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さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

小林久美子『アンヌのいた部屋』 歌集歌書瞥見 三

2020年04月13日 | 現代詩 短歌
 白い色とか、青い色というのは、いいものだ。キャンバスに白を塗って下にあった色を消していると、それだけで何もしなくても、何とかなるという気がしてくる。何もかけなくてもよい、とさえ思える。そうやって、自分のこころの内側をのぞきこんでいる、と言うか、画面に手先から何ものかが湧き出して来るのを待っていると、不安や怖れが消えて、心がすこしだけ落ち着いてくる。どきどきして、どうしていいのかわからない状態だったのが、収まってくる。そういう時にことばがいるのかどうかは、わからない。必要ないかもしれない。小林さんは絵描きだから、こう言えばわかってくれるだろう。

 読むことも、書くということも、絵をかくことと変わりはなくて、これと同じで、そういうことがわかってくると、表現というものは、みんな地続きで、それは技術や知識の違いというものはあるかもしれないが、まあ絵をかくように詩を作るということは、なかなか難しいことで、それができる人はそんなに多くない。でも、たまにそれができる人もいて、小林さんはそういうことができる人の一人だということが、小林さんの詩集をみるとわかる。

 それで何を言いたいのかというと、小林さんの書いたものは、白い色や青い色の絵の具を、こころを落ち着けるために無言でひとつの下塗りのようなものとして、出来上がりを祈念しつつも自分の意志で完成するまで何かを構築しようとするのではなく、受身で待ちながらとにかく筆を持って色を塗っている、塗り続けている、そういう姿が詩であるというようなテキストだということだ。だから、読み手をあまり拘束して来ない。ことばの衝迫力とか、衝撃的な事実やイメージの提示によって何かを企てようとするようなものではない。画面に姿形らしいものが静かに浮きあがればそれでよし、かたちをとらないならそれもよし、という不定形なものとしての、かすかな不幸と悲劇の遠いこだまが感じ取れる制作物として、にもかかわらず渾身の力をこめて編まれたものとして一冊がある。

 冒頭の「うつくしい書簡をまえに」という息をのむように美しい詩は、リルケの書いた女の手紙の話を下敷きにしているのかもしれないが、そうでなくてもよい。それは同時に自らが書いたかもしれない、また長くこころの中で書き続けて来た書簡でもあるかもしれないのだ。長いが、一篇を書き写してみる。何よりも声を出して読むことが肝要だ。

「うつくしい書簡をまえに」

どうして
胸が打たれるのか
小さな夢が破れて
目覚めたあとを

ひとりへのためにのみ
燃えつきる蠟燭
灯のほとりに
ひとを映し

落雷を沖にみていた
運命に
手を貸すことは
できないように

灯の前でおもう
ここにいないひとや
雲のかたちの
つくられ方を

投げ返さなければ
ならなかったのに
達しえないと
分かっていても

画のなかで汝が
ほほえむ
汝からはなれることが
できたかのように

かなたへ
運ばれる問い
遥かな時のむこうで
応えられるために

画のなかで
汝は吾の証人になる
画きまちがいで
あったとしても

覚書の紙片がでてくる
まだ知ることのない
感情を纏い

出会ったことで
存在させてしまう 声を
すがたを見うしなっても

とぎれた季を
現在に溶け合わせられたら
午後のルツーセを塗る

不遇にさえ
うるおされたのを想う
つながって往く二艘の舟に

うつくしい書簡を前に
試される ひとへ
愛を返すということ

稲妻も雨も
夜空のこれまでの
実験の成果をみせて降る

  …引用終了。なんてすばらしい! みなさん、立って拍手を。

小林幹也『九十九折』 歌集歌書瞥見 二

2020年04月13日 | 現代短歌
 塚本邦雄の弟子筋の人が、師風に染まらないような歌を作ってみせるとき、私はおもしろいと思うことが多い。歌集のなかにこんな歌を見つけた。

