朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

家を建てる場所選びは大切です。土台をどちらにするか

2014-08-25 22:42:15 | 聖書から
岩と頼むのは

私たちの

神のみ。

サムエル記上2:2

 





イエス・キリストという

既に据えられている土台を

無視して、



だれも

ほかの土台を

据えることは

できません。

Ⅰコリント3:11
   



 (ローズンゲン日々の聖句8/26;火)







 信仰の土台は

イエス・キリストなのですね。



ほかのものを土台にするなら

洪水で流され、

壊れてしまう。
 



人は

自分でよいと思うものを

土台とします。



その判断は

自分の理性を

信頼するところから

起こります。



それを

土台と選んだ

自分の理性が

一番上位に置かれている

ということですね。

 





あの方と

思いを一つにすることを

やめ、



自分一人の理性で

善と悪とを

判断し、

決定する者となった

人間。



そこから

自分に都合のいい神を作りだす歴史が

始まったのでしょうね。



いろいろなものを

土台としているように見えますが、

結局のところ、

自分の理性を土台としていると

いうことでしょう。
 



イエス・キリストを土台として生きるとは、

あの本が宣言しているとおり、

イエスが

十字架刑で処刑されたことで、

私たちの

“生まれた時からの霊”が

処刑されたと

受け取り、



新しく、

“聖である霊”と呼ばれる方が

私たちのうちに来て下さって、

私たちの心に

“御父”と呼ばれる方の

御思いを

書き付けて下さるとの

約束を受け取って、



心に来る

その方の御思いによって

行動していくことなのでしょうね。
 



イエスがそうであったように、

御父が

私を通して

しようと思っていらっしゃることを



私が

していくようになるのだそうです。



今日も。



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平和が来るのですね。あの方との間にも、私たち自身の心にも

2014-08-24 23:56:38 | 聖書から
約束なさったとおり、

その民イスラエルに

安住の地を与えてくださった

主は

たたえられますように。

列王記上8:56

 





キリストは

私たちの

平和であります。

エフェソ書2:14

    



(ローズンゲン日々の聖句8/25;月)

...

 



あの方が

アブラムに

「あなたの子孫に、

わたしはこの地を与える」と

約束されて

(創世記12:7)

およそ1千年、



ダビデ王そしてソロモン王となり、

約束はついに成就したのですね。
 



イエスは、

十字架に架かられる前夜、

弟子たちに言われました。

「あなたがたのために、

わたしは

場所を備えに行くのです。



わたしが行って

場所を備えたら、

また来て、

あなたがたを

私のもとに迎えます。



私のいる所に、

あなたがたをも

おらせるためです」

(ヨハネ14:2~3)

と。
 



イエスは、

私たちにも

安住の地を

約束して下さったのですね。



神の安息に入るための約束は

まだ残っているのだそうです

(ヘブル4:1)。

 



私たちは、

自分のうちに

平和のない者、



二心で、

心が分裂している者。





人間同士の間にも

対立があり、





あの方に対しても

対抗している者。





けれども、

イエスが

私たちの身代わりになって

処刑され、



私たちの

“生まれた時からの霊”の

処刑済みの手続きを完了して下さっている

今は、



新しく来て下さる方、

聖である霊と呼ばれる方によって

心が一新され、



あの方の御思いを

心に持つ者に、



あの方と

一つ心を持つ者にしていただけるのですね。





イエスによって、

あの方との間に、

私たちのうちに、

そして

私たち人間同士の間に、

対立がなくなり、

平和が来て、



あの方との

“一つ”が

実現するのだそうです

(ヨハネ17:21)。


約束の言葉を

しっかり握って

この事実の中へ

進みたいですね。



今日も。





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なんと幸いなことでしょう。あの方によって選ばれた者は

2014-08-23 23:01:43 | 聖書から
いかに

幸いなことか、



主を

神とする国、



主が

嗣業として選ばれた

民は。

詩編33:12

(今週の聖句)

 





私たちの

力の神に向かって

喜び歌え。

詩編81:2

 





私たちは

喜び、

大いに喜び、

神の栄光を

たたえよう。

黙示録19:7

      

(ローズンゲン日々の聖句8/24;日)

...

