出てきます。

 しかし、「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている私たち(創世記3:5、22)、

 「私は天に上ろう。
神の星々のはるか上に私の王座を上げ、
北の果てにある会合の山にすわろう。
密雲(神の御座をおおっている)の頂に上り、
いと高き方のようになろう」とするサタンの性質を受けて
「的外れ」になっている私たちは、
自分を一番上に置き、
よいもののすべてを独占しないと気が済まないのですね。

 その私たちの心から出て来る思いは、
人を批判し、傷つける思いであり、
その口からは傷つけ、怒りをあおる言葉が出て来ることになるのですね。

 イエスは弟子たちに言われました。
「さあ、これから、
わたしはエルサレムに向かって行きます。
人の子について預言者たちが書いているすべてのことが
実現されるのです。
人の子は異邦人に引き渡され、
そして彼らにあざけられ、
はずかしめられ、つばきをかけられます。
彼らは人の子をむちで打ってから殺します。
しかし、人の子は三日目によみがえります。」(ルカ18:31~33新改訳)と。

 そして、あの夜、
大祭司から派遣された人々は、
十五夜に近い月明かりのゲツセマネの園でイエスを捕らえ、
イエスを大祭司カヤパのところへ連れて行ったのだそうです。

 大祭司はユダヤの最高議会を開き、
イエスを死刑にするために、
イエスを訴える偽証を求めたのですが、
証拠はつかめなかったのだそうです。

 そこで、大祭司が言ったのですね。
「私は生ける神によっておまえに命じる。
おまえは神の子キリストなのか、答えよ」と。

 イエスは
「あなたが言ったとおりです。
しかし、わたしはあなたがたに言います。
あなたがたはいまから後に、
人の子が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲に乗って来るのを見ることになります」と答えられ、
「神への冒涜だ。彼は死に値する」とされたのだそうです。

 そして、彼らはイエスの顔につばきをかけ、
こぶしでなぐりつけ、また、平手で打って、
「(おまえが全知なる神、キリストなら)当てて見ろ。
おまえを打ったのはだれか」(マタイ26:57~68)と侮辱したのですね。

 そして、ユダヤの死刑の仕方は石打の刑なのですが、
その当時、ユダヤはローマの支配下にあり、
ユダヤ人には死刑が許されていなかったので、
ローマ総督ピラトに訴え出たのだそうです。

 そして、ピラトが無罪を認めて釈放しようとするのを、
大衆をもって暴動を起こす勢いで迫り、
無理やり死刑の判決を出させて、
異邦人であるローマ兵の手によって、
ローマの処刑の方法である十字架刑で処刑させることに成功したのだそうです。

 このようにして、サタンは
「女の子孫」として来られた方のかかとにかみついたのですが、
しかし、そのことがサタンの頭を踏み砕く」(創世記3;15)
ことになったのだそうです。

 【父である神】は、
この、イエスが受けられた十字架刑での処刑をもって、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任が果たされたもの、
私たちの処刑が終わったものとしてくださるのだそうです。
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとしてくださって。

 さらに【父である神】は
死んで墓に葬られたイエスを三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れさせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。

 そして、このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
一人一人の心に置き、書きしるしてくださって、
受け入れる者の心に
ご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです。
受け入れる者がご自身と一つ心になるようにと。

 それで、受け入れる者は
神と思いを一つにする「神の子」の身分を与えていただき、
イエスのように、柔らかな応答をする者に、
平和を実現する者にもしていただけるのだそうです。
イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって。

 サタンの、私たちを地獄の道連れにしようとする目論見を打ち破って。
今日も。


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天にあるもの、地にあるもの、すべてを造り、指揮しておられる方が

2019-04-11 00:00:30 | 聖書から
 わたしは自分の手で天を広げ、
その万象を指揮するもの。イザヤ書45:12



 天にあるものも地にあるものも、
見えるものも見えないものも

王座も主権も、
支配も権威も、
万物は御子によって、
御子のために造られました。コロサイ書1:16

 ヘブル書9:11~15
 マタイ26:31~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/10;水)

主は恵み深く正しくいまし、
罪人に道を示してくださいます。詩25:8

 ペトロがイエスに言った。
「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したなら、
何回赦すべきでしょうか。
7回までですか。」
イエスは言われた。
「あなたに言っておく。
7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」マタイ18:21~22

 エレミヤ書15:15~21
 マタイ26:36~46(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/11;木)


 「このわたしが地を造り、
その上に人間を創造した。
わたしはわたしの手で天を引き延べ、
その万象に命じた」と言われる方。

 その万物、
天にあるもの、地にあるもの、
見えるもの、見えないもの、
王座も主権も、
支配も権威も造られた方である
【御子である神】が、
天の、その栄光の位を後にして、
人となって、人の世に来てくだったのですね。
しかも、仕えるために、
すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負って
神に反逆した者、神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けられるために。

 私たちを贖(あがな)い、買い戻して、
死んだ行いから離れさせ、
生ける神に仕える者にするために(ヘブル9:11~15)。

 私たちの信仰は、
あのペテロのように、
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、
私は、あなたを知らないなどとは決して申しません」
と言っておきながら、
その夜のうちに、女中や下役の
「あなたはあのイエスといっしょだった」という言葉に、
大慌てで、「そんな人は知らない」と
呪をかけて誓ってまで言うような、
当てにならないものです(マタイ26:31~35、69~75)。

