社殿
安政元年(1854)、新門辰五郎の妻女が重病で床に伏したとき、京都の伏見稲荷社に祈願しま
した。その効果があって病気全快、同2年お礼の意味を込め、伏見から祭神を当地に勧請し、被官稲
荷社と名付けました。辰五郎は町火消十番組の組頭として多彩な活躍をしたことは、広く知られてい
ます。
社殿は一間社流造、杉皮葺きです。創建以来のもので間口1.5メートル、奥行き1.4メートルと
小さいが、覆屋を構えて保護しています。社前には、「安政2年9月立之 新門辰五郎」と刻まれた
鳥居ほかがあります。たくさんのお狐さまが奉納されています。