二日目の朝は3時半起き。
部屋の若い人が目覚ましセットしてくれて、起きたけどボー
7時半には寝ているのだけど、夜中にトイレに立つ人がいて目が覚めたりしていたから。
本当に4時には山頂目指して登り始める。
ライトは持ってこなかった。重いし、もし登らないとなったら邪魔になるだけだし。
4時半には明るくなると知っていたし。(こういう考えはいけないと思うけど。)
周りは薄明るくなって来ているし、他人の明かりで下は見えるし
半分も登らないのに日が出始める。
8合目まで行きつかないうちにご来光。
それでも見えただけラッキー。
歩いている道から見えないと思っていたから。
蝶ヶ岳への分岐点。
頂上はまだ先。
石や岩だらけの道で、これが道かと思う所。
やっとたどり着いた頂上。
周りは何も見えず。
踏み外したら命ないでしょ。
恐ろしい~これが頂上?
とにかく記念撮影。
写真見て思う。
おばばだわ。私ってこんな年寄りなのねと実感。
槍ヶ岳も穂高連峰も、なにも見え~ず。
景色が良いという事だけど、真っ白じゃね。
怖いガイドが、後ろがつかえているからさっさと下りろと怒っているから、そうそうに下山。
たくさん登山客がいるから仕方がない。
8合目付近から常念小屋を見下ろす。
下りるにはゴロゴロ岩の上を下りてくるのだけど、それだけで体力つかいはたした感じで
ご飯の時もぼんやり。
お代わりいりません。
7時に朝飯で、40分には玄関に集合。
休んでいる暇もない。
荷物まとめて、トイレも済ませて、お土産買って帰り支度。
今年は全員で記念撮影する事もなく、準備運動して帰るだけ。
水場の所まではついて行けたのだけど。
水少し飲んで、このあたりから雨がパラパラ。
胸突き八丁のあたりではかなり降って来た。
そこを過ぎてからかっぱを着る。
暑いし面倒なので上だけ。下はもう濡れても関係ないと思ったから。
かっぱも少し着ただけでまた脱ぐ事になったけど。
その頃には前から完全に置いて行かれて、そのうち私一人だけ。
ガイドは置いて行くわけにはいかないから後ろに付いている。
足が痛くなり出し困ったなと思ったけど、なんとか下りるしかないし。
私がもたもた歩いているから、しびれを切らしたのか「荷物持たして下さい」と
私のリュックを持ってくれた。
最初からそういう人がいる事を想定したのか、キャリーを持っていた。
何に使うのかと思っていたけど、こういう時に使うのかと納得。
もう遅れているし、バスも来るからと言われて必死で下りる。
左足は笑っている状態で、右足は膝が痛い。
足壊れてもいいから歩くしかないとただひたすら歩く。
後ろにいるガイドは足音一つ立てないから、誰かがいるとは思えないほど静か。
何も言わないし、人が来たから避けろと言うだけ。
途中5分休み、そのうち休み時間は3分になり、最後は立ったまま近くの水汲んで飲んで
ようやくたどり着く。
ちょうどバスが来たという事で、先に来ていた人が拍手で迎えてくれたけど情けない。
バスの中でガイドから、辛口コメントですがと前置きして、「体力無い人、脚力ない人、体調悪い人は登ってはいけない」
というような話をした。
「山は逃げない」と言うけど「歳月は逃げる」と言った人がいたというけど
確かに時間はどんどん過ぎて行ってしまうし、年を取るから体力は落ちる。
山岳救助する人からしたら、そういう人が来るから遭難が増えると苦々しく思っているのかもしれない。
そう言われる前からもう登山はやめようと思っていた。
他人について行けないのならやめるしかない。
個人で好き勝手に登れればいいけど、これからは近くの光城山専門でいいかなと。
光城山へ登って、今まで登った山達を見て『ありがとう蝶ヶ岳、バカヤロー常念岳、さよなら燕岳」
と
思いつつ見ようかなと。
燕岳に登って登山やめようと思っていたけど、甘い。
さっさと見切りつけるしかないと、今回の登山で思ったのでした。
火曜日には整形外科へ行って診てもらって、無理したから膝に水が溜まっていると
抜いてもらい痛み止め注射してもらい、何とか歩く事が出来る。