朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

「主の御心であれば、生きながらえて、あのこともこのこともしよう」と

2016-11-25 08:52:18 | 聖書から
人間の心は自分の道を計画する。

  主が一歩一歩を備えてくださる。箴言16:9




 あなたがたは、

「主の御心であれば、

生き永らえて、あのことやこのことをしよう」

と言うべきです。ヤコブ書4:15




 ヘブル書13:10~16

 イザヤ書58:1~9a

      (ローズンゲン日々の聖句11/25;金)




 私たちは自分の道を思いめぐらし、いろいろ計画しているのですが、

その一歩一歩は、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が備えてくださった出来事の中でできていること、なのだそうですね。




 私たちは自分が生きていくために必要なもの、環境を自分で準備したわけではないし、

自分自身の身体さえも自分で動かしているわけではないし、

その考える力自体、理性さえも、自分で保っていけているわけでもないですものね。




天の神、主が、支え、保っておられるその手をちょっとゆるめたら、私たち自身、どうなるかわからないし、この地球自体、この宇宙がどうなってしまうかわからないわけですから。




私たちは、天の神、主が、支え、保っておられる中で今日を存在しているもの、

主の許可の中で今日を生きているもの、なのだそうですから。







 だから、主イエスの弟のヤコブがその手紙で、

「聞きなさい。

『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに1年いて、商売をして、もうけよう』と言う人たち。

あなたがたにはあすのことはわからないのです。

あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。

あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えていく霧にすぎません。

むしろ、あなたがたはこう言うべきです。

『主のみこころならば、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』

ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。

そのような高ぶりは、すべて悪いことです」(ヤコブ4:13~16)と書いているように、

私たちは、天の支えと許可の中で存在しているものであることを認めるべきなのでしょうね。







 そればかりではなく、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちひとり一人の人生にご計画を持っていてくださって、私たちひとり一人をとおしてやって行きたいこと、実現したいことがあるのだそうです。

この世界が保たれ、歴史が進んで行くために。




 それで、天の神、主は、私たちに、自分の自由意思で、自分からすすんで、ご自分と思いを一つにし、心を合わせてことを進めていく者になって欲しいと願っておられるのだそうです。




 イエスの十字架刑での処刑を、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、神である主に対抗する者になっている、自分の「生まれたときからの霊」の処刑と受け取って、処刑されたもの、処罰が終わっているものとされ、

イエスが派遣されるもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、

この方によって、ご自分の、一人ひとりに対する思いがそれぞれの心に置かれ、書きしるされ、

ご自分と一つ思い、一つ心になって、協働していく同労者になってくれるように、と。




 この地上に永遠の都を求めようとする心から、後に来ようとしている都を求める心に替えられ、

キリストを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえるくちびるの果実を、絶えず神にささげ、

善を行うことと、持ち物を人に分け与えることに心を用い(ヘブル13:13~16)、

悪のきずなを解き、くちびるのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、

すべてのくびきを砕き、飢えた者には自分のパンを与え、家のない貧しい人々を家に入れ、

裸の人を見て、これに着せ、自分の肉親の世話をし、

暁のように光がさしいで、傷がすみやかにいやされ、

義は私たちの前に進み、主の栄光が、私たちのしんがりとなり、

私たちが呼ぶと、主、「わたしはある」と言う方が答え、

私たちが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる関係に(イザヤ58:6~9a)。

今日も。


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私たちを贖い、救うために世に来られた方が

2016-11-23 20:37:58 | 聖書から
私は知っている、

  私を贖(あがな)う方は生きておられる。ヨブ記19:25




 パウロの言葉:

「キリスト・イエスは、

罪人を救うために世に来られた」という言葉は

真実であり、そのまま受け入れるに値します。

私は、その罪人の中で最たる者です。Ⅰテモテ1:15




 Ⅰテサロニケ5:9~15

 イザヤ書57:14~21

      (ローズンゲン日々の聖句11/24;木)

 

