善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は未詳。明治15年頃日本鉄道会社の東
北線(現JR)が通じて分断され、袴線橋となっています。伊藤晴雨が描いた「根岸八景」の
「芋坂の晩鐘」は、天王寺の五重塔を望むのどかなたたずまいをよくあらわしている。(荒川
区教育委員会)
台東区の表示
台東区側の「芋坂」の表示によると、「この坂で 自然薯(山芋)が取れたのに因むとい
う」となっています。芋が取れたから芋坂 説得力がありますね。正岡子規をはじめ夏目漱
石、泉鏡花などの作品にも登場している芋坂です。慶応4年の上野戦争で官軍に敗れた彰義
隊士がこの坂を駆けおりて、羽二重団子の店の床下に刀槍を投げ込み、野良着に着かえて日光
を目指して走ったと伝えられています。