わたしがこの都に与える大きな恵みについて
世界の全ての国々が聞くとき、
この都はわたしに喜ばしい名声、
賛美の歌をもたらす者となる。
彼らはわたしがこの都に与える
大いなる恵みと平和とを見て、
恐れおののくであろう。エレミヤ33:9
キリストは、
割礼のある者たちに仕える者となられたのです。
異邦人が神の憐れみをたたえるためです。ロマ15・8~9
(ローズンゲン日々の聖句6/18;土)
天の神、主は、エレミヤをご自分の預言者として立て、彼をとおして、エルサレムの住民が、ご自分に背き、何度も何度も、立ち返るよう勧めても、そのそむきを止めようとしないので、ついに、「彼らのすべての悪のためにわたしが顔を隠したので、エルサレムの家々と、ユダの王たちの家々が塁と剣で引き倒される」と宣告されたのだそうです。
けれども、それと同時に、「見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルの繁栄を元どおりにし、初めのように彼らを立て直す。
わたしは、彼らが犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。
あなたがたが『人間も家畜もいなくて廃墟となった』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの喜びの声が再び聞こえる。
それは、わたしがこの国の繁栄を元どおりにし、初めのようにするからだ」と言われたのだそうです。
また、「見よ。その日が来る。――主のみ告げ―― その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する」と(エレミヤ33:1~14新改訳より)。
そして、このいつくしみと祝福は、「割礼のある者たち」、選民イスラエルの民たちだけではなく、イエスが十字架刑での処刑を受けてくださったことによって、異邦人に、すべての国々の人々に及ぶことになったのだそうです。
紀元前750年ほど前のこと、異邦人であるアッシリア帝国の首都ニネベの人々が、天の神、主から遣わされら預言者ヨナを通しての「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる」との言葉を聞いたのだそうです。
それで、アッシリア帝国の王は、「人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない」と命令したのだそうです。
それで、天の神、主は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になって、下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかったのだそうです(ヨナ3:1~10)。
天の神、主が怒られるのは、憎いからではなく、立ち返って欲しいからなのですね。
私たちに、恵みと平和を受け取って欲しいのだそうです。
今日も。
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彼らはわたしがこの都に与える
大いなる恵みと平和とを見て、
恐れおののくであろう。エレミヤ33:9
キリストは、
割礼のある者たちに仕える者となられたのです。
異邦人が神の憐れみをたたえるためです。ロマ15・8~9
(ローズンゲン日々の聖句6/18;土)
天の神、主は、エレミヤをご自分の預言者として立て、彼をとおして、エルサレムの住民が、ご自分に背き、何度も何度も、立ち返るよう勧めても、そのそむきを止めようとしないので、ついに、「彼らのすべての悪のためにわたしが顔を隠したので、エルサレムの家々と、ユダの王たちの家々が塁と剣で引き倒される」と宣告されたのだそうです。
けれども、それと同時に、「見よ。わたしはこの町の傷をいやして直し、彼らをいやして彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルの繁栄を元どおりにし、初めのように彼らを立て直す。
わたしは、彼らが犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
この町は世界の国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり栄えとなる。彼らはわたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの町に与えるすべての祝福と平安のために、恐れおののこう。
あなたがたが『人間も家畜もいなくて廃墟となった』と言っているこの所、人間も住民も家畜もいなくて荒れすたれたユダの町々とエルサレムのちまたで、楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、『万軍の主に感謝せよ。主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで』と言って、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの喜びの声が再び聞こえる。
それは、わたしがこの国の繁栄を元どおりにし、初めのようにするからだ」と言われたのだそうです。
また、「見よ。その日が来る。――主のみ告げ―― その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみのことばを成就する」と(エレミヤ33:1~14新改訳より)。
そして、このいつくしみと祝福は、「割礼のある者たち」、選民イスラエルの民たちだけではなく、イエスが十字架刑での処刑を受けてくださったことによって、異邦人に、すべての国々の人々に及ぶことになったのだそうです。
紀元前750年ほど前のこと、異邦人であるアッシリア帝国の首都ニネベの人々が、天の神、主から遣わされら預言者ヨナを通しての「もう40日すると、ニネベは滅ぼされる」との言葉を聞いたのだそうです。
それで、アッシリア帝国の王は、「人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない」と命令したのだそうです。
それで、天の神、主は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になって、下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかったのだそうです(ヨナ3:1~10)。
天の神、主が怒られるのは、憎いからではなく、立ち返って欲しいからなのですね。
私たちに、恵みと平和を受け取って欲しいのだそうです。
今日も。
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