玄冶店(げんやだな)と聞けば、春日八郎のお富さんを思い出す。粋な黒塀見越の松に 仇
な姿の洗い髪 死んだ筈だよお富さん 生きていたとは お釈迦様でも知らぬ仏の お富さん
エッサオー源冶店(げんやだな)と聞こえてきます。ところが、これはお芝居の話です。
本当は、幕府の医師であった岡本玄冶(げんや)の拝領屋敷のあったことから「玄冶店」と
呼ばれた。三代将軍家光が疱瘡を患ったとき、その頃権勢抜群であった春日局の反対を押し切
って酒浴という療法で成功したと言いますね。玄冶の子孫は明治まで9代この地で職と名跡を
継いだということです。
通称「切られ与三」の歌舞伎の演目は「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)
で、嘉永6年(1853)江戸中村座で初演されたといいます。