NPO法人 三千里鐵道 

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政治家は国民の怒りを代弁しなければーイジョンヒ議員

2009年10月10日 | 南域内情勢
注目している政治家の一人。ハンギョレサランパンからの転載です。namsang


“私も弁護士だった時は沈着…政治家は国民の怒りを代弁しなければ”

民主労働党 イ・ジョンヒ議員



パク・チャンス記者,キム・ジウン記者,キム・ギョンホ記者
原文入力:2009-10-09 

←常に戦いの現場で先頭に立つイ・ジョンヒ議員は、「いつも(行動する)直前まで悩む。民主主義が根元から揺れる状況で、どこまで対応するのが正しいのか, どこまでが許されるのか、いつも悩む」と話した。

この前イ・ヘチャン前国務総理がイ・ジョンヒ(40)民主労働党議員を賞賛したという記事が載せられた。「イ・ジョンヒ議員が本当によくやっている。だから後援支援金も出した。」チョン・セギュン民主党代表もやはり公式の党会議で「イ・ジョンヒ議員の努力に尊敬と激励を申し上げる」と話した。政界関係者が他党の国会議員を公開的に賞賛するのはあまりないことだ。政界だけでなく、政界外でもイ・ジョンヒ議員の名前は多く取りざたされる。ろうそくデモや龍山惨事,国会本会議場など、その時々の最も激烈な‘現場’に、常に彼女がいたためだろう。 賛辞だけがあるわけではない。ある保守新聞の論説委員は、「なぜイ議員は常に叫び、戦い、座り込みをする姿だけが見えるのか。国会議員ならばもう少し洗練された方法でできないのか」と指摘した。保守の人々には彼女の‘過激さ’が目立って見えるのかもしれない。

以下、インタビュー抜粋

-イ・ヘチャン前総理からの後援支援金は入ってきましたか?
“はい。(笑い)有難く戴きました。戴いて有難いと電話を差し上げました。”

-イ前総理と直接会ってはいないのですか?
“6月抗争記念事業会でネチズンの皆さんが席を作り、イ前総理と私を呼んでくれました。その場で会いました。”

-イ前総理がどんな話をしましたか?
“激励をたくさんして下さり、政治家の姿勢を話して下さいました。国会議員として仕事をして、どんな点に注目するのが良いか(本人の)経験を語ってくれました。”

-盧武鉉前大統領逝去の直後、イ議員が書いた追慕文を感動的に読みました。‘永らく彼を好きだった’でしたが、支持はしなかった。 なぜそうしたのですか? 後で後悔しませんでしたか?
“ウン~...,盧前大統領がボンハ村に帰り、‘ヤー、チョッタ(あーいいなあ)’、とおっしゃる姿がとても良かった。あの方の政策を支持しようがしまいが‘(私は)あの方が本当に好きだったんだな’、そう思いました。支持しなかった最初の理由はイラク派兵のためでした。派兵に対して私が憲法訴訟を提起した程に、事実とても失望したし残念でした。…進歩的政策もあります。総合不動産税のような…。

-現実政治で価値をそのまま具現することは容易ではないようですね。
“私が法律家として10年生きながら学んだことは、必ず維持されなければならない原則は明確にあるということです。憲法に保障された基本権のようなものでしょう。 他のところでは譲歩したとしても、そういうものは維持しなければならないという共感を広げることが政治勢力の責任だと思います。”

-金大中前大統領は生前にカン・キガプ民主労働党代表に民主大連合の必要性を強調しました。イ・ジョンヒ議員も‘小さな差を突き詰めるより一緒に戦わなければならない’という話をしたことがありますが、共に戦うということは選挙連帯までも可能だという話でしょうか?
“もちろんです。”

-来年6月の地方選挙で民主党と民主労働党,進歩新党が単一候補を出しハンナラ党と対抗するのが望ましく、またそうなるべきだと思いますか?
“原則はそうあらねばならないと思います。ただし適用される態様は地域によって異なることもあります。全国的次元では選挙連帯または選挙連合が必要だが、たとえば湖南では民主党と(民主労働党が)善意の競争をすることが現実的なこともあります。

