NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)

2012年07月23日 | 管理人のつぶやき
この世に絶望することはたやすい。

しかし、絶望するのではなくて、闘い続ける人々がいる。
私はそのような人々を尊敬する。

この演説は、ぜひ、全文を読んでほしいと思う。
日本語訳をしてくださった、打村明さんに感謝申し上げます。


http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/


リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版)

Posted by Akira Uchimura
/July 22, 2012/Leave a comment

なんということでしょう。リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!

こんな大事なスピーチですので、日本の皆様にも紹介したく未熟ながら翻訳しました。訂正点や思ったことがありましたらコメント欄にお書きください。

もう一つガッカリしたことがあります。

リオ会議に期待を寄せ、Youtubeで各首脳のスピーチや、かの有名な伝説のスピーチをしたサヴァン・スズキさんの映像も見ていました。リオ会議では各国首脳が集まり、地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多いリオ会議だったと思います。

ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。世界で最も「貧乏」な大統領と言われているエル・ペペ(愛称)が世界に対してどんなメッセージを残したのでしょうか。私にとってはいつも考えなければならない重要なスピーチにもなりました。



ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)

————————————————————————————————————————

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売っては行けない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクレオ、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合をそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

働き者の我が国民は一生懸命8時間働きます。今日は6時間働く人が増えています。しかし6時間労働の人は、その後もう一つの仕事をします。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福の対抗にあっては行けないのです。発展というものは人類の本当の幸福を目指さなければならないのです。愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限のものを持つこと。

幸福が私たちのもっとも大切な「もの」だからなのです。環境のために戦うのであれば、幸福が人類の一番大事な原料だということを忘れてはいけません。

ありがとうございました。

安哲秀の考え

2012年07月23日 | 南域内情勢
7月19日に出版されたこの本が、今日届いた。

パラパラと見て見た。やはり誠実で、率直な人柄が、滲みでている。
ちゃんと読みたいと思う。

とりあえず、10冊仕入れたのが、もう一冊しか残っていない。
今週末には追加で15冊入荷する予定。

ご希望の方は、こちらへ。ブログを見たと言ってくだされば、送料は無料とします。
ハングルの森 楽天市場店
http://item.rakuten.co.jp/eac-hg/c/0000000127
ハングルの森本店
http://www.eac-hg.jp/hanglesup/?mode=cate&ct=02_03_04

by maneappa

磯貝治良副理事長さん、おめでとうございます。

2012年07月23日 | 南北鐵道関連消息
以前紹介しましたが、
昨日、「社会参加としての在日朝鮮人文学―磯貝治良とその文学サークル​の活動を通して」という集会がありました。
名古屋大学留学生センターのオープンフォーラムで、磯貝治良さんの発表のほかに、文芸評論家の清水良典さんの磯貝治良の評価、そして最近小説家としての人生を歩み始めた黄英治さんからは、「在日朝鮮人にとっての磯貝治良―社会運動と文学の側面から」というテーマで話された。

そのことを黄英治さんが自身のFacebookに載せていたので、ここに転載します。

「在日朝鮮人にとっての磯貝治良」とは、端的に、説明を求めな​い日本人ということになるのかも知れません。
そう、絶妙な表現ですね(*^。^*)


by maneappa

……………………………

先ほど名古屋から帰宅。

「社会参加としての在日朝鮮人文学―磯貝治良とその文学サークル​の活動を通して」のコメンテーターとして参加。

「在日朝鮮人にとっての磯貝治良―社会運動と文学の側面から」と​いうテーマで話した。

その結論。

 「在日朝鮮人にとっての磯貝治良」とは、端的に、説明を求めな​い日本人ということになるのかも知れません。

 在日朝鮮人はいつも説明させられます。なぜ日本にいるのか、ど​うして日本人と変らないのに朝鮮人なのか、なぜ参政権がないのか​、どうして国へ帰らないのか、差別なんかないのではないか、いつ​まで謝ればいいのか、日本は朝鮮でいいことをしたんじゃないか、​なぜ南北は分断しているのか、どうして日本語が話せるのか、なぜ​朝鮮語が話せないのか、日本で生きて行くのに朝鮮学校は必要なの​か、なぜ朝鮮人が日本学校に通っているのか、パチンコ屋に朝鮮人​が多いのはなぜか、韓国と北朝鮮では言葉が通じるのか、どうして​統一しなければならないのか、南北は分かれたままでいいじゃない​か……。

 質問者が本来知っているべきことを、説明させられることほど、​わずらわしいものはありません。うんざりする無知と、歴史、現実​の歪曲、日々の圧迫のなかで生きている私、在日朝鮮人にとって、​磯貝治良という存在は、希望です。

 だからこそ、磯貝治良に並び、続く社会運動家・文学者の出現を​、私(たち)は、心から願っています。