アルコール、麻薬に溺れた薄幸な芸術家として知られているモディリアーニ。
彼の人生に大きく影響を与えた、ジャンヌ・エビュテルヌ。
パリの裕福な家庭に生まれた画学生だった。
モンパルナス芸術家村に出入りしているときには、藤田嗣治のモデルにもなっている。
熱心なカトリック信者だった家族の猛反対を押し切り、ユダヤ人であるモディリアーニの元へ行く。
従順な彼女は、彼の意のままに、モデルを続けたという。
1917年の夏、二人は、友人である画商のズボロフスキーの提案で、療養も兼ねて南仏のニースへ。そこで娘ジャンヌ・モディリアーニも生まれた。
ようやくパリで作品が評価されはじめたという知らせを受けたモディリアーニは、パリに戻り、制作に没頭する。