さいかち亭雑記

短歌を中心に文芸、その他

『武術と医術』 甲野善紀・小池弘人の対話

2017年06月25日 | 近代短歌
 私はこの本をあらゆる分野の表現者のための手引き書として読むのである。

本人はいいと思っていても、よそから見たらぜんぜんだめである、というようなことは、表現の世界ではしばしばあることで、それを防ぐためには、謙虚なこころがけをもって、専心他者と関り続けるほかに手立てはない。

 とは言いながら、人間というのは弱いもので、自分が高く評価されたり、ほめられたりする場に固着しがちなところがあり、武道ではこれを「居つき」と言うそうだが、要するに「居ついたら」終わりなのが、表現の世界というものなのだが、一定の型がある方が何かと便利ではあるし、型を唱えられる程度に熟達すれば、その道の権威として通用するのが世間というものだから、自分の権威を守る方に走ってしまうのが、凡庸な人間の常である。だから、本音でものを言う人は、しばしば世間的には「異端」となる。

 礼儀作法にしてもそうで、礼は固定しているから礼である、と人は思いがちなのだけれども、本当にそうだろうかと考えてみると、時には「無礼」な方が礼にかなっているということもある。孔子が現代日本の就職斡旋のための礼儀作法講座をみたら天を仰ぐのではないか。

 …というようなことを、いろいろと考えさせられる本が、甲野善紀と小池弘人の対話集『武術と医術 人を活かすメソッド』(集英社新書2013年)である。

 表現というものは、ふだんから対面の場で本音をぶつけあっていないと、自家中毒に陥ってしまう。このことを私はネット好きの人には常に言って来た。この本では、負の「縮退」に陥らずに「創発」してゆくには何が必要か、というようなことが話し合われている。ネットで高得点のものをずらっと並べてみせたらせんぜんおもしろくなかった、というようなことも時には起こり得るわけだから、<道具>も「場」も、過信は禁物だ。それは武道で禁物の「居つく」ことになってしまうということなのである。



 

『桂園一枝講義』口訳 241-250

2017年06月25日 | 桂園一枝講義口訳
241
門さして人にはなしと答へけりいかゞはすべきうぐひすのこゑ
四五四 門さして人にはなしとこたへけりいかゞはすべきうぐひすのこゑ 文化十二年

□往年病気づきたる時、人はくる外になすべきこともあり。かたがた門人残らずことわりきりたり。さて外人のこぬために別屋をかりてすみたり。其時に門人両人つきたり。一人は伊丹の人。
「老らくのこんと知りせば門さしてなしと答へてあはざらましを」。「古今」。

○往年(自分が)病気づいた時、人は来るし外にしなければならないこともある。かたがたもって(それやこれやの理由で)門人を残らず断りきってしまった。さて外人(よそびと)が来ないようにするために別屋を借りて住んだ。その時に門人が二人付いた。一人は伊丹の人。
「老らくのこんと知りせば門さしてなしと答へてあはざらましを」。「古今」(にこういう歌がある)。

※「古今和歌集」八九五。

242 
うぐひすのこづたふ枝は見えねどもこゑぞ聞ゆる夜はあけぬらし
四五五 鶯の木づたふ枝は見えねども聲ぞ聞ゆる夜はあけぬらし 文化三年

□此れも岡崎にこもりたる時分の歌なり。庭に梅もあり。又岡崎は山ぎはなり。
○これも岡崎にこもった時分の歌だ。庭に梅もある。又岡崎は山際である。

243
ひるよりは大方くもる此のごろの朝毎になくうぐひすのこゑ
四五六 昼よりは大かたくもるこのごろの朝ごとになくうぐひすの聲

□初春より二月初迄の景色なり。朝より己(※巳の誤植)の刻比(頃)までは天気なり。午後くもるなり。「土佐日記」に「日てりて曇れり」と書けり。よく書きたるもの也。日てりて、と云ふは、きびしきなり。みじかき故にくもれりと出づ。語勢に早く己刻よりくもれる語勢なり。ことわりの外なり。詞のはづみによりてはかるなり。

○初春より二月初迄の景色である。朝あけてから己(※巳の誤植)の刻比(頃)までは天気である。午後曇った。「土佐日記」に「日てりて、曇れり」と書いてある。よく書いたものだ。「日てりて」と言うのは、(一首におさめるのに)きびしいのだ。短いから「くもれり」と(言葉が)出る。語勢に、早くも己刻(十時頃)から曇ってしまったという語勢である。通常はないことなのである。詞の弾みによって(それをそう)推し測るのである。

