10月23日 金曜日
こんにちは、 酒好き研究者です。
先日、ある賢人が
「どうして、花の色使いが美しいのか」とお話されておりましたので、私なりに考えてみたいと思います。
愛すべき日本の春夏秋冬を楽しませてくれるものの一つに花の美しさがあります。
なぜ、花は色とりどりの風景に私達日本人を楽しませてくれるのでしょうか。
この世界が合理的に出来ているなら、花の色が統一されていてもおかしくないのに、
色鮮やかな花の価値は一体何なのでしょうか。不思議です。
きっと、花たちは昆虫の為だけに咲いている訳ではなく、まして種を残す為だけでもなく、私達人間の為にも咲いてくれていものと信じます。
20代の頃、読んだ本の記憶では、
「この地球の真の支配者は虫だ」、だから当然、花たちは虫の為に進化したのだと・・・。
もしそうであっても色鮮やかに綺麗に咲く必要はありませんから、香りだけでも昆虫には十分だと思いますから、
彩り豊かな花の美しさには、人間の為に一所懸命に咲いてくれていると言えるのです。
なぜなら、不完全で未熟な人間社会にエールを送ってくれている花たちは、それは合理的が全てであるなら、この世界は何て殺風景で薄気味悪いつまらない社会となるでしょうか。
この世界に無駄なものは一つもありません。
花の美しさは決して無駄なものではなく、まして無意味なものでもある訳がない。
花は毎年頑張って私達の為に枯れて散るまで美しさを示してくれている。
問題があるのは私たち人間社会であって真の豊かさは生存本能に囚われ、忙しすぎて心を亡くした現代人にそっとそのことに気付かせてくれる最良の自然治療の一つです。
お祝いや入院患者に花を贈るのはそのためですよね。
日常の豊かさには、遠くを探すものではなく、身の回りにある、美しを備えた者にしか見えないビューティフルマインドの世界観です。
花の美しさに敏感な情緒を古来から受け継ぐ日本人の感性には、
自然との共存を果たし、情緒豊かな文化と暮らしを実現している日本人なのです。
裏と表を交互に見せて散るもみじの心は、紅葉を見ているのではなく、一千年続く日本の秋を見つめて感じているのです。
科学的にはよく解りませんが、日本の紅葉が綺麗なのは偶然ではなく、ひょっとすると日本人の心が、DNAがそうしているのかもしれなせん。
自我は雑草であり、感動で春夏秋冬を示し、知で花の美を継承する。
花の如く慌てず、しかし休まず、人はみな己が花の如し美しく命をめぐれ、
です。 つづく。