さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『アララギ年刊歌集別篇 支那事変歌集』の歌を読む

2017年01月28日 | 現代短歌
以下は、「美志」復刊六号(2015.7)より。        
               
  前回話題にした土屋文明の『山谷集』の方法が、どれだけ便利で応用のきくものだったのかということを、昭和十五年十二月刊行のアララギ年刊歌集別篇『支那事変歌集』の歌を見ながら確認してみようと思います。この歌集は、「アララギ」に掲載された昭和十二年から十四年十二月号までの作品の中から、斎藤茂吉と土屋文明の二人が選出して編集したものです。ここに収録されているのは、前篇の作者一一六名、二六一〇首、後篇の作者四三八名、一〇二六首です。一ページに十二首組みで、計三六三六首。前篇のおわりの方には、よく引かれる渡辺直己の名前も見えます。この人の作品はしばしば論じられるのでここでは取り上げません。私は以前、この本の中から青山星三の歌を取り上げて文章を書いたことがありますが(『生まれては死んでゆけ』Ⅰ章・13青山星三」)、ほかにも取り上げてみたい作者はたくさんいます。
まず『山谷集』の特徴的な作品を思い起こしてみることにします。

木場すぎて荒き道路は踏み切りゆく貨物専用線又城東電車
左千夫先生の大島牛舎に五の橋を渡りて行きしことも遥けし
                      (城東区)
二三尺葦原中に枯れ立てる犬蓼の幹(から)にふる春の雨
石炭を仕分くる装置の長きベルト雨しげくして滴り流る
嵐の如く機械うなれる工場地帯入り来て人間の影だにも見ず
吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながらほしいままなり機械力専制は
横須賀に戦争機械化を見しよりもここに個人を思ふは陰惨にすぐ
                      (鶴見臨港鉄道)
 一首め。「荒き道路は」「踏み切りゆく」と、それぞれ一音字余りで重たくなった上の句に、さらに字余りの重たい下句を持って来て、これでもか、これでもかと無理押しに押して来る。「貨物専用線」九音、「又城東電車」九音。定型には収まっていないけれども、読んでみると響きはわるくない。「カモツセンヨウセン、マタジョウトウデンシャ」。むしろきびきびしたところさえ感じられる、独自のリズムがあります。
 二首目は、「左千夫先生の」八音、「大島牛舎に」八音。字余りになっても「左千夫先生の大島牛舎に五の橋を渡りて行きし」という事実は外せないということでしょう。そこの事実は残しておきたいわけです。直すのは簡単ですが、あえてそうしないという作り方です。三首目、特段おもしろいところはない風景です。葦原の中に枯れて立っている犬蓼の幹(から)に、春雨が降っている。無味乾燥な、絵にならない情景ですが、あえてそこに風情のない風情のようなものを発見しようとしています。

 掲出歌の七首め、「横須賀に/戦争機械化を/見しよりも」と、二句めが字余りですが、実際に読む時は、これを「ヨコスカニ・センソウ・キカイカヲ・ミシヨリモ」と続けて、二、三句めを句またがりのような感じにして、即席の五音のリズムを三回作って読むと、調子良く読める。でも、基本の考え方は、音数律を守ることよりも、「横須賀に戦争機械化を見し」という事実の確認と、「ここに個人を思ふは陰惨にすぐ」という思想的な表白を為すことの方に、重きが置かれています。この「鶴見臨港鉄道」の、字余り句をごつごつ重ねて行く句法の癖のようなものを、頭にとどめておいて次の歌を見ます。
 土屋文明風というのでしょうか。「貨物専用線又城東電車」とか、「吾が見るは鶴見埋立地の一隅ながら」というような叙法は、『支那事変歌集』の随所に見出すことができます。

北方高地に野戦激しく照明弾あがり手榴弾擲弾筒の炸裂の音
                      北支 板垣家子夫

 この人はあとで山形に疎開した斎藤茂吉の世話をして、その言動を記録した面白い本を書いた人です。作品は、初句字余り、三句め以下で名詞を連続させて大破調になっています。それでも下句で「シュリュウダン・テキダントウノ・サクレツノオト」と、五・七・七の即席のリズムを生みだして定型感を持たせるあたり、まったく文明と同じ言葉についての嗜好を持っていることがわかるでしょう。