※地味な歌だが、前の歌とともに佳吟。ここの文章論、近代の一流の批評家のような言葉である。『土佐日記』のなかなか舟が出航しないくだりに「二十三日、日照りて曇りぬ。」とある。

244
静なる月にとむかふあけぼのゝこころもしらぬもゝ千鳥かな
四五七 しづかなる月にとむかふ明(あけ)ぼのゝ心もしらぬもゝちどりかな 文政九年

□春夜の曙はよろしきことの最上なり。春曙は古へよりよろしき限と定めることなり。心あらん人に見せば(へ)や、と云ふ程の事なり。梅月堂にこもりて詠みたる夜なり。近世、涌蓮が「明日もまた朝とく起きてつとめばや窓にうれしき有明の月」となり。
百千鳥のやかましき、即ちおもしろき部類に入れるなり。したうれしきなり。俗諺に「かやうの御馳走ではいなね、ならぬ」と云ふ類なり。

○春夜の曙は、似合わしいことの最上のものである。春の曙は、昔から素晴らしいものの限りと定まったことだ。「心あらん人に見せばや」、という程の事である。梅月堂にこもって詠んだ夜である。近世、涌蓮が「明日もまた朝とく起きてつとめばや窓にうれしき有明の月」と歌ったそうだ。
「百千鳥」のやかましき(ことも)、すなわち興あることの部類に入れるのである。心うれしいのである。俗諺に「かやうの御馳走ではいなね、ならぬ」と(わざとだだをこねて)言う類(の非難)である。

※涌蓮(ようれん)、江戸中期の真宗高田派の僧。冷泉為村の弟子。

   此間十首欠席

245
をとめごがこがひの宮にちる花は眉をいでたる蝶かとぞみる
四六八 をとめ子がこがひの宮にちるはなはまゆを出(いで)たる蝶かとぞ見る 文化十二年

□こがひの宮の実景なり。もとたゝすなり。このしまのもりである。此の森へ入れば花ありとも見えぬところなれども、花がちるなり。さては花があるさうな、といつも云ふところなり。此の歌は実景と縁語とを兼備したる歌なり。歌によりて縁語ばかりよむもあるなり。

○蚕飼の宮の実景である。もと(は)糺の森である。この(川にはさまれた)島の森である。この森へ入ると花があるとも見えない所だけれども、花が散っているのである。さては花があるそうな、といつも言う場所だ。この歌は実景と縁語とを兼備した歌だ。歌によっては、縁語ばかり詠むものもあるのだ。

246
野の宮の樫の下みちけふくればふる葉とともにちるさくらかな
四六九 野の宮の樫の下道けふくれば古葉とゝもにちるさくらかな 文化十二年

□此れ野の宮の実景なり。宮の前はかし原なり。かしの葉は冬散らずして春にならねば散らぬなり。二、三月が散る盛なり。どんぐり、小ならしばの類皆春ちるなり。

○これは野の宮の実景である。宮の前は、樫原である。樫の葉は、冬に散らず春にならないと散らないのである。二、三月が散る盛である。どんぐり、こなら 、ならしばの類は皆春散るのだ。

※嵯峨野にある野宮神社。「こならしば」は二つの語を一緒に言ったものか。

247
只たのめ横川のおくにさく花も散りて後こそ浮びいづなれ
只たのめ横川のおくにさく花も散りて後こそ浮びいづなれ

□ひえの奥なる横川なり。仏場故にての歌なり。一節(※筋の誤植)に仏法はたのむがよいとなり。横川に桜がありやなしや知らねども散て出て見れば浮ぶなり。一筋にたのめば悪趣に堕落はせぬなりと云ふ歌なり。
空也の歌に「山川の末に流るゝとちがらもみをすててこそうかぶ瀬はあれ」。さる人の発句に、「身をすてゝ又身をすくふ貝杓子」。此は空也によるなり。

○ひえの奥にある横川である。(横川は)仏場であるから(そのことに)よっての歌である。一筋に仏法はたのむがよいというのである。横川に桜があるかないか知らないれども、散って(娑婆苦の世界を)出て見れば浮ぶ(すくわれる)のである。一筋にたのめば悪趣に堕落はしないのだという歌である。
空也の歌に「山川の末に流るる橡殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬はあれ」。ある人の発句に「身をすてゝ又身をすくふ貝杓子」(というのがあるが)、これは空也(の歌)に拠っているのである。

