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朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

答えようと、待ちかまえて

2017-10-16 21:55:20 | 聖書から
主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。ヨエル書3:5(新改訳では、2:32)

 門をたたきなさい。
そうすれが、開かれる。ルカ11:9

 マルコ3:31~35
 ルカ18:9~17(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句10/17;火)

 天の神、主は、ヨエルを通して言われます。
「わたしは天と地に、不思議なしるしを現す。
血と火と煙の柱である。
主の大いなる恐るべき日が来る前に、
太陽はやみとなり、月は血に変わる。
しかし、主、『「わたしはあるという者」と名乗られる方』の名を呼ぶ者は
みな救われる」(ヨエル2:30~32新改訳)、と。


イエスは言われます。
「求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、
捜す者は見つけ出し、
たたく者には開かれます。
あなたがたは、悪い者であっても、
自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
どうして聖霊をくださらないことがありましょう(ルカ11:9~13)、と。

けれども、自分は、得ている、知っている、到達していると自負している人は、
求めようとせず、門をたたこうともしないのですね。

 自分には、神の前に差し出す良いものが何一つないと分かっている人が、
神のあわれみを求めるようです(ルカ18:9~14)。

 〔父である神〕は、私たちが、
ご自身を愛しようとしない者、
ご自身と心を一つにしようとしない者であることを認めて、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を求め、
この方によって、ご自身と愛し合う関係に入り、
思いを一つにし、心を一つにする者になって(エゼキエル36:25~28)、
一つ家族に(マルコ3:31~35)加わってほしいと願っておられるようですね。
今日も。
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太陽のように輝く、その時を

2017-10-16 07:40:22 | 聖書から
天が煙のように消え、
地が衣のように朽ち、
地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても、
私の救いはとこしえに続く。イザヤ書51:6

 神は、私たちを怒りに定められたのではなく、
私たちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるよう
定められたのです。Ⅰテサロニケ5:9

 マタイ6:1~4
 ルカ18:1~8(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句10/16;月)

私たちは、この天と地が、この世界が、
ずっと、限りなく、永遠に続くもの、という前提でものを考えています。
それで、今の世だけで、物事が完結するかのような考え方をしています。

 けれども、今の、天が煙のように散り失せ、
地は衣のように古びて、
その上に住む者は、ぶよのように死ぬ、
そういう時が必ず来るようです。

 そして、天の神、主が、ご自身の側で、全部、用意して、
私たちに差し出していてくださっている和解の提案を、無視、拒否し、
「私は自分で生きています。私は、私の責任は私で取れます」という生き方を続けている人たちが、
天のスーパーコンピュータ?のようなものに記録されているところに従って、
各自が、自分の行いに従って裁かれる、そのときが。

 それで、天の神、主は、
私たち、すべての人間が、公正な裁きによっても、処刑されることを望まないで、
御子である方を、人として、人の世に遣わし、
この方を私たち、すべての人間の身代わりとして、十字架刑で処刑し、
わたしたちを処刑が終わったものと見なしてくださる道を開いてくださっているのだそうです。

 そして、これを受け取った人たちが、目覚めていても、眠っていても、
主イエスとともに生きる生き方、
天の神、主と思いを一つにし、心を一つにしながら生きる生き方ができるようにと(Ⅰテサロニケ5:10)。


 イエスは、言っておられます。
「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。
そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いを受けられません。
だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、
自分の前でラッパを吹いてはいけません。
まことに、あなたがたに告げます。
彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが隠れているためです。
そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、
あなたに報いてくださいます(マタイ6:1~4新改訳)、と。

 そのように、次の世のことを知っている人たちは、
施しや善行の褒賞を、この世で受けることよりも、
次の世で受けることを願うのだそうです。


 とは言っても、私たちは、何でも、黙って、我慢していなさい、ということではないようですね。
イエスは話されました。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町に、ひとりのやもめがいたが、
彼のところにやって来ては、
『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。
彼はしばらくは取り合わないでいたが、
後には心ひそかに
『私は神を恐れず、人を人とも思わないが、
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、
この女のために裁判をしてやることにしよう。
でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。

不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、
いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、
神は、速やかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます」(ルカ18:1~7)。


 そのように、私たちは、
イエスによって、天の、〔父である神〕に、
自分の思いのたけを、思いっ切り、ぶっつけ、
聞いていただき、見ていただける関係に入れていただいているのだそうです。
だから、この方に、何でも聞いていただきながら、親しい交わりをもちながら、
次の世を目指して歩むのだそうです。
今日も。
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