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おばあちゃんのガーデン

2002年11月17日 | ドキュメンタリー映画
これがアサヨおばあちゃん。

1924年、尾道からカナダに移民、現在104歳になる村上アサヨおばあちゃん。100歳になったときに孫のリンダ監督が記念として自伝的な映画を作ろうとしたのが、この映画が作られたきっかけだった。カナダで生まれた子供が八人。その子供やら孫やらで眷族一同集まったのだが、当のおばあちゃんは老人ホームから出てこなかった。

それまでは元気で若々しい日々を送っていたおばあちゃんがなんだかめっきり年をとったように感じられた。そこで、監督はおばあちゃんに自分の今までの人生を語ってもらい、それを映画にまとめようとした。「ピクチャー・ブライド」としてしか渡って来れなかった昔、はるばる来たけど、なんだか相手が嫌で結婚しなかったこと。別の相手と結婚した事、そして友達とのつらい日々の中での楽しい語らい。

そして、戦争の始まり。自分たちは敵性外国人となってしまった。つらいキャンプでの生活のとどめをさしたのが、広島に落とされたという爆弾の話。それらを乗り越え、何とか生きてきたのだが、おばあちゃんにはいままで子供たちにも言ってなかった秘密があった。カナダに来る前に結婚していたおばあちゃんは日本に二人の娘を残してきた。誰にも言わずに来たのだが、いままで片時も忘れることはなかった。その娘の消息を知りたい。そして、監督とその母、娘さんと一緒におばあちゃんの心残りを探しに日本に来るのだった。

始めはシンプルなまあ、よく聞く苦労話なんだろうな、と思ってみていたのだが、ところがどっこい、このおばあちゃんの持っていた秘密というもの何とダイナミックな事。撮っていた監督自身も知らなかったということで、話は意外な方向に向かっていくのだ。ミステリアスなおばあちゃん、サスペンスの謎解きをするかのようにパズルが埋まっていく。そして、感動のラスト。これはやられてしまいました。

おばあちゃんという人が苦労は当然してきたのだろうが、どこか超然としているところがいい。辛酸をなめ、とことん貧乏で、涙ながらの「ピクチャー・ブライド」というのではなく、自分の新たな人生を新天地で切り開こうとしたと私は解釈した。でもどうしても心残りが自分をさいなむ、この業を監督たちが見事に昇華させてくれたように思えた。

監督とこの映画に登場した監督の娘さんが会場で映画のアピールをしてくださいました。こんな人がいたんだ、この人を日本の人々に伝えたいと気持ちがビンビンと伝わってきました。監督自身は戦後の日本は敵性だったという時代を過ごしたために、日本語を話そうと思っても思考がストップしてしまう、とおっしゃっていました。でも13歳の娘さんは日本語も話せる、フレキシブルな発想を持てる、非常にいいことだと感じてるということでした。

この映画の上映のあと、監督さんがカナダに帰って、報告をしたらしい。そしてそのあと、大往生とのこと。ご冥福をお祈りします。 合掌。

「おばあちゃんのガーデン」

原題「OBACHAN’S GARDEN」 
監督 リンダ・オーハマ 2001年 カナダ作品


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