先週の訪広を終え、ここ数年で捉えた広島の103系を総括してみることにしました。最初の訪問は2008年1月、この時はかなりの両数が活躍していましたから、あえてどの編成を追いかけるとかはしていませんでしたし、広島駅で待っていれば 何処からと無く103系が入線してきましたので全く意識せずに撮影していました。次の訪問が今年の2月、この時は広B-09を狙うものの、まだ4編成程度の4連103系が走っていたので、103系使用の運用を調べて狙う程度でした。そして今回の訪問、今回ばかりは今までずっと振られ続けてきたB-09編成を狙うべく、運用/ダイヤを深く調査してきました。そして見事にゲット。
風景の中の103系編
先ずは風景の中の103系から。風景って言っても鉄橋ばかりなんですが‥
呉線 黒瀬川 安芸阿賀~新広にて(広E-07編成)’10/2
同上 (広B-11編成)’08/01
可部線 太田川 上八木~中島にて(広B-09編成)’10/8
103系編成の記録編
以下は最近の鉄ブログにありがちなお面だけ撮って何々編成とか書いてある方式でまとめてみました(皮肉かい‥)
広B-01編成 広島駅にて ’08/01
広B-01/広B-11編成の並び 広島にて ’08/01
広B-02編成 広島にて ’08/01
広B-04編成 向洋にて ’08/01
広B-07編成 広島にて ’10/02
広B-08編成 広島にて ’08/01
広B-09編成 三滝~安芸長束にて ’10/08
広B-09編成 広島にて ’10/08
広B-11編成 広島にて ’08/01
広B-14編成 広島にて ’08/01
広E-04編成 向洋にて ’08/01
広E-06編成 広島にて ’08/01
広E-07編成 広島にて ’08/01
広D-02/03編成の離合 安芸阿賀にて ’10/02
広D-01編成 川原石~呉にて ’10/02
広D-02編成 広島にて ’08/01
広D-03編成 広島にて ’08/01
以上、私の広島103系の全記録でした。
で、自分が模型にしている編成は広E-01/03と言う撮っていない編成っていうのも皮肉ですかネ(笑)
まっ、これだけのことなんですがネ‥
林さん、突っ込んで下さいね(^^)/
広B-04編成の末路(T_T) 幡生工場公開にて '09/11/07
風景の中の103系編
先ずは風景の中の103系から。風景って言っても鉄橋ばかりなんですが‥
呉線 黒瀬川 安芸阿賀~新広にて(広E-07編成)’10/2
同上 (広B-11編成)’08/01
可部線 太田川 上八木~中島にて(広B-09編成)’10/8
103系編成の記録編
以下は最近の鉄ブログにありがちなお面だけ撮って何々編成とか書いてある方式でまとめてみました(皮肉かい‥)
広B-01編成 広島駅にて ’08/01
広B-01/広B-11編成の並び 広島にて ’08/01
広B-02編成 広島にて ’08/01
広B-04編成 向洋にて ’08/01
広B-07編成 広島にて ’10/02
広B-08編成 広島にて ’08/01
広B-09編成 三滝~安芸長束にて ’10/08
広B-09編成 広島にて ’10/08
広B-11編成 広島にて ’08/01
広B-14編成 広島にて ’08/01
広E-04編成 向洋にて ’08/01
広E-06編成 広島にて ’08/01
広E-07編成 広島にて ’08/01
広D-02/03編成の離合 安芸阿賀にて ’10/02
広D-01編成 川原石~呉にて ’10/02
広D-02編成 広島にて ’08/01
広D-03編成 広島にて ’08/01
以上、私の広島103系の全記録でした。
で、自分が模型にしている編成は広E-01/03と言う撮っていない編成っていうのも皮肉ですかネ(笑)
まっ、これだけのことなんですがネ‥
林さん、突っ込んで下さいね(^^)/
広B-04編成の末路(T_T) 幡生工場公開にて '09/11/07
結局E編成にも電動幕を追加改造してからは、E/Bの区別が無くなりました。確か2000年前後に改造されたはずです。以前も表板で話題になりました。
