ハン前総理,控訴事実すべて否認
検察,わいろ授受疑惑で懲役5年求刑
ノ・ヒョンウン記者ソン・ギョンファ記者
ソウル中央地方地検この日の公判で、韓前総理は‘大統領府人事担当者または産業資源部長官などに、クァク前社長を石炭公社社長に推薦したことがあるか’という弁護人質問に“推薦したこともなく, 応募期間さえ分からなかった”と明らかにした。
韓前総理は引き続き“総理公館で昼食をすれば、儀式順序により常に先に昼食室を抜け出した”とし、“昼食を終えた後にも執務室にすぐ移動しなければならないので,先に警護車両と共に離れた”と明らかにした。 また“その日の昼食はチョン・セギュン(産業資源部)長官の退任慰労のために用意した”と話した。
韓前総理はクァク前社長からゴルフクラブを贈られたという検察主張に対しては、“同僚政治家・企業家・官僚・言論人などとゴルフをしたことが一度もない。ゴルフクラブのブランド名もよく分からない”と話した。
彼女は最後弁論で“総理として高い道徳性を持たなければならないと信じ、そのように生きてきた。検察は親しければ金を受け取ることもあり,食事を一緒にすれば請託を受けたと推定し起訴した”、“真実を明らかにするために最善を尽くした。正義と真実が勝つということを司法が見せるようお願いする”と話した。
反面検察は“韓前総理は最高位公職者として公館でわいろを受け取るなど国民の信頼を大きく破った。クァク前社長との関係やゴルフクラブなどに対して偽りで一貫している”と主張した。
韓前総理の1審は来る9日に結審する。
●昨年5月、ノムヒョン国民葬での弔辞がまだぼくの耳元に残っている。その後の彼女の発言、行動に注目してきた。ミミズク蒐集家の彼女が、ミミズク岩で投身したノムヒョンとの思い出を記したエッセイ、ノムヒョンをいつから気にし始めたのかなど光州のチョップル少女時代をつづったエッセイなどと読み、ブログにもその都度載せてきた。そして今回、慕い尊敬する大統領を死に追いやった下手人ーこの国の言論と検察から賄賂授受の告発を受け、弔い合戦に立ちあがった後の、毅然とした彼女の言動も追跡してきた。
怒りをこらえて「私はそのように生きてこなかった」と宣言、自身の半生をあらわした自叙伝(先日紹介)を読んで、ぼくは確信した。どのような権力も、暴力も、陰謀も、しなやかではあるが芯の強い彼女を抹殺し葬ることはできないであろうと。
平壌の裕福な家庭で生まれた彼女が、大家族の長女として極貧に耐え激動の韓国社会を生き抜いてきた彼女が、恋をし社会に目覚め、獄中の夫を励まし続け、自身も拷問、投獄されても信念を曲げずに総理にまで上り詰めた彼女が、退任後ノムヒョンの描くボンハの夢に自身の余生を捧げようとした彼女が
、何故また政治の真っただ中に立つことになったのか。
…
まずは9日結審の日を待つ。namsang
検察,わいろ授受疑惑で懲役5年求刑
ノ・ヒョンウン記者ソン・ギョンファ記者
ソウル中央地方地検この日の公判で、韓前総理は‘大統領府人事担当者または産業資源部長官などに、クァク前社長を石炭公社社長に推薦したことがあるか’という弁護人質問に“推薦したこともなく, 応募期間さえ分からなかった”と明らかにした。
韓前総理は引き続き“総理公館で昼食をすれば、儀式順序により常に先に昼食室を抜け出した”とし、“昼食を終えた後にも執務室にすぐ移動しなければならないので,先に警護車両と共に離れた”と明らかにした。 また“その日の昼食はチョン・セギュン(産業資源部)長官の退任慰労のために用意した”と話した。
韓前総理はクァク前社長からゴルフクラブを贈られたという検察主張に対しては、“同僚政治家・企業家・官僚・言論人などとゴルフをしたことが一度もない。ゴルフクラブのブランド名もよく分からない”と話した。
彼女は最後弁論で“総理として高い道徳性を持たなければならないと信じ、そのように生きてきた。検察は親しければ金を受け取ることもあり,食事を一緒にすれば請託を受けたと推定し起訴した”、“真実を明らかにするために最善を尽くした。正義と真実が勝つということを司法が見せるようお願いする”と話した。
反面検察は“韓前総理は最高位公職者として公館でわいろを受け取るなど国民の信頼を大きく破った。クァク前社長との関係やゴルフクラブなどに対して偽りで一貫している”と主張した。
韓前総理の1審は来る9日に結審する。
●昨年5月、ノムヒョン国民葬での弔辞がまだぼくの耳元に残っている。その後の彼女の発言、行動に注目してきた。ミミズク蒐集家の彼女が、ミミズク岩で投身したノムヒョンとの思い出を記したエッセイ、ノムヒョンをいつから気にし始めたのかなど光州のチョップル少女時代をつづったエッセイなどと読み、ブログにもその都度載せてきた。そして今回、慕い尊敬する大統領を死に追いやった下手人ーこの国の言論と検察から賄賂授受の告発を受け、弔い合戦に立ちあがった後の、毅然とした彼女の言動も追跡してきた。
怒りをこらえて「私はそのように生きてこなかった」と宣言、自身の半生をあらわした自叙伝(先日紹介)を読んで、ぼくは確信した。どのような権力も、暴力も、陰謀も、しなやかではあるが芯の強い彼女を抹殺し葬ることはできないであろうと。
平壌の裕福な家庭で生まれた彼女が、大家族の長女として極貧に耐え激動の韓国社会を生き抜いてきた彼女が、恋をし社会に目覚め、獄中の夫を励まし続け、自身も拷問、投獄されても信念を曲げずに総理にまで上り詰めた彼女が、退任後ノムヒョンの描くボンハの夢に自身の余生を捧げようとした彼女が
、何故また政治の真っただ中に立つことになったのか。
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まずは9日結審の日を待つ。namsang