今日の続きは、また明日

毎朝、カメラ片手の散歩で撮った写真を気の向くままに・・・

天気は下り坂・・・

2024年05月12日 | 徒然なるままに

天気は下り坂・・・雲が多め、すっきりしない天気です。

 

新幹線

 

シャクヤク

 

もう、桑の実が・・・

この桑、中国北部から朝鮮半島が原産。日本へはカイコと共に朝鮮半島を経て奈良朝以前に既に入っていたといわれています。

 

その桑を詠った歌は万葉集にも二首あります。

 

「たらちねの 母がそのなる 桑(くは)すらに 願へば衣(きぬ)に 着るといふものを」

(母が生業(なりわい)にしている桑(くわ)でさえ、心から願えば、衣になるというのに。(どうして私の願いは叶わないのでしょう。)

 

「筑波嶺(つくはね)の、新桑(にひぐは)繭(まよ)の、衣(きぬ)はあれど、君が御衣(みけし)し、あやに着欲しも」

(筑波嶺(つくはね)の、新桑(にひぐは)で作った絹の衣は、それはそれで素敵だけれど。あなたさまの衣を身につけてみたいものですわ、とっても。)

 

いずれも桑そのものより桑を食べて、蚕が作る絹の歌ですね。

桑の漢字は人の手を表す「又」を三つ重ねて、多人数で摘み採られるクワの葉を表し、木がついて桑となりました。

 

名前の由来は諸説あるようですが、蚕の幼虫の成長期は昼夜を問わず桑の葉を食べ続けますが・・・そこから蚕に「くわ(食)れるもの」からという説が腑に落ちます。

 

江戸時代の中期以降、絹の輸入を抑えるため、国内生産の政策がとられ、以後昭和の時代まで、海外への重要な輸出品は絹で、

近代日本の経済 発展をもたらせた最大の稼ぎ頭でした。

そのため、日本中の(ちょっとオーバー?)農家で畑に桑の木が植えられるようになりました。

今散歩コースで見る桑の木はその名残ですね・・・

 

至る所にあった桑畑、雷からの避難場所となっていたようで・・・「くわばら、くわばら」といって雷が落ちないのを祈るのはその名残。

江戸時代の『和泉名所図会』に、大阪泉北郡の桑原村の話があります。

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村の井戸に雷が落ち、村人が蓋をして閉じ込 めた。雷を逃がすときに、この地へはもう落ちないと誓約させた。それからは、雷が鳴ると「桑原、桑原」といい、この地に落ちなくさせたという。

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新幹線

 

田んぼにカラス

 

定位置に一人

シラン

 

アヤメ

ザクロ

 

ダイサギ

 

ジャガイモの花

 

摘果前の梨

 

おまけは我が家

シモツケ

 

ツリバナ

オルレア

 

ガザニア

 

では、今日の続きは、また明日(^^)/~~~

 

コメント
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