Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

Cafe belvedere - (29)

2014-06-25 | Cafe 



錯乱状態に陥ったジャンヌは、夫の死の2日後、幼い娘を残して、実家のアパルトマンの5階の窓から身を投げた。妊娠9か月だった。


モディリアーニのもとへと旅立ったジャンヌ。

しかしジャンヌの遺族は、ジャンヌの死はモディリアーニのせいだとして
彼女の亡骸をモディリアーニの墓地から遠く離れたバニュー墓地へと埋葬する。


エビュテルヌ家は、ペール・ラシェーズ墓地のモディリアーニの傍らに移すことに同意したのは、それからおよそ10年後のことだった。

ジャンヌは、死後10年、ようやく愛するモディリアーニの傍らで眠ることができたのだ。



モディリアーニが、その多彩で不幸な短い生涯を閉じたとき、妻ジャンヌ・エビュテルヌがあとを追って自殺したことは、あまりにも痛ましい出来事であったが、あとには二歳の娘、母親と同じ名前を与えられたジャンヌがのこされた。


孤児となったジャンヌ・モディリアーニは、フィレンツェに住む亡父の姉妹の養女となった。

その後、彼女は、美術研究の道に進み、特にドイツ表現派とエコール・ド・パリを研究した。

また両親についての調査を始め、1958年に評伝を著わした。



「ジャンヌ・モディリアーニ」(矢内原伊作翻訳、みすず書房)として日本でも翻訳出版されている。












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