一日のうちに、全財産と、7人の息子、3人の娘も失ったヨブ。

そのうえ、頭のてっぺんから足の先まで悪性のできものができ、

家の中にもいられず、灰の中に座り、土器のかけらで身をかいているヨブ。

妻からは「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。

神を呪って死になさい」とまで言われ(ヨブ1:1~2:9)、

親しい友人たちからも、あなたが罪を犯したから、このような不幸に遭うのだ、と責められたのだそうです。




 そのとき、ヨブは、後の日に、救い主が、自分を贖ってくださる方が、人の世に来られることに望みをかけたのだそうです。




このヨブの望みは、それからおそらく2000年ほどの時を経て、イエスの誕生によって実現したのだそうです。







 使徒として立てられたパウロも言います。

「イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」と。

イエスは、その罪人の中で最たるもの、罪人のかしらのような私をも救ってくださった、と。




 そして、イエスが私たちのために十字架に架かって死んでくださり、救ってくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためだ(Ⅰテサロニケ5:10)と。




 イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、私という「生まれたときからの霊」を処刑されたもの、死んだものとしていただき、




イエスが派遣してくださるもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、

この方によって「父である神」が私たちひとり一人に思っておられる御思いを心に置いていただくなら、

私たちは、この部分において、「父である神」と同じ思いを思い、一つ思いを思う者にしていただけるのだそうです。




それで、「御父」と完全に心を一つにしておられる御子イエスとも一つ心になり、

イエスとともに、イエスとの一つの中を生きる者としていただけるのだそうです。

目ざめているときも、眠っているときも。

今日も。





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あの方の御思いのとおりに生きていく者に

2016-11-22 22:00:27 | 聖書から
ノアは
  すべて神が命じられたとおりに果たした。創世記6:22

 信仰によって、
ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、
恐れかしこみながら、
自分の家族を救うために箱舟を造りました。ヘブル書11:7

 Ⅰコリント3:9~15
 イザヤ書57:1~13
      (ローズンゲン日々の聖句11/23;水)

 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
人が地上に増え始め、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になり、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められたのだそうです。

 そして主、「わたしはある」という者と名乗られる方は、仰せられたのだそうです。
「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。
人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。
わたしは、これらを造ったこと残念に思うからだ」(創世記6:5~7)と。

 しかし、ノアは、正しい人であって、その時代にあっても全き人で、神と共に歩んでいたので、主、「わたしはある」という者と名乗られる方の心にかなっていたのだそうです。

 神が地をご覧になると、地は、神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていたので、ノアに仰せられたのだそうです。
「すべての肉なるものの終わりが、私の前に来ている。
地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。
それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。
箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
それを次のように造りなさい。
箱舟の長さは300キュピト(約132m)。その幅は50キュピト(約22m)。その高さは30キュピト(約13,2m)。
箱舟に天窓を作り、上部から1キュピト以内にそれを仕上げなさい。
また、箱舟の戸口をその側面に設け、1階と2階とと3階にそれを作りなさい。

 わたしは今、いのちの息のあるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、
地上の大水、大洪水を起こそうとしている。
地上のすべてのものは死に絶えなければならない。

 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。
あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟に入りなさい。
またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。
それらは、雄と雌でなければならない。

 また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。
あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい」(創世記6:8~21)と。

 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行ったのだそうです。

 現在、東京港、門司港間の太平洋を走るオーシャンフェリーの「しまんと」は全長190m、巾27m。これの一回り小さいとはいえ、これに近い箱舟をノアは造ったということのようです。
今から4800年ほど前に。
完成するのに何年かかったのでしょうか。
ノアに3人の息子、セム、ハム、ヤペテが生まれたのがノア、500歳のとき、
洪水が起こったのが600歳のときと聖書には記されていますが。
多分、少なくとも数十年。
その間、周りの人々はノアをあざ笑い、狂人扱いしたことでしょう。
だから、箱舟が完成し、ノアが、洪水が起こるから箱舟に入るよう周りの人を説得しようとしてもノアの家族以外、誰も箱舟に入ろうとはしなかったのでしょうね。

 私たちも、ノアのように神の言葉をそのとおりに受け取っていきたいものですね。
御子イエスの十字架刑での処刑によって、私自身である「生まれた時からの霊」を処刑済み、死んだものとしていただいて、
イエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって「父である神」が私たち一人一人に思っておられる御思いを心に書き記していただいて、
「御父」と同じ思い、一つ思いになって生きる、神の霊が宿っている神の神殿としていただき(Ⅰコリント3:17)、
地を受け継ぎ、神の聖なる山を所有する者にしていただける(イザヤ57:13)という。
今日も。
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一つになってくださるのだそうです。とこしえに。私たちと、あの方が。

