朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

死を滅ぼし、不滅の命を

2016-03-27 22:01:24 | 聖書から
私たちに命を得させ、

  御名を呼ばせてください。詩編80:19




 キリストは死を滅ぼし、

  福音を通して不滅の命を現してくださいました。Ⅱテモテ1:10




        (ローズンゲン日々の聖句3/28;月)




 ご計画の時が満ちて、「彼、女の子孫は、おまえ(サタン)の頭を踏み砕き、おまえ、サタンは、彼、女の子孫のかかとにかみつく」(創世記3:15)という約束の言葉が実現したのですね。

イエスによって。

この、私たち人間の歴史の中で。




 これは、隠された奥義としての神の知恵によることであって、

それは、神が、受け入れる者たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものなのだそうです。

この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟らなかったのですね。

もし、悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょうから。




 まさしく、聖書に書いてあるとおりだったのですね。

目が見たことのないもの、

耳が聞いたことのないもの、

そして、日との心に思い浮かんだことのないもの。

神を愛する者のために、

神の備えてくださったものは、みなそうである。」(Ⅰコリント2:7~9)

なのですね。




 神の御子である方が、その栄光の座を後ろにして、人間イエスとして人の世に来られ、

身代わりとなって、自らの命を、十字架刑での処刑に差し出し、すべての人間のすべての罪の刑罰を一身に負って死んで下さったのだそうです。




 そして、死者の中から新しいからだに復活することで、受け入れる者も新しいからだに復活する道を開き、死を滅ぼされたのですね。




 天の、父である神と呼ばれる方の右の座に帰られたイエスは、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、この方の働きによって、父である神と呼ばれる方が、一人一人に思っていらっしゃる御思いを、その一人一人の心に書き付け、この部分において、父である神と同じ思いを思うようにしてくださるのだそうです。




 それで、受け入れる者は、天の神、主とひとつ思いを持って行動する者にしていただける、

すなわち、永遠の命、不滅の命の中を生きる者にしていただけるのだそうです。




永遠の命とは、唯一のまことの神である方と、その方が遣わされたイエス・キリストを(体験的に)知ることなのだそうですから(ヨハネ17:3)。




 天の神、主は、受け入れる者を、御子イエスと同じ立場で、「父よ」と呼ばせてくださり、イエスとおなじように御自身と一つ思いの中を生きさせてくださるのだそうです。

今日も。


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イエス、死者の中から復活された方

2016-03-27 00:20:41 | 聖書から
わたしは一度死んだが、見よ、世々限りなく生きて、

  死と陰府(よみ)の鍵を持っている。黙示録1:18(3/27の週の聖句)




あなたの光とまことを遣わしてください。

彼らは私を導き、

  あなたのいますところに私を伴ってくれるでしょう。詩編43:3




実際、キリストは死者の中から復活し、

  眠りについた人たちの初穂となられました。Ⅰコリント15:20




         (ローズンゲン日々の聖句3/27;日)




 事実、イエスは、復活の初穂として、死者の中からよみがえったのだそうです。




イエスが十字架に架けられたのは、金曜日の午前9時頃だったようです(マルコ15:25)。




 イエスは、自分を十字架につける人たちに対してとりなされたのですね。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)と。




 そして、一緒に十字架につけられていて、「イエスさま、あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください」という犯罪者に、

「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」(ルカ23:43)と。




 十字架のそばに立っている、母マリヤと弟子ヨハネに、

「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」

「そこに、あなたの母がいます。」と。

それで、ヨハネはマリヤを家に引き取ったのだそうです(ヨハネ19:26~27)。




 12時になったとき、全地が暗くなって、午後3時に及んだとき、

「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と。




「わたしは渇く」(ヨハネ19:28)。




「完了した」(ヨハネ19:30)と。




 そして、

「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られたのだそうです(ルカ23:46)。

 

 日没になると、過越しの祭り第1日の大いなる日、安息日が始まるので、それまでに死体を片付けようとして、両脇の犯罪者のすねを折って、すぐ、死ぬようにしたのですが、イエスのところに来ると、イエスはすでに死んでいたので、すねを折ることをせず、ローマ兵の一人がイエスのわき腹を槍で突き刺したのだそうですが、すると、ただちに血と水が出て来たのだそうです。




 イエスの死体は、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していた、ユダヤ最高議会の議員の一人でもある、アリマタヤのヨセフが、総督ピラトにイエスの死体の引き取りを願い出、近くにあった、自分のために掘ってあった墓に納めたのだそうです(ヨハネ19:31~42)。




 安息日(土曜日)が終って、日曜日の早朝、まだ暗いうちに、マクダラのマリヤと数人の女性が、香料を持って墓に行ってみると、墓の大きな石のふたはわきに転がされ、イエスのからだはなく、まばゆいばかりの衣を着た二人の人がいて、言ったのだそうです。

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、と言われたでしょう」と。




 その後、新しいからだに復活されたイエスは、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、教えられ、弟子たちの見ている前で、オリーブ山から天の父である神の右の座にお帰りになったのだそうです。

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。もう間もなく、あなたがたは聖霊のバブテスマを受けるからです」と言い置いて(使徒1:4~5)。




 事実、イエスは、初穂として死人の中からよみがえったのですね。

そして、天の神、主は、イエスにお願いしていく者を、イエスと同じような新しいからだで、よみがえらせてくださるのだそうです。

この約束は有効なのだそうですから。

今日も。


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