散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

鷲 神 社 (台東区千束3丁目)

2008-06-20 07:26:21 | Weblog
 

  子規の句碑です

 鷲神社は「おおとりじんじや」と読みます。江戸時代は鷲大明神社と書いて「わ

しだいみょうじんのやしろ」と読んだそうです。明治のはじめに現在の「鷲神社」

になりました。  

 祭神は天之日鷲命・日本武尊の二神です。天之日鷲命の祠に日本武尊が東国征伐

の帰途、熊手をかけて戦勝を祝ったのが11月の酉の日で、以後この日をお祭りと

定めたといいます。現在のお酉さまと言うわけです。

 酉の市は、江戸中期より冬の到来を告げる風物詩として発展し、足立区花畑を

「大鳥」、浅草を「新鳥」と称しました。浅草は浅草観音・新吉原・猿若町芝居小

屋を控え賑わいを見せました。(資料・台東区教育委員会)

羅漢さま (正寶院境内)

2008-06-19 07:56:09 | Weblog
 

 

 飛不動の正寶院境内で、羅漢さまと洗心童子を見ました。説明文を読んでみます

と、「羅漢」は「阿羅漢」の略で古代インド語サンスリットの「アルハット」が語

源だそうです。直訳すると「するに値する人」「受ける資格のある人」ということ

になります。  

 これから発展して「修行を完成し、尊敬かるに値する人」「悟りを得た人」とい

う意味となり、究極的真理を得た聖人につけられる名称となりました。と書いてあ

ります。お二人でなにか語り合っていますね。

正寶院の飛不動(台東区竜泉3丁目)

2008-06-18 07:39:52 | Weblog
 

 

 最近、空の安全祈願の参詣者が増えた飛不動に行きました。正寶院の本尊は木造

不動明王坐像で、「飛不動」の通称で知られています。名の由来は、昔、このお寺

の住職が大和国大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地に飛び

帰り、人々にご利益授けたことによると伝えられています。  

 「飛不動」は本尊の通称だけでなく、正寶院の通称ともなり、江戸時代前期、寛

文年間の「新板江戸大絵図」には、すでに「飛不動」の名で見えます。複利増長・

息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、「日本国華万葉記」や「江戸砂子」

などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されています。近年は航空安全の守

護神として崇敬をうけています。(資料・台東区教育委員会)

一葉記念館(台東区竜泉3丁目)

2008-06-17 07:45:21 | Weblog
 

 

 地下鉄三ノ輪駅から国際通りを南へ、一葉記念館を見学しました。昭和36年に

女流作家の単独資料館としては始めて開設されましたが、建物が老朽化したこと、

「五千円の肖像」に決まったことで改築が決まり、平成18年11月に新記念館が

完成しました。  

 2~3階が展示室になっています。撮影禁止で監視カメラに睨まれていましたの

で、明治時代を色濃く残した様子をお見せできなくて残念。  

 「たけくらべ」の一節「美登利の家の前で下駄の鼻緒を切った信如、これを見た

美登利が、格子戸の内から恥らいながら端ぎれを投げる。だが、信如はこれを受け

取らず去っていく・・」というシーンの模型が展示してありました。

 うーむ 今の若い人に このシーンを理解できるかな デス。 

 

 記念館の前の一葉旧居跡の記念公園には「一葉女史 たけくらべ記念碑」が建立

されており、明治時代にタイムスリップした感じでした。

樋口一葉文学碑(千束稲荷神社境内)

2008-06-16 07:23:56 | Weblog
 

  美人ですね

 今年5月に建立された文学碑です。正面碑文に、樋口一葉が明治26年8月19

日に書いた文が刻まれています。「明日は鎮守なる千束神社の大祭なり 今歳は殊

ににぎわしく 山車なども引出るとて人々さわぐ 樋口 夏」と。 

 横の面には、六代目宮司の千村義和氏が、この度文学碑が奉納され、一葉女史と

千束神社との縁が永く語られます と記されています。 

  

