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慶長年間に江戸に幕府が開かれ、米蔵を造営するための石材を遠く肥後熊本から運搬してい
ました。しかし、途中の遠州灘の沖でしばしば遭難に逢い困っていました。ところが或る時、
稲荷の神の示現を得て以後は航海安全を得ることができました。その神徳奉賛のため社を浅草
御蔵の中に創起し、楫取りと称え今日に至っています。
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楫取は、神徳に因んで付けられたもので、船の楫取りをした稲荷の神の社という意があるそ
うです。此の地に楫取稲荷神社が鎮座以来370年、ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのか
み)、御年神(としがみ)、豊受姫神(とようけひめのかみ)です。
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