248
世の中はかくぞかなしき山ざくら散りしかげにはよる人もなし
四七一 世中はかくぞ悲しき山ざくらちりしかげにはよる人もなし 文化六年

□清水の歌なり。残花になりたるよし、故にひとり走りてゆきて見たるなり。花ある所は少く青葉多くなりたる頃なり。
「かくぞかなしき」、要の句なり。此句など骨折の句なり。

○清水での歌である。残花になったということで、一人いそいで行って見たのだ。花のある所は少く、青葉が多くなった頃だ。
「かくぞかなしき」が、要の句である。この句などは骨折った句だ。

249
ゑひふしてわれとも知らぬ手枕にゆめのこてふとちるさくらかな
四七二 ゑひふしてわれともしらぬ手枕(たまくら)に夢のこてふとちる桜かな 文政八年

□丹波亀山の三楽と云ふ人などゝ丸山に会に行きて、帰途青楼に登りたり。夜明けたり。晴天朗日なり。帰途南禅寺の丹後屋の前をとほりしに、桜散りて妙なり。幸に店上に休んで一杯また飲みたり。朋友なし。一人前夜のくたぶれと独杯とで、ゑひふしてねたり。さめて見たるに、花は皆散りたり。杯盤の上に散りうづみたり。おもしろき景色なり。
「われとも知らぬ」、荘周や我、我や荘周の所にかけて、「われとも知らぬ」の句心をつけたるなり。此れを詠みたる二三日後、相国寺にて「碧巌録」の講釈あり。誠拙の講義なり。それへ出たるなり。然るに和尚、此のうたを早く聞きて居て、賞美の余り趣意聞かれたり。然るに一等上の所をとけよと云はれたり。反てよみ人は知らぬは、和尚は其上を知ると云はれたり。大に問答ありしことなり。

○丹波亀山の三楽という人などと丸山に会いに行って、帰途青楼に登った。夜が明けた。晴天朗日であった。その帰途南禅寺の丹後屋の前を通ったが、桜が散って至妙だった。幸いに店上に休んで一杯また飲んだ。朋友はいなかった。一人前夜のくたびれと独杯とで、酔い伏して寝た。覚めて見たところ、花は皆散っていた。杯盤の上を散りうづめていた。おもしろい景色だった。
「われとも知らぬ」は、荘周や我、我や荘周の所にかけて、「われとも知らぬ」の句心をつけたのだ。これを詠んだ二三日後、相国寺で「碧巌録」の講釈があった。誠拙の講義だった。それへ出席した。そうしたら和尚は、この歌を早くも聞き知っていて、賞美のあまり趣意を聞かれた。それだけでなく、(歌の意味の)一等上の所を解いてみせよと言われた。かえって詠んだ人は知らないではないか、(この)和尚はその上(のところ・境地)がわかるぞと言われた。大いに問答があったことであった。

※景樹が佳吟をなせば、それがあっと言う間に門人の間に伝聞で広まる様子がわかる。

250 
家にありてみるだにあるをなつかしき妹がたうげの山ぶきの花
四七三 家にありて見るだにあるをなつかしき妹が峠(たうげ)の山吹のはな 

□丹波但馬の境かと思ひたり。妹が峠あるなり。よほど打越えて高きなり。城崎入湯の節やすみたり。旅ならずして見るだになつかしき山吹なるを、旅にしてみると云ふなり。妹が峠を幸によむなり。
「万葉」に山吹を妹に似する花と云へり。山吹は妹にみたつる也。「たうげ」、歌にしよめば、「たうげ」とはよまず。「たむけ」と云ふべし、と云ふべけれども、それは理の当然にして、こゝらは「妹がたうげ」と云はねば実景の興がぬけるなり。「たうげ」は峯とはちがうなり。高ねともちがふなり。打越国境などの所に云ふべし。

○丹波但馬の境かと思った。妹が峠がある。(そこは)よほど打越えて高い場所である。城崎入湯の節に休んだ(ことがある)。旅でなくても見るさえなつかしい山吹の花であるのを、旅(の空)でみるというのである。妹が峠(という名の場所にいるの)を幸いと詠んだのだ。
「万葉」に山吹を「妹に似する花」と言っている。山吹は妹に見立てたのだ。「たうげ」は、歌に詠めば、「たうげ」とは詠まない、「たむけ」と言うべきだ、と(人は)言うようだけれども、それは理の当然のことであって、ここは「妹がたうげ」と言わないと実景の興が抜けてしまうのである。「たうげ」は、「峯」とはちがうのだ。「高ね」ともちがう。打越や国境などの所に言うのがふさわしい。