…*
イ・ジョンヒ議員の出身高校を尋ねた。あえてこれを尋ねたのは、彼女が1987学年度の学力考査で首席を占めたことを引き出すためであった。彼女は340点満点に326点で、全国女子の首席を占めた。言論インタビューがどっと押し寄せ、‘これから何になりたいのか’という質問が繰り返された。彼女もやはり「法曹人になって疎外された人々を助けたい」という返事を繰り返した。彼女はとても自然にソウル大法大に進学した。「ある新聞で‘首席合格者たちがよくそのように言うが、実際にそのような生活を送っているか’と指摘するコラムを読みました。幼い年齢でうっかりしてした返事なのに、その返事がその後にも私の頭の中にずっと残ったようです。自分の話に責任を負わなければならないということ….」大学時期には勉強より運動にさらに情熱を注ぎ、ソウル大総女子学生会長まで務めた。

-どの高等学校を出てきましたか?
“ソウル瑞文女子高ですがよくご存知なかったんですよ。イ・ヒョリ氏が出た学校と言えば皆分かります。(笑い)”

-勉強をとてもよくしたが、大学に入って学生運動に身を投じた特別な契機がありましたか?
“女性問題に対する自覚のためでした。1学年の時、女性問題に対し分析した文を見て、継続して覗いて見たいと考えました。その頃、東豆川で駐韓米軍によって殺害されたユン・クミ氏事件に接しました。私の同期たちの中で東豆川の性売買女性の憩いの場で仕事をした人が何人かいましたが、彼らを助けに行きそれがとても深刻な問題だということを知ることになりました。売春問題と駐韓米軍問題が互いに複雑に絡まっていることを知りました。その被害者たちの問題を解決してあげたいという考えで司法試験の準備をしたので、私の人生で女性問題に対する自覚が大きな変換点だったと言えます。”

-国会議員になった後、最も悲しかった時、最も残念だった時はいつですか?
“龍山事件が起きた時、1月20日ですが朝8時半ぐらいに現場に行きましたが全面凍結していました。そこは電線がとても多いのですが、午前中ずっとその電線から雨が降るように水が落ちていました。夜明けにどれほどの(水大砲を)撃ちまくったらああなるのかと思いました。私が国会での対政府質問を準備していると(鎮圧当時現場にいた)1人が自分が撮った映像を送ってきました。それを見ればイ・ソンス(死亡)氏と思われる方が(建物屋上から)飛び降りる所がないかときょろきょろ探して火と有毒ガスに倒れる場面が出てきます。‘あそこに人がいるのに…’と泣く声も聞こえ‘人が落ちる’という声も聞こえます。それでもイ・ソンス氏の頭の上にはずっと水大砲が降り注ぎます。人が落ちるその場面は私だけが見たものですが、あんなに悲しい場面をそのような情報を見られるのが国会議員の特権かもしれません。”


-パク・セイル ソウル大教授が‘保守は哲学がなく進歩は政策がない’と指摘したことがあります。進歩勢力には政策がない、コンテンツがないという批判をどう思いますか?
“私はもし私たちが明日執権するならば、この国をどのように運営していくか、そういうことを毎日考えています。(笑い)政策が足りない、代案が多くない、満たさなければならないことが多い、こういう批判をたくさん受けますが、私たちが描く社会に対する夢が全くないということではないのではありませんか? すでに見せましたよ。今直ちに何から行うべきか、反対する方々をどのように説得することができるかが(もっと重要な)問題だと考えます。説得できる論理と進行できる段階を一つずつ作ることが重要だと考えて私も努力しています。”

-ある保守新聞社の論説委員にイ・ジョンヒ議員にインタビューをすると言うと、‘イ議員は良いことは良いんだけど、どうして常に戦って座り込みする方式ばかりするのかが分からない’と言いました。こういう批判をどう思いますか?
“(しばらく考えた後)私が元々、弁護士をしていたじゃないですか。討論し反論し、そのように仕事をするのが最もやさしく気楽です。国会がそういうところだと考えてきたんですよ。ところが、来てみたらそのような討論が不可能な状況がとても多く起こります。‘(議員の)数が多いからすべてやってしまう’と言うのに、そこで‘私は討論を少ししなければならない’と言えますか? そうすれば私の責任が終わるのでしょうか、国民が‘あなたはすべき仕事はすべてした。数が少ないから仕方ない’と言うことが出来るかについては疑問があります。国会議員と弁護士が違う点が何か考えてみれば、弁護士の時は本当に冷静で物静かでとても静かに仕事をしていました。わざわざ距離をおいたりもしたんですよ。ところが政治はそんなに冷静にすれば済むことではないようです。国民にとっては腹を立てることまで代弁できる人が必要なのではないのかと思います。”

