あなたは、今日、
上の天においても下の地においても主こそが神であり、
ほかに神のいないことをわきまえなさい。申命記4:39
神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。
「我らは神の中に生き、動き、存在する」のです。使徒17:27~28
(ローズンゲン日々の聖句6/21;火)
天の神、主は預言者モーセを通して言われます。
「さあ、あなたより前の過ぎ去った時代に尋ねてみるがよい。
神が地上に人を造られた日からこのかた、天のこの果てからかの果てまでに、これほど偉大なことが起こったであろうか。このようなことが聞かれたであろうか。
あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていた民があっただろうか。
あるいは、あなたがたの神、主が、エジプトにおいてあなたの目の前で、あなたがたのためになさったように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力をもって、一つの国民を他の国民の中から取って、あえてご自身のものとされた神があったであろうか。
あなたにこのことが示されたのは、主(「わたしはあるという者)と名乗られる方)だけが神であって、ほかには神がないことを、あなたが知るためであった。
主はあなたを訓練するため、天からの御声を聞かせ、地の上では、大きい火を見させた。その火の中からあなたは、みことばを聞いた。主は、あなたの先祖たちを愛して、その後の子孫を選んでおられたので、主ご自身が大いなる力をもって、あなたをエジプトから連れ出された。
それはあなたよりも大きく、強い国々を、あなたの前から追い払い、あなたを彼らの地に入らせ、これを相続地としてあなたに与えるためであった。今日のとおりである。
きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。
あなたも、あなたの後の子孫も、幸せになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである」(申命記4:32~40)と。
私たち人間を含むこの世界のすべてのものは、この方、天の神、主と呼ばれ、「わたしはあるという者」と名乗られる方の御思いによって創造され、御思いによって支えられ、保たれて存在しているものなのだそうです。
使徒パウロがアレオパゴスで、アテネの人たちに語ったように、
「神は、一人の人(アダム)からすべての国の人々を造り出して、地の前面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。
確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられない」(使徒17:26~27)のだそうですから。
それで、もし、私たちが受け取りさえするなら、イエスが、私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださり、三日目に墓より復活し、天の「父である神」の右の座に帰られて派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方。
この方が、受け入れる者の心に、「父である神」の私たちひとりひとりに対する御思いを置いてくださるので、受け入れる者は、互いの罪に対する弱さ、重荷を担い合い、自分の罪を悲しみ、帰ってくる者を、私たちは失敗を責め、なじりたい者ですが、「父である神」の御思いのとおりに赦し合い、受け入れ合って進んでいくのだそうです(Ⅱコリント2:5~11)。
今日も。
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ほかに神のいないことをわきまえなさい。申命記4:39
神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。
「我らは神の中に生き、動き、存在する」のです。使徒17:27~28
(ローズンゲン日々の聖句6/21;火)
天の神、主は預言者モーセを通して言われます。
「さあ、あなたより前の過ぎ去った時代に尋ねてみるがよい。
神が地上に人を造られた日からこのかた、天のこの果てからかの果てまでに、これほど偉大なことが起こったであろうか。このようなことが聞かれたであろうか。
あなたのように、火の中から語られる神の声を聞いて、なお生きていた民があっただろうか。
あるいは、あなたがたの神、主が、エジプトにおいてあなたの目の前で、あなたがたのためになさったように、試みと、しるしと、不思議と、戦いと、力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力をもって、一つの国民を他の国民の中から取って、あえてご自身のものとされた神があったであろうか。
あなたにこのことが示されたのは、主(「わたしはあるという者)と名乗られる方)だけが神であって、ほかには神がないことを、あなたが知るためであった。
主はあなたを訓練するため、天からの御声を聞かせ、地の上では、大きい火を見させた。その火の中からあなたは、みことばを聞いた。主は、あなたの先祖たちを愛して、その後の子孫を選んでおられたので、主ご自身が大いなる力をもって、あなたをエジプトから連れ出された。
それはあなたよりも大きく、強い国々を、あなたの前から追い払い、あなたを彼らの地に入らせ、これを相続地としてあなたに与えるためであった。今日のとおりである。
きょう、私が命じておいた主のおきてと命令とを守りなさい。
あなたも、あなたの後の子孫も、幸せになり、あなたの神、主が永久にあなたに与えようとしておられる地で、あなたが長く生き続けるためである」(申命記4:32~40)と。
私たち人間を含むこの世界のすべてのものは、この方、天の神、主と呼ばれ、「わたしはあるという者」と名乗られる方の御思いによって創造され、御思いによって支えられ、保たれて存在しているものなのだそうです。
使徒パウロがアレオパゴスで、アテネの人たちに語ったように、
「神は、一人の人(アダム)からすべての国の人々を造り出して、地の前面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。
これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。
確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられない」(使徒17:26~27)のだそうですから。
それで、もし、私たちが受け取りさえするなら、イエスが、私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださり、三日目に墓より復活し、天の「父である神」の右の座に帰られて派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方。
この方が、受け入れる者の心に、「父である神」の私たちひとりひとりに対する御思いを置いてくださるので、受け入れる者は、互いの罪に対する弱さ、重荷を担い合い、自分の罪を悲しみ、帰ってくる者を、私たちは失敗を責め、なじりたい者ですが、「父である神」の御思いのとおりに赦し合い、受け入れ合って進んでいくのだそうです(Ⅱコリント2:5~11)。
今日も。
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