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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

豊かな恵みを与えたいのだそうです。あの方

2014-08-21 00:25:48 | 聖書から
あなたの神、

主は、

あなたの手の業

すべてに

豊かな恵みを

与える。

申命記30:9

 





シモン(ペテロ)は、

「先生、

私たちは、

夜通し苦労しましたが、

何もとれませんでした。



しかし、

お言葉ですから、

網を降ろしてみましょう」

と答えた。

ルカ5:5

   



 (ローズンゲン日々の聖句8/2;木)

...

 



恵みを豊かに与えたいのですね。

あの方。




この時、

シモン・ペテロが、

長年の漁師の経験を駆使し、

一晩中、

網を打ったのに

一匹の魚も取れなかった。



今、

漁には何の経験もない

大工のイエスが、

「深みに漕ぎ出して、

網を降ろして、

魚をとりなさい」と

言っても、



漁のことは

あなたより私の方がよく知っているのですよ。

ど素人のあなたが

そんなことを言っても、

魚が取れるわけないでしょう。



私たち、

一晩中、

働いて

疲れているのですよ

と思ったであろう、



その

自分の思いを

後にし、



ともかく、

そう言われるから、

言われたとおりに

やってみた。



そこに、

素晴らしい

神の御業が

現れたのだそうです。



網がいっぱいになって、

応援に来てもらった

もう一そうの船も

沈みそうになるほどだった。





それで、

ペテロは、

イエスに神的なものを感じて、



思わず

イエスの足もとに

ひれ伏したのだそうです。

 



聖である霊と呼ばれる方によって

私たちの心に来る、

あの方の御思いは、



往々にして、

生まれた時からの私という霊から来る

思いとは

違うのだそうです。





その時、

どちらの思いに

ついて行くのか。




この時のペテロのように、

「しかし、

お言葉ですから、

おっしゃるとおりにやってみましょう」と、



あの方の御思いについて行くことが、

素晴らしい、

あの方の御業、

恵みを

いただいていくことになるのですね。



今日も。





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私たちのうちにも来るのだそうです。あの方の御思いが

2014-08-19 23:37:01 | 聖書から
主は

わたしの嘆きを

聞き、



主は

わたしの祈りを

受け入れて下さる。

詩編6:10

 





目を覚まして

感謝を込め、

ひたすら

祈りなさい。

コロサイ書4:2

   



 (ローズンゲン日々の聖句8/20;水)

...





あの方は、

いつも、

いつまでも

私たちと一緒にいようと

思って下さるのだそうです。





それで、

嘆きの声、泣く声を、

「帰って来てください」との

あの方への切なる願いを

私のうちに置かれ、

祈り願わせてくださるのだそうです。

 



「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして

あなたの神、主を

愛しなさ」

(申命記6:5)

と外側から教えられても、



心はそれに伴わない私たち

善悪を知る者になった人間。



自分があの方々のひとりのようになろうとし

(創世記3:22)、



あの方を無視して、

自分一人で

善悪の決定をし、



その思いを押し通し、

他を従わせようとする者。



自分一人が頂点に立ち

(イザヤ14:14)、

他を顧みようとしない

私たちの本性。





 「心の一新によって自分を変えなさい。」

(ロマ12:2)


外側からの戒め、教えでは

変わりようのない者も、

心が変われば

変わることができるのですね。





心の思いは、

霊から来るのですから、

霊を取り替えれば

心の思いは変わります。
 



それで、

あの方は、



まず、

独り子である方を

人間イエスとして人の世に生まれさせ、



この方が33歳の頃、

私たち人間の背きの罪のすべてを

この方の上に置いて

この方を

十字架刑で処刑し、



私たちの生まれた時からの霊を

処刑されたものとする手続きを

完了して下さったのだそうです。
 



そのうえで、

もう一人の方、

聖である霊と呼ばれる方を

私たちのうちに派遣して、



この方によって

私たちが

新しい心で

生きるようにして下さった。

 



イエスがそうであったように

(ヨハネ14:10)、

私たちにも

うちに住まわれる聖である霊と呼ばれる方が

私たちの心に

父である方の御思いを置いて下さるのだそうです。



父である方と同じ思い、

父である方が

私をとおしてしようと思われる思いと同じ思いが

私の心の中にも

来るのだそうです。
 



今までの

生まれた時からの私という霊かる来る思いは

死んでしまった者からの思いと

計算して

(ロマ6:11)、



聖である霊から来る思いを

私の思いとして

生きていく

新しい生き方が始まるのだそうです。

 



目をさまし、

この方との関係を

はっきり意識しながら、



この方から

私の心に来る思いを

私の願いとして

祈っていく者に

していただけるのですね。



今日も。












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ソロモンの神殿でさえもふさわしくないのに、私たちに

2014-08-18 22:37:15 | 聖書から
ソロモンの言葉:

神は

果たして

地上にお住まいになるでしょうか。



天も、

天の天も

あなたをお納めすることが

できません。



私が建てたこの神殿など、

なお

ふさわしくありません。

列王記上8:27

 



どうか、

信仰によって

あなたがたの心のうちに

キリストを

住まわせてくださるように。

エフェソ書3:17
   



 (ローズンゲン日々の聖句8/19;火)