日本インテリの薄志弱行と利己心とを敵地深く楔入してなほ嘆くかな                      北支 上 稲吉
憎むべき或る種の文化を思へば戦争の破壊性も亦いさぎよし
                       北満 永井 隆
市街戦の如何に難きかは広東街の家並に築くトーチカを見よ
                      中支 上原吉之助

 あまりうまい歌ではないのですが、文明の影響が顕著な例として引いてみました。これは短歌で意見を言っているわけです。初句字余りになっても、「日本インテリの薄志弱行」、「市街戦の如何に難きか」という内容が言いたいわけです。文明が、大破調で「ここに個人を思ふは陰惨にすぐ」と、言い放ってみたかったというのと、まったく同じ構造(句の構成の仕方)を持っています。
 一首めは、わかりにくい歌で、「日本インテリの薄志弱行と利己心」というのは、ここでは自分自身のことを指しているというように、とりたいと思います。二首目の「憎むべき或る種の文化を思」うとは、どういうことでしょうか。英米文化敵視がひどくなったのは、対米戦争開始以後、特に戦況が悪化してからで、この歌は日中戦争の時点の歌です。ここで「憎むべき」文化と言っているのは、たぶん乗り越えられるべきものとしての「ブルジョア文化」、昭和初期の退廃的な都市文化のことではないかと思います。これは当時の知識青年の常識です。同じ作者の次の歌を見ると、戦争に連れ出された中国人に対して同情的です。

畑より鍬もちしまま召されたる四川生れの兵捕はれぬ
敵兵の死体おほむね少年なり龍膽の花さける山野に  永井 隆

 ここには当時の中国の腐敗した支配層への怒り、さらにはそういう現実を生み出す戦争そのものへの抗議の気持ちが感じられます。先に引いた同じ作者の歌は、一見すると「戦争の破壊性」を肯定し、快哉を叫んでいる歌のようにも見えますが、こちらを見るとそんなに単純なものではないことがわかると思います。

鳥毛もてみ仏ぬぐひ僧居れど何か苦力(クリー)の如き感じなり
村焼くる煙の映る沼の上に何ぞもしづけき鶴のあそべる
                        上原吉之助

 お坊さんが仏像をぬぐっている姿を「何か苦力(クリー)の如き感じなり」というような、どこか容赦ない視線でとらえているところ。それからこれは両軍どちらの仕業かわかりませんが、村の家が煙を上げて焼けている戦場で、場違いな鶴の姿を見て取ってしまうというアイロニカルな観察の示し方。ここにも土屋文明の影響が浸透していると思います。前回触れたように、古代憧憬の地、吉野の宮瀧に旅をして、貝殻加工工場のごみ捨て場を見ている精神と同じものが、ここにはあります。同じ作者で、

わが留守の収入減と消費節約比をときに思ひみる戦の暇に
冬亭樹(とうていじゆ)は梓に似しと思ひつつ春より夏も見つづけて来し
                      上原吉之助

 土屋文明には、こういう貧乏たらしいお金の歌がたくさんありますね。それから植物好きのところは、ほとんどフェティシズムに近いと言っていいほどです。そういう感じ方の癖のようなところまで作者は土屋文明に感化されていると言ってもいいかもしれません。

 前回「アララギ」の「ドキュメンタリズム」(岡井隆の批評言※『戦後アララギ』)ということを言いました。確かにこの合同歌集には、そういう特性があるのだけれども、ここで私はもう一歩踏み込んで、短歌というもの、詩歌の表現に固有の深度が表現されている作品が、『支那事変歌集』にはたくさんあるということを言いたいと思います。そういう意味で、この歌集はすぐれた戦争文学になっているのだということを確認しておきたいのです。

射撃はじめし敵の機関銃は二銃なりしばらく畠に伏してうかがふ
どの兵もはげしき息をととのへをり伏したる額より汗をたらして
水筒よりあくまで飲みて吾が心ゆるみし如く畠にうち伏す
相似たる森がつづきて霧のなかに錯覚ならずやと我は恐れき
いちはやく我等をみとめし機関銃は霧のなかより火を吐きはじむ
                       中支 瓜生鐵雄