 



あの方に選ばれ、

あの方を

私の神とする者は

幸いなのですね。





あの方は

私たちの

力の神、



私たちの

喜びの源泉。





私たちの

救いの神。



私たちの

ほめたたえる方。

今日も。





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偉大な真理の真っ只中に置いていただいているのですね。私たち

2014-08-22 23:28:11 | 聖書から
私の神、

主よ、



あなたは

多くの不思議な業を

成し遂げられます。



あなたに並ぶものは

ありません。

詩編40:6







信心の

秘められた真理は

確かに

偉大です。





イエス・キリストは

肉において

現れ、





“霊”において

義とされ、





天使たちに

見られ、





異邦人の間で

宣べ伝えられ、





世界中で

信じられ、





栄光のうちに

上げられました。

Ⅰテモテ3:16
    (ローズンゲン日々の聖句8/23;土)

...

 



あの方の為された

不思議な業。



出エジプトの時もそうですが、

私たち

“的外れ”になってしまっている

人類を、



万物創造の目的に

回復するためになされた

業は

さらに偉大ですね。







 御父は、

御子である方と

御霊と呼ばれる方を

愛して、



ご自分の思いのすべてを

明かしておられる。





御子と

御霊と呼ばれる方は

それぞれ、

全知であり、

全能の方であるにもかかわらず、



御父への愛と尊敬のゆえに、

自分からすすんで、



ただ、

御父の御思いが成ることだけを

願いとし、



御父と

思いを一つにし、

行動を一つにしておられる。

 



愛し合うゆえに、

御子である方、

御霊と呼ばれる方が、

御父と

思いを一つにしていらっしゃる、



その

一つに加わり、



愛し合う者をと

願われて造られた

私たち人間。





御父の愛の御思いを、

そのまま、

他の造られたものに

及ぼし、



御父の

御思いのとおりに

治めていくよう、

任された人間

(創世記1:26)。

 





御父への

愛も尊敬も捨て、



御父の御思いを

成していくことよりも、



自分の

善悪の判断を

重視し、



自分の善悪の判断のとおりに

やっていく道を

選んだ

人間。





その善悪を知る者となった

人間同士の関係は、

絶え間のない

対立と争いなのですね。





 御父は、

その

的外れになった人間を

なお、

惜しみ、愛して、

最初の目的の場に

回復しようとしていて下さる。






 御子である方を、

天の栄光の御座を後にして、

肉として、

人間として

人の世に

生まれさせ、



この方に

私たち人間の背きの罪の

すべてを

負わせて

十字架刑で処刑して、



私たちの、

“生まれた時からの私という霊”を

処刑済みとする手続きを

完了した後、



復活によって

義とせられていることを

私たち人間に

証明されたのだそうです。
 



このことは、

はじめから終わりまで、

天使たちが

かたずを飲んで

見守っていたこと。





そして、

今、

イスラエル人以外の

世界中の人々に

証言され、

信じられているのですね。
 



御父は、

オリーブ山で、

弟子たちの見守る中、



復活したイエスを

天に上げられ、



御子の場所、

ご自分の右の座に

就かせておられるのだそうです。




そして、

もう一度、



今度は

私たちを迎えに

遣わして下さるのだそうですね。

 



信仰の秘められた真理と

呼ばれていますが、



私たち、

その日を待ち望みながら、

この事実の中を

進むのですね。




イエスのように、

聖である霊

(御霊)

と呼ばれる方によって

私たちの心に置かれる

御父の御思いを

我が願いとしながら。



今日も。





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あの方と一つ思いをもつ者にしていただいて、確固とした生き方をしていくのですね。私たち

2014-08-21 23:12:09 | 聖書から
自分の神を知る者は

確固として

行動する。

ダニエル11:32







 パウロの手紙:

愛する兄弟姉妹たち、

私自身は

既に捕えたとは

思っていません。



なすべきことはだだ一つ、



後ろのものを忘れ、

前のものに

全身を向けることです。

フィリピ書3:13
    (ローズンゲン8/22;金)

...

 



自分をなにか偉い者のように振舞って

人々を惑わす者が

起こるのだそうです。



けれども、

自分の依り頼むべき方を知っている者は、

惑わされることなく、

確固とした行動をとることができるのですね。



しかし、

善悪を知る者、

善悪の判断を自分一人で決めていく者、

自分を自分の主人にしている者は、

自分の思ったとおりに、

ほしいままに

ふるまい、



惑わされ、

世に

暴虐が満ちることに

なるのだそうです。





 先にある

あの方の約束、



聖である霊と呼ばれる方によって

その約束の言葉と

一つ思いを

内に持つ者は、



それを得ることが

最高の生きがいになっていくので、



からまりついてくる

自分の古い考えや

惑わしの言葉を

かなぐり捨て

振り切りながら、



前のものに向かって

身をのばしていくのですね。



今日も。



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