朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

土の器でいいのですね。中に入っている宝が素晴らしければ

2014-07-20 22:47:18 | 聖書から
主は

私たちを、

どのように造るべきかを

知っておられた。



私たちが

塵にすぎないことを、

御心に留めておられる。

詩編103:14
 





私たちは、

このような宝を

土の器に

納めています。



この

並はずれて偉大な力が

神のものであって、



私たちから

出たものでないことが

明らかになるために。

Ⅱコリント4:7
   

 (ローズンゲン日々の聖句7/22;火)






あの方は、

私たち人間を

御思いのとおりに

造られたのだそうです.

(創世記2:7)



どのように造るのか、

思い描かれたとおりに。





ですから、

私たちのからだが

地の塵にすぎないことを

知っておられ、



心に留めていて下さるのだそうです。





それで、

私たちのことを

いつまでも怒っておられることはせず、

私たちの咎にしたがって

私たちに報いることもなさらないのだそうです。



父が

その子を憐れむように、

私たちを

憐れんで下さっているのだそうですね。







土の器の中に

宝物を納めるように、



あの方は、

私たちのからだ、

地の塵から造られた私たちのからだの

うちに、

聖である霊とか、

主の御霊とか呼ばれている方を

派遣して、

住まわせなさるのだそうです。



そして、

その方によって、

ご自身の思いを

私たちの心に置き、

私たちを御自身と思いを一つにする者に

して下さるのだそうですね。





御子である方が、

御父と

完全に

思いを一つにし、



その御思いだけを為して行かれたように

(ヨハネ5:19、30、8:28)、

なのだそうです。





御子である方が持っておられた

あの方との一つという関係と

同じ、

一つの関係にまで変えていってくださるのだそうですね。



御霊と呼ばれる方の働きによって。



今日も。





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かなぐり捨てていくのだそうです。あの方の前に

2014-07-20 00:09:21 | 聖書から
あなたがたは恵みにより、信仰によって救われました。このことは、神の賜物です。エフェソ書2:8(今週の聖句)
 痛手に先立つのは驕り。つまずきに先立つのは高慢な霊。箴言16:18
 私たちも、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。ヘブル書12:1
    (ローズンゲン日々の聖句7/20;日)
驕り、高ぶり、それが痛手につながったり、つまずきにつながるのは、あの方の御愛から出ていることなのでしょうか。驕り、高ぶりのまま、順調にいけば、それに気がつかないままに過ぎ、取り返しのつかないところにまで行ってしまいますものね。それで、あの方がストップをかけて下さったのかもしれませんね。行きづまりやつまずきを通して、自分が何者でもないことを知り、あの方を求めることになるなら、救いにつながるのですものね。...
驕り、高ぶり、自分を何者かであるように思う思いは、善悪を知るようになった人間の特性なのでしょうね。
私たち、イエス・キリストの十字架刑での処刑に合わせられ、処刑されてしまった者、と言っても、それは法律の手続き上のことであって、なくなってしまったわけではないのでしょうね。だから、おごりや高ぶり、不満や人を批判する思いはどんどん出て来る。
それを、死んでしまった(処刑された)「生まれた時からの私」という霊から出て来たものと認めて(計算して)、あの方の前に投げ捨て、かなぐり捨てていっていいということのようですね。

それを出て来ないように抑え込んだり、出て来ない者にならなければと、がっぷり4つに組んで戦う必要はないのだそうです。
そして、新しく、私の内に来て下さった「聖である霊」が置いて下さる、あの方の御思いついて行けばいいのだそうですね。
そうすれば、生きるものになるのだそうです。私たち、今日も。



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