 この辺りは、一葉が「たけくらべ」を就筆したとされるところで、街全体に樋口

一葉の香りがします。

 

千束稲荷神社 (台東区竜泉)

2008-06-15 07:48:31 | Weblog
 

 

 御祭神は倉稲魂命で、江戸時代四代将軍家綱公の寛文年間に創設されました。浅

草一円を千束郷といい、上下二社の稲荷社がつくられ、千束稲荷神社はその下社で

北千束郷の氏神になりました。  

 

 現在の神社になったのは、明治5年の太政官令により竜泉寺町一円の氏神となっ

て現在に至っています。  

 初午祭(二の午の日)には、百灯あまりの行灯が飾られて、樋口一葉「たけくら

べ」の明治26年~7年の祭礼が舞台となり、子供たちが遊んだ神社として有名に

なりました。

タチアオイが賑やかに

2008-06-14 07:53:35 | Weblog
 

 

 今年も咲きました。タチアオイの花は、道端や庭先などに植えられて親しまれて

います。夏の花といわれますが、すでに満開になっていました。これは、近所の車

庫のフェンス沿いに咲いているものですがキレイですね。 

 この花はなかなか強いらしく、土質を選ばないといわれます。しかし日当たりの

良い所でないと花が咲かないと聞きました。  

 

 珍しい(と思いますが)白いアジサイも見つけました。これは、日当たりが極端

に少ないところに咲いていました。やっぱり太陽の恵みが大切なのでしょうね。こ

の季節は見頃の花がいっぱいです。

森鴎外旧居跡(千住1丁目)

2008-06-13 07:49:17 | Weblog
 

 足立区千住の都税事務所の敷地内に、この5月に新しい森鴎外旧居の碑が建立さ

れました。森鴎外の父静男は、明治維新後上京しましたが、明治11年に東京府か

ら南足立郡の郡医を移植されて千住に住みましたが、後に現地で橘井堂森医院を開

業しました。  

 森鴎外は、19歳で東京大学医学部を卒業後、陸軍軍医副に任官し、千住の家か

ら人力車で陸軍病院に通っていたと言います。明治17年ドイツに留学までの4年

間千住に住んでいました。  

 文筆活動は千住に居住していた頃に始め、読売新聞に投稿するなどしています。

 ドイツ留学から帰朝したあと、明治23年には、作品「舞姫」を森鴎外のペンネ

ームで発表しています。(碑文より)

 

東京駅八重洲口の様子

2008-06-12 07:46:04 | Weblog
  ノースタワーです

  南側のタワー

 中央通から大丸までの地下街が出来て何十年経ちますかね。始発から終列車まで

活躍した商店街です。最近の東京駅のリニューアルとともに、地下街も随分変化し

ていますが、たまには地上に出て見ました。  

 駅の北側も南側も超高層ビルが出来てびっくりです。北側がグラントウキョウノ

ースタワー、南側はパシフィックセンチュリープレイスだそうで、だんだんと空が

狭くなってきますね。  

  桜通りです

 八重洲北口から中央通りに向かう「桜通り」がありますが、道の左右から枝が伸

びて路を覆うようです。これからは青葉のおかげで、涼しい道になることでしょう

ね。今度は花の季節を狙ってきましょう。

二 重 橋

2008-06-11 07:45:50 | Weblog
 

 久し振りにここに来ました。日本人でこの橋を「知らない」人は無いでしょう

ね。ここまで足を運んで見なくても、写真などでご覧になつていると思います。皇

居正門に向かう手前が石橋、奥の鉄橋の二つあります。奥の鉄橋が二重橋、これが

正解です。  

 昭和20年(1945)8月、第二次世界大戦での敗戦を悲しんで、皇居前でひ

ざまずく人々がありました。また、昭和27年(1952)の血のメーデーでは、

デモ隊と警官隊の激突で死者2名だしました。 

 

 それを思うと現在の平和はありがたいですね。外国からも多くの観光客が訪れて

います。当時を知る者にとっては夢のようです。