昭和57年(1982)12月11日建立開眼。倉田辰彦氏の創作、発願は山谷老友会。
主旨は、山谷の労働者は連帯しささえあっているが、死後の安心なしには真の生活の安らぎ
がないとして、地蔵尊の建立を思い立った。ひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてき
た日雇労働者のシンボルといえるとして「ひまわり地蔵尊」とした とあります。
可笑塚 墓地の一隅に一声風靡した「三遊亭可笑塚」があり、有名な可笑純情詩集の一説が
記されています。「古よりの言の葉に、山紫水明の地、必ず偉人を生じるとかや。ァァされど
われ未だ偉人の部類に属することかなわず。若き落語家可笑をはぐくみし故郷は南奥多摩の絶
景の地なり」と。