-自分のどんな面が評価を受けていると考えますか?
“私には恐いものがありません。(笑い)二番目は、私が常識ないしは法律に知識があり説得して論駁する仕事をしてきましたよね? 相対的にそういうことに習熟しているからそうみたいです。大声を張り上げなくても討論し説得できる方法を知っているから。”


ノーベル平和賞受賞と米朝対話の行方ー聯合ニュース

2009年10月10日 | 朝米関係関連消息
「チェンジ」に期待しすぎてヤキモキしていた。韓半島の平和、北核問題にどのような影響を及ぼすのであろう。右寄り(?)の聯合が伝えるから,より興味が湧く。namsang
 
      
          オバマ ノーベル平和賞,北核接近法への影響は?
               
                      |記事入力2009-10-09 23:33

(ワシントン=聯合ニュース)
ソン・キホン特派員=バラク・オバマ米国大統領のノーベル平和賞受賞で、今後彼の実用外交路線にずみがつくと展望し、米行政府の北核解決法と速度にも影響を及ぼすのかが注目される。

ノルウェーノーベル委員会は9日、オバマ大統領をノーベル平和賞受賞者に選定した理由として、"核兵器のない世界のためのオバマのビジョンと努力を重視する"と明らかにした。

'核兵器がない世界のためのオバマのビジョン'は、去る4月発表したプラハ'核のない世界'構想で、▲核軍縮▲非拡散▲核エネルギーの平和的利用▲核安保などを総論的に提示された。


北朝鮮核問題はオバマ大統領にとって、イラン核問題とともに'核のない世界'実現のために必ず解決しなければならない宿題だ。 ノーベル平和賞受賞は北朝鮮の核問題を解決しなければならないという責任を、一層重くしたという側面もある。

米国言論はこの日、オバマ大統領のノーベル平和賞受賞を伝え、'核のない世界'実現のため,ミャンマー,北朝鮮に対する包容政策"と,北朝鮮など'悪の枢軸'国家との対話路線"等が高い評価を受けたと論評した。

前任のブッシュ行政府の'一方主義'外交路線とは、軌道を別にするという点でも国際社会の好評を受けたということだ。

オバマ行政府は、理念より実用的接近を重視し、敵対的な国家とも対話が必要だという路線を明らかにしている。

対北朝鮮問題でも'完全で検証可能な北朝鮮非核化'と、'北朝鮮の6者会談復帰'という大前提を土台にして, 最近北朝鮮の'柔和路線'に歩調をそろえるように、北・米対話に応じるという基調で外交的接近を強化している。

もちろんオバマ行政府は'6者会談枠組み内の両者対話' '6者会談復帰を促進する両者対話'と限定しているが。

現在の北核局面は、キム・ジョンイル北朝鮮国防委員長の'条件付き6者会談復帰'発言を契機に、北朝鮮,米対話がいつ頃開かれるのかに関心が移った。 北・米は両者対話の内容,形式,地位などで激しいつばぜり合いを行っている様相なので、北朝鮮,米対話の時点を予想することはまだ早い。

だが現時点でオバマ大統領のノーベル平和賞受賞は、北朝鮮,米対話に対する国際社会の関心を高めるものと見られる。

ノーベル平和賞まで受賞したオバマが、どんなカードで北朝鮮,米対話に臨み, 外交的手腕を発揮するのかが注目される。

ワシントン消息筋は、"北朝鮮,米対話は、両者はもちろん6者会談の他の参加国の利害まで関わっている問題なので、実務的な調整,協議が必要だとし、オバマのノーベル平和賞受賞が北朝鮮,米対話の開催時期や意味に変化を与えるものではない"と話した。

この消息筋は、"ただしノーベル平和賞受賞がオバマの外交路線に弾みをつけさせるための国際的意味が含まれているとし、北核問題に臨むオバマ行政府の意志,推進スケジュールなどに一定の影響を及ぼす"とも話した。