さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

川野里子歌集『硝子の島』

2018年07月22日 | 現代短歌
この歌集にうたわれている期間を俯瞰してとらえるならば、東日本の震災ののち、日本はさびしい国になってしまって、過ぎてゆく時間もなべて、蹌蹌(そうそう)としてさびしいのである。

まして作者のように認知症の深まる母を見守りながらすごす日々は、生きてこの世にあることの意味を不断に問い返しつつ、わたくしが何か圧倒的な不条理の前にほとんど無力であるほかはないことに、とにかく向き合って倒れないように立っていることが第一だ。そのことを通して、内でも外でも、積極的ではないが強いられた殿(しんがり)戦を戦うような気分に浸されながらも、たまたま言葉をもて扱う職掌にあることを幸いとして、とりあえず言葉で物語をつくり、絵を描くことはできる。それで何事かを為したと言えるのかどうかは、危ういような…。あの震災のあとの幾年の間、歌を作っている人たちは、みんなそういう気分だった筈である。いまも底の部分ではそういう気分は続いているのであって、あらゆるイベント、催しが軽躁な嘘臭いものに思えてしまう時がある。極限のところから生を見通す死者の視線を感じてしまった者に、それに見合う言葉は、そうすらすらと出て来るものではないのである。そういうことを作者も「あとがき」でのべていた。「短歌研究」での二年間の三十首詠連載が、「東日本大震災を挟んでの連載となり、一体何が書けるのかと立ち往生したこともありました。」とある。

とは言いながら、われわれは生きていかなければならず、ふさぎこんでいれば不健康になるばかりだから、原色の絵や、きらめく季節の風物を受けとめてこころを慰めようとするのは、生きる者として当然そうあるべきなのだ。そういう作品も、本集には多く収められている。

ブルーシートかけし大屋根みちのくのあをい傷口あざやかなまま

防護服うすがみに命つつまれて働く人あり百合の白さに

ゆふぐれに思へばオセロの白い石、原子力発電所島国かこむ

がんばらうにつぽん がんばらうにつぽん 木霊かへさぬ森しんとある

守るため大地のなべて剥がしゆくブルドーザー見ゆ土埃あげ

傷ふかき君がふるさとなくなりさうな吾のふるさと一枚の空
 
いちいち解説を要しない歌だけれども、こうして引いてみると端的に共通の記憶を要約している優れた言葉がある。その時のいらだちや、違和感、押し殺した思い、伏在する感情が情景とともに同時に表現されていることに気が付く。作者は福島にゆかりが深いだけに、かえって言葉を選んで極力抑えた表現になっている点に注意してもいいだろう。

人生といふ時間の重たさ父母はもちわれはこのごろ失ひはじむ

老い母の陽だまり遊具の象がゐて幼子のやうな老母乗せたがる
 ※「老母」に「はは」と振り仮名。

でんでら野この世とあの世のあはひには愛の重荷を降ろす国ある

ある日記憶に消え残る花を母は言ふ照明弾のやうに赤い花なり

まはつてまはつてまはつて徘徊は花吹雪のやう老人歩く

家族なりし時間よりながき時かけてひとつの家族ほろびゆくなり

こういう歌と、津波の際の避難の歌が重なる作品があった。悲歌である。凄絶な断念の歌である。

歩けぬ老母は置き去りにしてゆくべきか ゆくべきならむある段差にて
  ※「老母」に「はは」と振り仮名。

わが裡のしづかなる津波てんでんこおかあさんごめん、手を離します

 ※引用歌の原作は、「てんでんこ」に傍点。

震災の直後の報道で、避難の際に手が離れて津波につかまってしまったお爺さんが、波の間に浮かんで流されながら、少しだけ先を走る家族にむかって、にっこり笑いながら手を振った、という話を読んだ。みごとな死に方だ、と旧友と語りつつ嘆じたのをいま思い出した。生者は、生きてゆくことによって、何事かをなし続けるほかはないのであって、「手を離すこと」は、時に人間の生の必然である。それを真っ直ぐ見つめることが、詩歌の存在意義である。しかし、川野里子の歌は次のような作品に良さがあるということも確かだろう。

むささびに遭ひたしぱつと飛びつかれ驚く大きな樹木になりたし

 ※同日、文章を少し手直しした。


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