 天の神、主は、私たちのそのような実態をよくご存じで、
私たちの信仰によらず、
ご自身の信において、
私たちの「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせて
処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって、
ご自身の御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうです。
一日に、7の70倍までも赦してくださる恵み深い御思いを。

 それで、受け入れる者は、
天の神、主の恵み深い御思いと
思いを一つにして生きるようにしていただけるのだそうです
(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)。

 天地万物、万有を造られた方、
愛において【父である神】と思いを一つにしておられる
【御子イエス】と思いを一つにして。
今日も。


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待ち望みます。この方を

2019-04-08 07:43:45 | 聖書から
 私の魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして。詩130:6

 愛する人たち、
あなたがたは
最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。
聖霊の導きの下に祈りなさい。
神の愛によって自分を守り、
私たちの主イエス・キリストの憐れみを
待ち望みなさい。ユダ書20~21

 エフェソ書2:11~16
 マタイ26:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/8;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
恵みがあり、
豊かな贖(あがな)いがある方。

 それで、私たちはこの方を待ち望むのですね。
夜の見張りが朝の交代の時間を待ち望むのにもまさって。

 異邦人である私たち、
以前には、キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 しかし、遠く離れていた私たちも、
今ではキリスト・イエスの中にあることにより、
キリストの血によって近い者とされました。

 キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、
隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。
敵意とは、さまざまな規定から成り立っている
戒めの律法なのです。

 このことは、
二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、
 また、両者を一つのからだとして、
十字架によって神と和解させるためなのです。
敵意は十字架によって葬り去られました(エペソ2:11~16新改訳)。

 ですから、私たちはこの方への信頼において生活するのですね。
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる思い、願いのままを
【父である神】に申し上げ、知っていただきながら、
神の愛のうちにとどまり続け、
永遠のいのちに至らせる、
私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望んで。

 ベタニヤのマリヤが、
労働者の1年分の給料にも当たるような高価なナルドの香油を
つぼごと割って
十字架刑での処刑を受けようとしているイエスの頭に注いだように(マタイ26:1~16)

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
イエスへの愛を心に置いていただいて。
今日も。

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喜びが内にあり、みたされるように、と。

2019-04-07 19:34:31 | 聖書から
 人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献げるために来た。マタイ20:28(4/7の週の聖句)



 命の神に向かって、
私の身も心も叫びます。詩84:3



 イエスの言葉:
父がわたしを愛されたように、
わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。
これらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたの内にあり、
満たされるためである。ヨハネ15:9、11



 マルコ10:35~45
 詩69:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/7;Ⅰ日曜)


 私たちが叫び求める神、呼び求める神は、
私たちのことを愛し、大切に思っていてくださる方なのですね。


 私たち人間を、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」
とイメージしてくださり、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
互いに愛し、尊敬し合うゆえに、
自由意思で自発的に心を一つにし、存在を一つにしておられる、
それを表すかたち、モデルとして私たち人間をイメージし、
そのとおりに創造してくださったのだそうですから。



 そして、その創造された場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者に、神のようになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
神と心を一つにしようとせず、
自分ひとりの理性の判断だけで善し悪しを決定する
「的外れ」になっているわたしたち人間を
廃棄処分にすることなく、
なお、愛して、


イエスが言われたように、
「それは父よ、あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らがみな(わたしたちと)一つになるためです。
また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。
わたしたちがひとつであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるためです」(ヨハネ17:21~22新改訳)と、
「われわれのかたち」に
【われわれ】の一つを表す者に
回復しようとしていてくださるのだそうですから。



 【御子である神】が、
天での栄光の御座をあとにして、
「女の子孫」(創世記3:15)として、人の世に下り、
私たち、すべての人間の身代金、贖(アガナ)い、買い戻しの代金、となって、
私たち、すべての人間の「的外れ」の責任をご自身に背負って、
神に反逆し、神に呪われたものとなって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。



 そして、私たち自身である、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
このイエスの処刑に合わせて処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださって。



 そのうえで、【父である神】は、
処刑を受け、死んで葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを伝えた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰なさせたのですね。



 そして、このイエスを通して、

もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
書きしるしてくださって(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)、
【われわれ】の御思いが私たちのうちにあり、
私たちの思いが【われわれ】のうちにあるようにしてくださるのだそうです。



 私たちを、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:3~8)、
新しい生き方をする者(ガラテヤ5:24~25)に。


 それで、私たちは、
この愛を受け続け、とどまり続け、
喜びに満たされ続けていくようにしていただけるのですね。

 イエスがそうされたように
皆に仕える者、皆のしもべの心にしていただき(マルコ10:35~45)、

ダビデが、あの詩篇で叫んでいるように(詩篇69:1~16)、
心のままを、ありのままの思いを神に叫び、
聞いていただき、見ていただき、
私の思いが、
【われわれ】、神の御思いの中にあるようにしていただきながら。
この新しい週も。

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