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太平洋沿岸を飛ぶ (47) - 須崎港

2010-03-15 | 四国


その夜、紀淡海峡をすぎてから風浪はげしく、船は大いにゆれた。翌朝室戸岬をまわるころには海がようやく凪ぎ、夕刻、須崎港に入った。
須崎は高知の西方四十キロにある土佐藩きっての良港で、港のふところは四面、山と島でかこんでいるため、外洋の風浪はまったく遮断されている。
幸い、まだ英国軍艦も幕府軍艦も入っておらず、彼らよりも一足さきに高知に入って下準備をととのえたいという佐佐木らの希望どおりの状態になった。
(司馬遼太郎著『竜馬がゆく』より)




須崎港は、高知市の西方約30km、土佐湾のほぼ中央に位置し、天然の良港として、古くから地域の生産、消費物資を取り扱い、現在ではセメント、石灰石、木材等を取り扱う県下最大の貿易港として大きな役割を果たしている。

港の入り口(画面左の白い部分)には、日鉄鉱業の須崎事業所があり、石灰石の積出港となっている。
仁淀川町の鳥形山から、この積出港まで約23kmの距離を専用ベルトコンベアで運ばれた石灰石は、ここから阪神・京葉地区など国内のほか,オーストラリア・シンガポール,香港などに出荷されている。


一方で、須崎港沿岸は、リアス式海岸のため、津波の被害を受けやすく、古くから幾多の津波によって尊い人命と財産が奪われてきたところでもある。


また、須崎市の西部を流れる清流としても有名な新荘川は、1974年にニホンカワウソの生息が確認されたが、その後、1979年に新荘川で確認されたのが最後となった。



幕末、1867(慶応3)年7月6日、長崎で起きた「イカルス号事件」の補償交渉のために、英国人パークスが須崎まで押し掛けてきたことがあった。

イカルス号事件というのは、長崎で英国人水夫が斬殺され、その嫌疑が「海援隊」にかかった事件である。
のちに犯人は海援隊士ではなかったことが明らかになったが、英国と土佐の談判という国際事件の舞台となったのがここ須崎港だった。



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