土曜日は蒸し暑い中、ルーブル美術館近くの
Gallimard社直営店まで本を物色しに行ってきました。
先日はみかどんと7区の同社直営店にも行き、社会科学系の
豊富さに満足して帰ってきたのですが、この書店は
さほど充実しておらず、しかし昔ながらの本屋さんの
雰囲気は同じで(全部木製の古びた本棚で、上段の本を取るためには
やや怖い木の梯子を利用)、1時間半ほど長居をして、
探していた本をようやく見つけてきました。
探していたのは、秘書さんから勧められた新刊、
"Meursault, contre-enquete"(Kamel Daoud, Actes Sud社)。
アルジェリアの新聞で(体制側からすると)物議を醸すコラムを
書いているエッセイストのようで、小説ははじめてとのこと、
でもこちらでも主要なメディアに取り上げられ、品薄なのか
なかなか見つかりませんでした。
カミュの「異邦人」で、主人公meursaltに殺された、名もない
アルジェリア人(「異邦人」では"Arabe"と言及されるのみ)の
弟の視点から、事件のその後を、アルジェリア独立戦争、また
現在のアルジェリア社会の様子をおりまぜて描いています。
秘書さんによると、「アルジェで育ち、アルジェリアにシンパシーを
持っていたはずのカミュが、なぜ被害者を"arabe"に留め、何の
意味も与えていないのか、興味深い」とのこと。
恥ずかしながらこの年まで「異邦人」をきちんと読んだことがなく、
原書も併せて購入し、まずはオリジナルから読み、その後
殺された側からの小説を読みました。
「異邦人」、私には得体の知れない小説でしたが、夕暮れから夜に
変わる空の色がvert(緑)とあったり、空の移り変わる色彩に関する
描写が印象に残りました。「どうでもいい」と思っている主人公が、
空を見ている時だけは素直に人間らしくなっているようにも感じます。
Kamel Daoudの小説は、淡々としたオリジナルとは異なり、抑圧された
怒りが前半を占め、少々読むのが苦しくなってきた頃に新たな展開が
あり、最後はmeursaultと似たような心情に至るように見えます。
ただ、前評判が高すぎたせいか、ノーベル賞作家と比べるのは
酷ですが、カミュを読んだ直後に読むと(アルジェリアに興味の
ある人を除き)ちょっと失望するかもしれません。
酒場でナレーターに管を巻きつつ語る、という手法が成功したのか
どうか…。アルジェリアの現実と重ねると、生きてくる演出なのかも
しれません。
とはいえ、声も名もないまま殺された人間(の家族の)視点から、
世界一有名な小説を捉え直してみる、という試みはとても斬新でした。
(被害者には名前もないため、自分の家族だと証明することができず、
何十年も些細な情報を探してきた家族が、自分の知らないところで
事件が小説化され、世界中で兄の殺害が知られていると知った時の
驚きを書いた下りは新鮮でした。
ただ、ここも、殺されたのはあくまで「小説」の登場人物であるのに、
その家族が「現実の世界で」フランス人を相手に語る、というような
書き方に少々混乱したのは私だけでしょうか…
言い古されたことでしょうけれど、
政府のプロパガンダが跋扈する国・地域の現状や、市民がどう
感じているのかを理解するためには、小説という媒体しかないの
だろうと改めて感じます(ネットも情報操作の場でしょうし)。
あとは、
イスラムの内部対立を分かりやすく説明した本、
Emmanuel Toddの、欧州、中東、アジアの家族システムに関する
超大作(750頁強)、
架空の独裁政権(シリアをモデル)を描いた小説、
Drone(軍用無人偵察機)とテロリスト掃討作戦について倫理的に
考察した本、
を買いこんできました。
先日買い込んでしまったBoltanskiの超大作も手つかずだし、
専門分野の本も山積みですが、この夏は少しイスラムの勉強を
したいと思います。
東京にいる時は、仕事とみかどんの学校で忙しすぎて、
仕事で必要な本や論文以外、まったく読む暇がありませんでしたが、
こちらに来て、日本には入ってこない色々なジャンルの本を読む