 栄華を極めたソロモンが

全力を挙げて建てた神殿でさえ、

あの方のお住まいには

ふさわしくないと

ソロモン王は言うのですね。





まして、

あの方が

ねたむほどに愛しておられる方を、



うなじのこわい、

強情な

反逆の民である

私たちのうちに、

住まわせられるとは。



これは

天使たちも驚くような、

ふさわしくない出来事なのですね。





あの方は、

私たちを

まるでパートナーででもあるかのように

大切に思って下さり、



なお、

私たちと一つになりたいと

願って下さって、



独り子である方を

人としてこの世に送って

私たちの罪の全部を背負わせて

処刑し、



そのうえで、

ねたむほどに愛しておられる方を

私たちのうちに派遣して、

住まわせられる。
 



そして、

この方によって

ご自身の思いを

私たちの心の思いにして、



私たちを

ご自分と一つ思いをもつ者に

して下さるというのですね。




心に来る

あの方の御思い。



ついていきたいですね。



イエスのように。

今日も。












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喜び歌う者になるのだそうですね。私たち。今はうなだれていても

2014-08-17 22:54:49 | 聖書から
やがて

喜び祝う声、

花婿と花嫁の声、



感謝の供え物を主の神殿に携えて来る者が

「万軍の主をほめたたえよ。

主は恵み深く、

その慈しみはとこしえに」と

歌う声が

聞こえるようになる。

エレミヤ書33:11

 





イエスは彼らに言われた。

「花婿が一緒にいるのに、

婚礼の客は

断食できるだろうか。」

マルコ2:19
   



 (ローズンゲン日々の聖句8/18;月)







 背きが極まって、

今は、

「人間も家畜もいなくて廃墟となった」と

言われている所も、



喜びの声、

婚礼の喜び、

礼拝に集う人たちのにぎわいを

回復し、

元どおりにすると

おっしゃるのですね。

あの方。
 
 

あの方との一つを嫌って、

自分が一人で

善悪を判断し、

他を従わせようとする者になった

私たち、



自分がトップに立ち、

自分一人が

良いもののすべてを独占し、



自分一人

生きようとする者。



暴虐と虐げが満ちるこの世界。






それでも

あの方は、

創造の目的

私たちと御自身との「一つ」を

回復し、

祝福を注ぐとおっしゃるのですね。





イエスが、

ただ、

あの方の御思いが成っていくことだけを

求めていったように、



あの方とイエスとの同じ「一つ)の関係に

私たちも

入れていただけるのだそうです。





 イエスが

、たくさんの悪霊が入っていて裸で墓場に住んでいた人を

解放し、

普通の生活ができるようにして

家に帰したのも、



12年間、

長血を患っていた女の人が

イエスの衣の裾のふさに触っただけでをいやされたのも、



死んでしまった会堂管理者ヤイロの娘を

生き返らせ

両親に返したのも、



5つのパンと2匹の魚で、

男だけで5千人はいた群集を

満腹させて帰したのも、



ベテスダの池のそばで、

38年も病気にかかって寝ていた人を

いやしたのも、



生まれつきの盲人の目を

見えるようにし、



死んで墓に納められ

4日も経っていた

ラザロを

「出て来なさい」のひと言で

よみがえらせたのも、



全部、

イエスから出たことではなく、

あの方がしようと思っていることだったというのですね。

イエスがその思いのとおりにしたことだったと。

 



そのイエスのように、

私たちも

あの方と一つ心になって、

あの方がしようと思っていらっしゃることをしていく者に

していただけるのだそうです。

 



そこには、

もう、

今までの宗教概念、

今までの考え方ややり方には

おさまりきれない、

新しいことが

どんどん起こって来るのだそうです。



新しいぶどう酒が

旧い革袋を張り裂いてしまうように。



今日も。


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約束をされた方は真実な方なのですから

2014-08-16 22:28:15 | 聖書から
すべて

多く与えられた者は、

多く求められ、



多く任された者は、

さらに多く

要求される。

ルカ12:48

(ローズンゲン8/17~の週の聖句)

 





エリヤへの主の言葉:

わたしは

イスラエルに

7千人を残す。



これは皆、

バアルに

ひざまずかなかった者である。

列王記上19:18

 





約束してくださったのは

真実な方なのですから、



公に言い表した

希望を



揺るがぬよう

しっかり

保ちましょう。

ヘブル10:23

   



 (ローズンゲン日々の聖句8/17;日)

 





 公に言い表された

約束が

あるのですね。





皆に知られないように、

そっと、

ではなく、



片隅でこそこそとでもなく。





そして、

その約束の実現を待ち望む人は

いなくなり、



自分一人が残されているかのように

感じる時があるのですね。




 エリヤの時

国中が

異教の神

バール礼拝に走ってしまって、



まことの神を信じる者は

自分一人になってしまった。



しかも、今、

国家権力から

命をねらわれ、

逃げ回っている身。



そんな時、

あの方は仰るのですね。



バアル礼拝をしなかった者、

7千人が残っている。

あなたは一人ではないと。




 約束して下さった方の

真実を

足掛かりにして、



希望を持ち続けて欲しいと

仰っておられるのですね。

あの方は。



今日も。


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