NPO法人 三千里鐵道 

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「80年代のスパイ事件、3件はねつ造」

2008年10月14日 | 南北関係関連消息
 このような活動が保障されている韓国という国を誇らしく思う。

 過去において国家の名のもとに行われた犯罪行為が民主化を経て、国家の名において真相を明らかにしていくのである。
 不本意な汚名を着せられ殺された人々。その遺族もどれほどの苦労をしたことだろうか。


 3月に家族で韓国旅行した時に、朝鮮戦争時代の良民虐殺の事実を伝え追慕するために整備された智異山麓の『山清・咸陽事件犠牲者墓域』というものがあり、訪問する予定をしていたが時間切れでかなわなかった。

実は、韓国全土にこのような施設がある。その原動力になっているのが、真実・和解のための過去史整理委員会である。

この委員会の活動に心から声援を送りたいと思う。


「80年代のスパイ事件、3件はねつ造」http://www.chosunonline.com/article/20081014000056

真実和解委「令状もなく拘禁し自白を強要、証拠もでっち上げ」

 真実・和解のための過去史整理委員会(安秉旭〈アン・ビョンウク〉委員長、以下、真実和解委)は13日、1980年代に起こった3件のスパイ事件を調査した結果、「国軍保安司令部(保安司、現在の国軍機務司令部)や国家安全企画部(安企部、現在の国家情報院)によるねつ造事件。国家は被害者と家族に謝罪し、名誉回復のため再審などの措置を取るように」と勧告した。

 真実和解委がねつ造事件だと指摘したのは、「オ・ジュソク事件」「在日韓国人留学生イ・ジョンス事件」「イム・ソングク死亡事件」の3件だ。

 流通企業の理事だったオ・ジュソクさんは、1983年にスパイ容疑で安企部に逮捕され、取り調べを受けた。1980年5月に流通企業視察のため日本に渡り、在日韓国人の親戚の家を訪れたことが原因だった。オさんは当時、親戚の家で金日成(キム・イルソン)主席の写真が掲げてあるのを見て、2時間程度でその家を離れた。しかし3年後、この件で安企部に連行され、「在日韓国人の親戚から金品を受け取り、見返りに国家機密を探知した」という疑いをかけられ取り調べを受けた。

 真実和解委によると、安企部は逮捕状なしに58日間もオさんを拘禁し自白を強要、殴打したり水を使った拷問を加えた。オさんはこれに耐えられずうその自白をし、1988年12月に仮釈放されるまで5年8カ月にわたり監獄で過ごした。

 真実和解委は「安企部は当時、オさんが入手し北朝鮮の工作員に渡した証拠物として『春川竹林洞防衛支援委員会内規』という冊子を提出した。今回の調査の結果、その冊子は当時の竹林洞長が安企部の捜査官の指示で作ったものだと分かった」と発表した。物証自体、完全にねつ造された事件だったというわけだ。

 安企部の後身である国家情報院(国情院)は同日、真実和解委の発表内容の事実関係については一切言及せず、「被害者が再審を申請すれば積極的に協力する」という趣旨を発表するにとどまった。


真実和解委「令状もなく拘禁し自白を強要、証拠もでっち上げ」

 在日韓国人イ・ジョンスさん(50)は1980年4月、留学のため韓国に渡った。しかし高麗大に在学中だった82年11月、保安司の捜査官に連行され、スパイ容疑で取り調べを受けた。

 真実和解委によると、イさんはソウル市竜山区西氷庫洞にあった保安司対共分室で39日間拘禁され拷問を受けた後、「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系対南工作員の指令を受け韓国入りし、国家機密を探知した」とうその自白をした。この疑いでイさんは懲役10年を宣告されたが、5年8カ月後に刑執行停止となり、釈放された。

 真実和解委は「当時の駐大阪韓国領事館が“イ氏を取り込んだという人物は、朝鮮総連ではなく在日本大韓民国民団(民団)所属で、対南工作活動を証明できない”という文書を送ってきたが、保安司はこれを無視した」と発表した。

 このイ・ジョンス事件については、国防部の過去史真相究明委員会も昨年調査を行ったが、結論を出せずにいた。しかし今回、真実和解委は「ねつ造だった」との結論を下した。

 全羅南道新安郡の漁師だったイム・ソングクさんは1985年7月、光州505保安部隊の捜査官によって連行され取り調べを受け、釈放された直後に死亡した。イムさんが取り調べを受けたのは、借家の大家チョ某さんの兄弟が韓国に派遣されたスパイだったためだ。保安司は、チョさんと一つ屋根の下で暮らしていたイムさんもそのスパイと接触していたのではないかと疑った。イムさんは保安部隊で28時間取り調べを受け、釈放された。当時イムさんの体は全身アザで真っ黒になっており、血を吐いて頭痛を訴え、2週間後に亡くなった。

 イムさんの母親や兄弟らは、イムさんがどの機関に連行されたのかさえ分からず、10年余りの間どこにも抗議できなかったが、真実和解委に真相究明を依頼した。

 保安司の後身に当たる国軍機務司令部は、二つの事件について「かなり前の事件であり、すぐには確認できない。事実関係を確認したい」と発表した。

キム・ジンミョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

牛が一頭青瓦台に迷い込んできた・・・

2008年10月14日 | 管理人のつぶやき
小話を一席…

韓国では青瓦台ネタが尽きないが。こんなのがあるらしい。

牛が一頭青瓦台に迷い込んできた・・・
それを見つけた守衛が大統領に報告すると。

李承晩大統領「米国大使を呼んでパーティをしよう」
朴正煕大統領「セマウル運動に使おう」
全斗煥大統領「家族を呼んで焼肉パーティだ」
盧泰愚大統領「側近を呼んで焼肉パーティだ」
金泳三大統領「息子の賢哲と相談して決めよう」
金大中大統領「北に送ろう」
盧武鉉大統領「金正日国防委員長と相談して決めよう」
李明博大統領「ブッシュ大統領と相談して決めよう」

ちゃんちゃん