さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

天野匠歌集『逃走の猿』

2016年06月12日 | 現代短歌
 私は著者が介護師の仕事をしている事を知っている。でも、この歌集は、それを表立てて見せようとしていない。そういった、わかりやすい中身を話題として先立てて読もうとする視線を、あえてはねのけて、中年期にさしかかろうとする自らの日常をまず歌おうとする。

  自転車をぐいぐいと漕ぐこの朝の湿る職場を引きよせて漕ぐ

 湿る職場。どんな職場なのであろうか。

  柔らかきこころとなるを常として夜勤明けとは艶なる時間  
※「艶」に「えん」と仮名。
  全盲の老女に降っているのかと問われて気づく硝子の雪に
 
ここには、どんな面白みのない現実の場においても自然を意識することを忘れない日本人の美しいこころがけが、表現されていると言えるだろう。続いて巻末に近い一連から引く。

  特養の朝は静かだ部品まで肉の色した補聴器が鳴る  
  みそ汁に沈む入れ歯はMさんのものか食器を下げんとするに
  介護士の憂き役どころ思うとき床にかすかに箸落ちる音
  右の目は看護主任を左目は彷徨中の老女を目守る
  四階の認知症フロアの窓に見る何事もなき孤雲のひかり
  もみぢ散り視野ひろがると仰臥せるひとの云うなり色のなき空

 しずかに息をしながら目を見開いて、対象をまじまじと見つめている仕事の場の緊張感が、文体にまで浸透している。素材にもたれることなく、韻律を通して、近代短歌以来の写生の技法も踏まえながら、しっかりと構築的に生の現実を捉え直している。しかも、それは非情なまなざしではない。あくまでも愛情に満ちた、普通の生活者の優しみに満ちた、はげましの言葉なのだ。「孤雲のひかり」と言い、「もみぢ散り視野ひろがる」と言わせる。これは凡百の職場詠ではないと思う。

  眠れずにあおむく暁のひとときを身のうちに棲む逃走の猿
      ※「暁」に「あけ」と振り仮名。
 猿が逃げ出したというニュースが伝えられたことがあった。その時に、こんなふうに思っている人がいたのだと今思う。生活者なら、誰しもこうした感情を少なからず抱えて生きている。生の深処に錘をおろして生まれる歌。近代短歌のバトンをしずかに受け継ぐこうした作品が存在することも、現代短歌の世界のぶ厚さを示すものである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