2016-11-22 09:00:45 | 聖書から
山々はエルサレムを囲み、

  主はご自分の民を囲んでいてくださる。

 今も、そしてとこしえに。詩編125:2




 預言者ヨハネの言葉:

そのとき、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。

「見よ、神の幕屋が人の間にあって、

神が人と共に住み、人は神の民となる。」黙示録21:3




 Ⅰペテロ1:13~21

 イザヤ書56:9~12

      (ローズンゲン日々の聖句11/22;火)




 エルサレムは、山々に囲まれ、三方が谷で天然の要害のよう、なのだそうですが、

そのように天の神、主、「私はあるという者」と名乗られる方は、ご自身を受け入れる者をご自分の民とし、要害となって取り囲み、守ってくださるのだそうです。




 この方は、今の、この人間の歴史を終わらせ、新しい天と地、新しい神の都エルサレムを来たらせるとおっしゃっておられますが、ヨハネは、その、見た幻を次のように記しています。




「また私は、新しい天と新しい地を見た。

以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。

私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。

そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。

『見よ。神の幕屋が人と共にある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。

また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。

もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。』




すると、御座に着いておられる方が言われた。

『見よ。わたしはすべてを新しくする。』

また言われた。

『書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。』

また言われた。

『事は成就した。

わたしはアルファ(α)であり、オメガ(ω)である。

最初であり、最後である。

わたしは渇くものには、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。

勝利を得る者は、これらのものを相続する。

わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。』」(黙示録21:1~7新改訳)と。







 このようにして、天の神、主、「わたしはあるという者」と言われる方は、

最初の「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」と言われた天地創造の目的(創世記1:26))が、




そして、イエスがご自分がこれから十字架刑での処刑を受ける目的として言われた

「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。

また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。

それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。

それは、彼らが全うされて一つとなるためです」(ヨハネ17:21~23)が、具体的に受け入れる者に実現するのだそうです。




 それで、私たちも、ペテロが言うように、

「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵み、(この出来事)を、ひたすら待ち望み」(Ⅰペテロ1:13)ながら、ゴールとして見据えながら生きるのですね。

今日も。


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栄華を極めたソロモンよりも美しく

2016-11-21 08:27:25 | 聖書から
主の御業は大きく、

  それを愛する人は皆、それを尋ね求める。詩編111:2




 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。

働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。

栄華を極めたソロモンでさえ、

この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。ルカ12:27




 ヘブル12:18~25

 イザヤ書56:1~8

      (ローズンゲン日々の聖句11/21;月)




 詩人はうたいました。 

「その御業は尊厳と威光。

その義は永遠に堅く立つ。

主は、そのくすしいわざを記念とされた。

主は情け深く、憐れみ深く、主を恐れる者に食べ物を与え、

その契約をとこしえに覚えておられる。

御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。

それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行われる。

主は、御民に贖(あがな)いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。

主の御名は聖であり、おそれおおい。

主を恐れることは、知恵の初め。

これを行う人はみな、良い明察を得る。

主の誉れは永遠に立つ。」(詩篇111:3~10)と。




 この方は、野のゆりの花を装われる方。

私たちに生きていくのに必要なもの、食べるもの、着るものを用意していてくださる方。

イエスが私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださったことによって、私たちの「生まれたときからの霊」を処罰済み、処刑されたものと手続きしてくださって、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださり、

この方の働きで私たちの心に「父である神」が私たちひとり一人に思っておられる御思いを置いてくださって、受け入れる者が、自分の「生まれたときからの霊」から来る思いによって生きるのではなく、「父である神」の御思いによって生きる、「御父」と思いを一つにしながら生きるようにしてくださるのだそうです。




 受け入れる者に「息子、娘たちにもまさる名を与え、

天の神、主の聖なる山、主の祈りの家で楽しませようと思っていてくださるのだそうですから(イザヤ56:4~7)。

今日も。


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