 この歌は大日本歌人協会が編集した先行の『支那事変歌集 将兵篇』(昭和十三年十二月刊)にも出ているので、たぶん評判が良かった歌でしょう。連作として読めます。三首めまでは、この歌集にほかにもたくさん載っている戦場の場景を描出した作品です。でも右の四首めは、やや質が異なっていると私は思います。激しい戦闘が続いている。霧の中を行軍中に同じような森が次々と見えて来る。これはもしかしたら錯覚ではないかと、その時に一瞬思った。そういう自分の意識への注意の向け方、そこにわずかな個人性が保証されています。次の瞬間に撃たれて死ぬかもしれない戦場にあって、追いつめられたぎりぎりのところで、醒めた意識が、ありありと戦争の現実から離れたところに存在していることが自覚されます。そうして五首めで、まぎれもない戦場の現実が、火を吐きだした機関銃によって再び現われてきます。これは、何という表現意識のレベルの高さでしょうか。さらに、次のような歌からは、「アララギ」の歌人としての編者の意地のようなものを私は感じます。

水溜る壕に浮びし湯たんぽの野面を渡る風に動きつ  上海 海野隆次

 ここにも土屋文明の影響は深く浸透していると言うことができるでしょう。文明の歌の「葦原中に枯れ立てる犬蓼の幹(から)」のような素っ気ない事物、「湯たんぽ」の動く様子に目をとめて、そこに「春の雨」ならぬ「野面を渡る風」が吹くところを歌にしているわけです。そこに何か物寂しい情感を発見しようとしています。こういったおよそ浪漫的でない場面に、わびしいけれども確かな現実の手触りのようなものを感じ取ろうとする感覚が、「アララギ」のリアリズムのもっとも先鋭な部分だろうと思います。こういう要素は、戦後の近藤芳美の『埃吹く街』で全面開花して、その方法の強みを遺憾なく発揮します。

 この歌の「湯たんぽ」は、敵か味方か知らないが、すでに持ち主のないものなのかもしれません。いや、味方のわけがない。壕を放棄して逃げた敵兵の持ち物だったはずです。だから、荒涼とした風景でありながら、同時に或る哀れな感じも漂っています。そういう目の向け方には、ヒューマニズムがあると思います。単に非情なだけではない。ここには血の通った人間らしい心が表白されているのです。

 土屋文明のリアリズムが持っている徹底して反語的(アイロニカルな)性格を、この作品は実現してしまっています。これらの「アララギ」会員たちは、期せずして土屋文明の目を持って、土屋文明の目の代わりに戦場の現実を記録し、そこに詩を発見していたとも言うことができます。その目の後には、大勢の「アララギ」会員が読者としてひかえているわけです。こんな不思議な文学というのは、古来存在しなかったのです。一つの共有された美意識と、現実感受の仕方についての統一的な規範意識を共同性として組織的に維持しながら、彼らは戦争の現実に立ち向かって、それを仲間に語りかけていたのです。

 右のような歌が採られているということは、この本の全体的な印象が好戦的であるとかないとか言う以前の問題です。これは「アララギ」の趣味と美学が濃厚に投影された選歌集なのであって、こんな歌は、この後に作られた『大東亜戦争歌集 将兵篇』(昭和十八年二月刊)の中には一首もありません。だから、似たようなタイトルの本だからと言って、この他の戦争歌集と、これはいっしょくたにして論じていい性格のものではないのです。瓜生鐵雄の作品をもう少し引いてみます。

月きよき夜空を渡る何鳥か近く羽音のすさまじく聞こゆ
血に染みし戦友かへりたれひとりとして声たつるものはなかりき
廬山より流るる水の清くして杏の花の咲く春に遇ふ
敵も吾もしばらく雲に包まれて心しづかになるに気づきぬ

 先ほども触れましたが、何か良質な映画でも見せられているかのような印象を受ける作品群です。戦場で見聞きするあらゆるものが、空を飛ぶ雲のように、次々と作者の傍を飛び過ぎて行くなかで、出来事や思考の断片を懸命に記述している作者の姿がここにはあります。不断の生命の危機にさらされる中で、生の一回性を燃焼し尽くしながら、とても丁寧に、注意深く生きている作者がここにはいます。これが事実であったということが、まるで夢のようです。凄惨な戦場の現実と、作者の浪漫的な感受性をもってとらえられた自然の交錯する情景は、不思議なほどに幻想的です。方法はリアリズムなのですが、ハイネの詩とか、ベルトリッチの映画とか、そういうものを、つい思わせられます。こんなふうに享受して読んでしまってはいけないのかもしれませんが、悲劇の中で事象を観照する目を持ち続けるということは、こういうことなのだろうと思います。昭和の「アララギ」恐るべし、と思います。


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