朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

帰って行くのだそうです。喜び歌いながら新しい国へ

2019-07-27 08:00:04 | 聖書から
主に贖(あがな)われた人々は
帰って来て、
喜びと楽しみを得、
嘆きと悲しみは消え去る。イザヤ書51:11

 (主が来られる日には)
私たちはいつまでも
主と共にいることになります。1テサロニケ4:17

 フィリピ書3:12~16
 マタイ6:19~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/27;土)

 イエスを「私の主」とし、
【父である神】がイエスによってなされた贖いの御業、
イエスをすべての人間の身代わりとし、
贖いの小羊として立てて、十字架刑で処刑し、
そのささげられた命によって
私たちの「的外れ」の責任が果たされたもの、

 天の神、主から、
「われわれのかたちとして、
われわれににせて」(創世記1:26)
と願われて造られていながら、

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしていただいた者、

 そして、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエス、

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方、
この方をお迎えし、
この方によって、心に
【父である神】が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる生き方をしている者は、
帰って来るのだそうです。

 やがて実現する新しい天と新しい地、
新しいエルサレムへ。

 そこには、もはや死もなく、
悲しみ、叫び、苦しみもなく(黙示録21:1~4)、
喜びと楽しみだけがあるのだそうです。

 けれども、その前に、
イエスはもう一度来られて、
私たちのからだを、一瞬にして、
新しい霊のからだに変えてくださり、
パラダイスに引き上げ、
私たちを、いつまでもイエスと共にいるようにしてくださり、
その新天新地、新しいエルサレムの実現の日を
待つようにしてくださるのだそうです。

 それで、私たちは、この地上での人生を
この目標に向かって、後ろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
神の栄冠を得るために、
一心に走っていくのですね(ピリピ3:13~14新改訳)。

 心を天に向け、
自分の宝は、天に、
神の御前にたくわえながら。

 神の御前に心の動きの一つ一つを差し出し、
見ていただき、知っていただき、
光の中の出来事、
明るい出来事にしていただきながら(マタイ6:19~23)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉


イメージ 1

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]


アクセスランキング にほんブログ村"/>