  笠要らんかェ~の声にブウと応じたる豚よ 晦日の雪はつらいか
    ※「晦日」に「みそか」と振り仮名。

  地蔵の笠、今朝新品に換はれどもあはれ朱印の企業名あり

 巻末の「笠地蔵異聞」の一連から引いた。ここに出てくる「市場」というような場所の力が、現代の日本では衰弱してしまっており、それにインターネットが拍車をかけている。

  カレー屋の亭主の勘定見守れる真鍮の象レジのうしろに

  断崖の隙間に萩の花が咲く 実朝もまた隙間の花か
    ※「断崖」に「きりぎし」と振り仮名。

 「真鍮の象」みたいなものを見ている歌が、この歌集にはたくさんあって、わるくない。はじめの方の「卒業式次第の行間」の一連では、そういう歌が少しめんどうくさい。要は数の配分の問題だ。 
別の話になるが、現在はコロナ禍から壊滅的な打撃を被っているこの「カレー屋」のような全国の小商いを守ることが急務だ。「V字回復用」の予算分も全部先に注入すべきで、今度の緊急補正の予算は配分を誤っていると私は考える。

 切れかけのこよりか 天橋立を子に見せたがるわがうたごころ

作者は大学やカルチャーで短歌や和歌を教える歌の専門家の一人である。一首先に引いた源実朝という存在が、断崖の隙間に咲く萩の花だというのは、うつくしいイメージだ。天橋立は、言わずと知れた古来の歌枕だが、「切れかけのこより」のようにも見えると、ざっくり言ってみせるのは、自分の甘い感傷を対象化するためである。

 お供への卵ひと呑みしたるのちに背を向けて眠る三輪山
  ※「背」に「そびら」と振り仮名。

三輪の祭神は蛇だから卵をのんで昼寝をする。いい歌だ。司馬遼太郎が「街道をゆく」の旅で常に同道した画家の須田剋太のエピソードをいま思い出した。おもしろいので長くなるが、コロナ禍で出社停止になって退屈しておられる方のために引いてみる。

「浦和時代、町に道具屋さんがあって、骨董などをならべていました。そこの主人が変な言葉をつかうので、須田さんは気味わるく思っていました。それが京都弁であることに気づかなかったのです。江戸時代なら須田さんのような人もいたでしょうが、昭和ヒトケタのころですから、この世に京都弁が存在することに気づかないほうが希少価値だったでしょう。    
(略)
……軍需景気で大もうけしている社長さんが、戦時下の須田さんの孤立(?)をあわれみ、会社の寮の番人にしてくれたのです。その寮が京都の八瀬にありました。
 そんなわけで、使いの人が浦和から須田さんをつれて京都に降りたのです。そのとき須田さんは、フォームで京都の人が話しているのをきいて、「ああ、あの道具屋さんのことばは京都のことばだったのか」と気づいたそうで、まことに好もしい迂遠さでした。

 京都からやがて奈良へうつりました。大和の国中の盆地にある天香具山や畝傍山、耳成山といった大和三山を須田さんはみて、「あれは造った山ですか」と人にきいたといいますから、なにやらきわだったのどかさでありました。そのような時期、名古屋の杉本健吉画伯が奈良に仮寓していて、仮寓者同士、終生の友人になりました。」
              司馬遼太郎『須田剋太「街道をゆく」とその周辺』より

ついでに書くと、コロナ禍で私が最近注目しているその須田剋太の大阪での回顧展が中止になった。残念である。私はまた注文していないが、そのカタログは売るようだから、零細な美術館を助けるために、みなさんもぜひ注文しましょう。絵は、ヤフーのオークションだと福井県のcircledis さんが安く売っている。すこし脱線しすぎてしまった。話をもどして、

  浜辺にて弁当蓋を閉ぢる手の動き浦島太郎を模して

  玄米をカレーの沼に沈ませて旧王朝の地層を崩す

  マシュマロを焼けばどろりと初恋を秘めたる杜の樹液のねばり

さり気ないが、気のきいた歌が多い。食べ物の歌もしゃれている。三首目は、だいたいマシュマロって焼くもんだろうか、というところも含めて、なんか変な歌だけれど、おもしろい。

  園児らが山猫さんと呼ぶ人は山根さんだと知る夕まぐれ

  「パパの欲しい物はなあに♡」と聞かるれば鸚鵡返しに「干し芋」といふ
 
平和な生活というのは、他愛ないものなのであって、それが大事。短歌はそういうものを守るためにある。