コメント頂きまして有難うございます。
Tc146・147は、宮原所から広島に転属した冷風車の編成ですね。力作を拝見させて頂きたいと存じます。
>なにわさん
広島の103系は、当初は全てE編成を名乗っておりましたが、平成6年(頃)から電動サボを使用できる編成が増えたことから、こちらの編成がB編成。そして、サボ受けを使用する編成をE編成として区別しておりました。
また、明石からTc171・170編成を淀川に転出した時Tc170は方転されており、1編成を2分割したのでTc170は方転されたと思われます。
また、平成3年度下期に片町線に207系量産車が続々と配置された時に同線から転出する際に、それまでの7連貫通編成から変則のクモハ編成の7連と組成した頃は前後のクハ103は番号が揃っていたと思われます。しかし、1部の編成のTc編成が組み換えられた時に編成をバラされたものもあり、そのため、Tc94・Tc5が方転されたのだと推測されます。私個人の見解にすぎませんことを御承知置き下さい。
今回模型化のE-03編成はTc-146/147に依る編成を作っています。下関組のMc23も捨てがたいものが有るのですがね。
拝見させて頂きました。広島の103系は、配置両数の割にはバラエティに富んでいたと思われます。
B01・E01・E03は平成4年に207系投入により、下関の115系非冷房淘汰で、半年間だけ配置された、貴重な下関経験車ですね
私はその録音を持っております。
また、現在、岡山でB01は健在ですがMM´29の黒サッシは、ヒネ時代お気に入りだっただけに、その変貌ぶりには驚いております。B07のTc43も昭和39年度山手線新製配置車が29番同様の若番で黒サッシ車は、広島の特徴車と申し上げても過言ではないでしょう。
B02は、冷房の配電版が濃いグリーンとはっきりわかりますので、関西の103系の特徴のひとつが出ておりますね。
E07は、岡山からのマスカット色での転入車で、クハ103は昭和47年度下期、103系初の新製冷房車で山手線での在籍がおよそ1年ほどで本線緩行高槻へ転属した山手線のクハでは最も在籍期間が短い車両でした。また、昭和46年度末に明石にユニット窓で非冷房の第1次改良冷房改造車と昭和47年度車との差異は、三相電源が両側に突き出している点が最大の特徴です。
B14は、昭和48年度上期山手線新製配置のクハ103-267・268で、低運車のラストナンバーと宮原所から転入時には、横の字幕を使用していたので、サボ受けがないのが特徴でした。
B09は、昭和44年度の明石新製配置車で、JR化後に明石の103系は鷹取持ちとなり、昭和63年度に冷房改造を施工のため、ランボードが斜めになっているのが特徴です。また、唯一現役の103系で戸袋付きなのは有名ですね。
E04は、広島唯一の高運車で、武蔵野線用の元38番編成で、昭和55年度豊田新製配置車で、56-10で津田沼に増発用として転属した経歴があります。
D2・D3は、昭和44年度明石新製配置車ですが、淀川に転属後、先頭車改造を施工、低運で豚鼻ライトの非ユニット窓車と冷風車なのが特徴で、3両化されたこのタイプは、残留する可能性が高いと思われます。
最後の幡生工場の解体シーンは目を覆ってしまいました。銘板部分のウグイスは山手線に新製配置された証ですね。
また、模型化されたE01・E03も下関経験車です。E03は、平成7年に日根野に戻った、Mc23M´105Tc26で、鳳ー東羽衣間のワンマン車で活躍していた車両です。
B03の昭和50年4月に明石に103系最初の冷房改造車のクハ103-151・150の編成もお勧め致します。
東急7000系に初めて乗ったとき、戸袋窓がなく外が見えなくてがっかりした記憶があります。
ですが、最近は日よけのカーテンがない電車がはびこっているので、敢えて窓のない戸袋のところに座ったりしています。まあ、勝手なものですね。
毎日猛暑日の信濃国です~ m(--m)~~
広島の103系、広B???編成…。
ん~、隠密には全部同じに見えま~す(^^;
同様に長ナノの115系も全部同じに見えま~す(^^;
お面だけ撮ってウンヌン…
人それぞれということでしょうね(^^;