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南京大虐殺、世界記憶遺産にユネスコが登録発表について。

2015-10-11 | 日記
鬼の日本史。

古より、我が国には「鬼の棲む国」と言伝えが残っている。

その鬼達は時々、村に襲撃を仕掛けたりする、いわゆる「鬼殺し」である。

その鬼達の物語の一つである南京大虐殺を今日は話そうと思う。

時は1937年12月、鬼の日本軍と呼ばれる者達は中華民国の最後の砦である首都南京を陥落させた。たった三日間である。

「鬼が来る」その情報をいち早くつかんだ蒋介石と幹部は戦わずして南京を棄てた。
脱走兵には念入りに足枷を付けて逃げようとする者は容赦なく背後から射殺するという決闘には相応しくない行為を蒋介石は選択した。

当時、鬼達の間では「百人斬り競争」が流行していた。

名刀「兼光」を引っ提げてバッタばったと敵を斬り倒していった。

鬼の日本軍少尉であった二人の鬼達は、南京を占領する時に、先に百人を斬った者が勝利者になるのだと決めた。

二人の鬼少尉たちは血に飢えた日本刀を持って紫金山の麓で会見した時、一人は105人、もう一人は106人を斬り倒していた。

どちらが先に百人を斬り倒したのか解らないので、勝負は決まらなかった。

そこで二人の鬼達はあらためてどちらが先に150人を斬り倒すかで勝負を決める事にした。

東京日日新聞は、勝利者の口調で「百人斬り」を報道した。

鬼の日本軍はこれを「国威発揚」の栄光ある手柄と称した。

中国国家の発表によれば、鬼の日本軍が首都南京を占領した六週間の間に、中国兵に対する虐殺は30万人以上におよんだらしい。

言い換えれば南京大虐殺はそれだけ鬼の日本軍が恐ろしく見えたのであろう。


南京大虐殺については一度ブログで取り上げたかった内容である。

日本人にとって南京大虐殺は世界記憶遺産にユネスコが登録することにはそれほど問題だとは思わない。

なぜなら、戦争の中の戦争だからだ。今までは南京問題を仲間内でも中々言えなかったがこれで鬼の日本史を書いても大丈夫かなと考えています。

「鬼の日本史」新シリーズの始まりです。