機会が出来て良かったです。
Gallimard社直営店まで本を物色しに行ってきました。
先日はみかどんと7区の同社直営店にも行き、社会科学系の
豊富さに満足して帰ってきたのですが、この書店は
さほど充実しておらず、しかし昔ながらの本屋さんの
雰囲気は同じで(全部木製の古びた本棚で、上段の本を取るためには
やや怖い木の梯子を利用)、1時間半ほど長居をして、
探していた本をようやく見つけてきました。
探していたのは、秘書さんから勧められた新刊、
"Meursault, contre-enquete"(Kamel Daoud, Actes Sud社)。
アルジェリアの新聞で(体制側からすると)物議を醸すコラムを
書いているエッセイストのようで、小説ははじめてとのこと、
でもこちらでも主要なメディアに取り上げられ、品薄なのか
なかなか見つかりませんでした。
カミュの「異邦人」で、主人公meursaltに殺された、名もない
アルジェリア人(「異邦人」では"Arabe"と言及されるのみ)の
弟の視点から、事件のその後を、アルジェリア独立戦争、また
現在のアルジェリア社会の様子をおりまぜて描いています。
秘書さんによると、「アルジェで育ち、アルジェリアにシンパシーを
持っていたはずのカミュが、なぜ被害者を"arabe"に留め、何の
意味も与えていないのか、興味深い」とのこと。
恥ずかしながらこの年まで「異邦人」をきちんと読んだことがなく、
原書も併せて購入し、まずはオリジナルから読み、その後
殺された側からの小説を読みました。
「異邦人」、私には得体の知れない小説でしたが、夕暮れから夜に
変わる空の色がvert(緑)とあったり、空の移り変わる色彩に関する
描写が印象に残りました。「どうでもいい」と思っている主人公が、
空を見ている時だけは素直に人間らしくなっているようにも感じます。
Kamel Daoudの小説は、淡々としたオリジナルとは異なり、抑圧された
怒りが前半を占め、少々読むのが苦しくなってきた頃に新たな展開が
あり、最後はmeursaultと似たような心情に至るように見えます。
ただ、前評判が高すぎたせいか、ノーベル賞作家と比べるのは
酷ですが、カミュを読んだ直後に読むと(アルジェリアに興味の
ある人を除き)ちょっと失望するかもしれません。
酒場でナレーターに管を巻きつつ語る、という手法が成功したのか
どうか…。アルジェリアの現実と重ねると、生きてくる演出なのかも
しれません。
とはいえ、声も名もないまま殺された人間(の家族の)視点から、
世界一有名な小説を捉え直してみる、という試みはとても斬新でした。
(被害者には名前もないため、自分の家族だと証明することができず、
何十年も些細な情報を探してきた家族が、自分の知らないところで
事件が小説化され、世界中で兄の殺害が知られていると知った時の
驚きを書いた下りは新鮮でした。
ただ、ここも、殺されたのはあくまで「小説」の登場人物であるのに、
その家族が「現実の世界で」フランス人を相手に語る、というような
書き方に少々混乱したのは私だけでしょうか…
言い古されたことでしょうけれど、
政府のプロパガンダが跋扈する国・地域の現状や、市民がどう
感じているのかを理解するためには、小説という媒体しかないの
だろうと改めて感じます(ネットも情報操作の場でしょうし)。
あとは、
イスラムの内部対立を分かりやすく説明した本、
Emmanuel Toddの、欧州、中東、アジアの家族システムに関する
超大作(750頁強)、
架空の独裁政権(シリアをモデル)を描いた小説、
Drone(軍用無人偵察機)とテロリスト掃討作戦について倫理的に
考察した本、
を買いこんできました。
先日買い込んでしまったBoltanskiの超大作も手つかずだし、
専門分野の本も山積みですが、この夏は少しイスラムの勉強を
したいと思います。
東京にいる時は、仕事とみかどんの学校で忙しすぎて、
仕事で必要な本や論文以外、まったく読む暇がありませんでしたが、
こちらに来て、日本には入ってこない色々なジャンルの本を読む
機会が出来て良かったです。