見よ、
あなたの王が来る、
彼は神に従い、勝利を与えられた者。ゼカリヤ書9:9(11/27の週の聖句)
わたしの口から出るわたしの言葉も、
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ、
わたしが与えた使命を必ず果たす。イザヤ書55:11
弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼
らの語る言葉が事実であることを、
それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。マルコ16:20
マタイ21:1~9
詩篇24
(ローズンゲン日々の聖句11/27降臨節第1主日)
紀元前520年頃のこと、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
ゼカリヤを預言者として立て、告げられたのだそうです。
「シオンの娘よ。大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。喜び叫べ。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。
それも、雌ろばの子の子ろばに。
わたしは戦車をエフライムから絶やす。
戦いの弓も絶たれる。
この方は諸国の民に平和を告げ、
その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る」(ゼカリヤ9:9~10新改訳)と。
そして、520年ほどの後、「神のことば」として人の世に来られた方、イエスは、
イザヤの預言にあるように、「父である神」が望まれるとおりに、
その使命を果たされたのだそうです。
およそ33歳の過ぎ越しの祭りのとき、軍馬ではなく、ろばに、
しかもまだ人を乗せたこともない子ろばに乗ってエルサレムに入城され(マタイ21:1~9)、
私たち人間のすべてのそむきの責任を負って、
神に呪われたものとして十字架刑での処刑を受け、
受け入れる者を処罰の終わった者、罰の残っていない者としてくださって
神との和解の道を開いてくださったのだそうです。
墓に葬られたイエスは、三日目、日曜日の早朝、新しい霊の身体で復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
数多くの確かな証拠をもってご自分が生きていることを示されたのち、
オリーブ山から、弟子たちの見ている前で
天の「父である神」の右の座に帰られたのだそうです。
そして、そこからもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださって、
この方の働きで受け入れる者の心に
「父である神」がひとり一人に思っておられる御思いを
置いてくださり、書きしるしてくださって、
受け入れる者が「父である神」の御思いのように生きる者にしてくださるのだそうです。
それで、この方、「聖である霊」と呼ばれる方に来ていただいた弟子たちは、
御思いのとおりに、このイエスによる救いを地の果てにまで伝えて行き、
現在に至っているのだそうです。
御子であるイエスは、2000年ほど前には、私たちのそむきの責任を負って十字架刑での処刑を受けるために世に来られたのだそうですが、
やがて、王として、
世界に正義と公正、平和をもたらすために来てくださるのだそうです。
その時を待ち望む者はうたうのですね。
「門よ。おまえたちのかしら上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王が入って来られる。
栄光の王とは、だれか。
強く、力ある主。
戦いに力ある主。
門よ。お前たちのかしらを上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王が入って来られる。
その栄光の王とはだれか。
万軍の主。これぞ、栄光の王」(詩篇23:7~10)と。
私たちも。
この新しい週も。
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あなたの王が来る、
彼は神に従い、勝利を与えられた者。ゼカリヤ書9:9(11/27の週の聖句)
わたしの口から出るわたしの言葉も、
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ、
わたしが与えた使命を必ず果たす。イザヤ書55:11
弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。
主は彼らと共に働き、彼
らの語る言葉が事実であることを、
それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。マルコ16:20
マタイ21:1~9
詩篇24
(ローズンゲン日々の聖句11/27降臨節第1主日)
紀元前520年頃のこと、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、
ゼカリヤを預言者として立て、告げられたのだそうです。
「シオンの娘よ。大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。喜び叫べ。
見よ。あなたの王があなたのところに来られる。
この方は正しい方で救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。
それも、雌ろばの子の子ろばに。
わたしは戦車をエフライムから絶やす。
戦いの弓も絶たれる。
この方は諸国の民に平和を告げ、
その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る」(ゼカリヤ9:9~10新改訳)と。
そして、520年ほどの後、「神のことば」として人の世に来られた方、イエスは、
イザヤの預言にあるように、「父である神」が望まれるとおりに、
その使命を果たされたのだそうです。
およそ33歳の過ぎ越しの祭りのとき、軍馬ではなく、ろばに、
しかもまだ人を乗せたこともない子ろばに乗ってエルサレムに入城され(マタイ21:1~9)、
私たち人間のすべてのそむきの責任を負って、
神に呪われたものとして十字架刑での処刑を受け、
受け入れる者を処罰の終わった者、罰の残っていない者としてくださって
神との和解の道を開いてくださったのだそうです。
墓に葬られたイエスは、三日目、日曜日の早朝、新しい霊の身体で復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
数多くの確かな証拠をもってご自分が生きていることを示されたのち、
オリーブ山から、弟子たちの見ている前で
天の「父である神」の右の座に帰られたのだそうです。
そして、そこからもう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださって、
この方の働きで受け入れる者の心に
「父である神」がひとり一人に思っておられる御思いを
置いてくださり、書きしるしてくださって、
受け入れる者が「父である神」の御思いのように生きる者にしてくださるのだそうです。
それで、この方、「聖である霊」と呼ばれる方に来ていただいた弟子たちは、
御思いのとおりに、このイエスによる救いを地の果てにまで伝えて行き、
現在に至っているのだそうです。
御子であるイエスは、2000年ほど前には、私たちのそむきの責任を負って十字架刑での処刑を受けるために世に来られたのだそうですが、
やがて、王として、
世界に正義と公正、平和をもたらすために来てくださるのだそうです。
その時を待ち望む者はうたうのですね。
「門よ。おまえたちのかしら上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王が入って来られる。
栄光の王とは、だれか。
強く、力ある主。
戦いに力ある主。
門よ。お前たちのかしらを上げよ。
永遠の戸よ。上がれ。
栄光の王が入って来られる。
その栄光の王とはだれか。
万軍の主。これぞ、栄光の王」(詩篇23:7~10)と。
私たちも。
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