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晩秋の北海道を飛ぶ (16) - 帯広市

2009-11-18 | 北海道
小弟ハエゾに渡らんとせし頃より、新国を開き候ハ積年の思ひ一世の思ひ出ニ候間、何卒一人でなりともやり付申べくと存居申候(坂本竜馬、慶応3年3月6日 長府藩士・印藤聿津宛書簡より)


「蝦夷開拓」は、坂本龍馬が“生涯の仕事”だと最後まであきらめなかった夢である。

幕末の混乱の中で無為に命を落としていく青年たちを龍馬は憂えた。資源豊富な未開の地・蝦夷に彼らとともに移住し、原野開拓にあたりながら北方警備、そして世界貿易をめざす人材育成をしようとしていた。

どれほどその思いが強かったのか?
「…何卒一人でなりともやり付申べくと存居申候」。
つまり、一人になっても必ずやり遂げるというのである。

暗殺されたために果たせなかったこの龍馬の夢を、後に子孫が北海道に渡ってかなえることになる。

前述、山岳画家・坂本直行。

龍馬の子孫である。直行の祖父・坂本直寛は龍馬の甥にあたる。龍馬の遺志を継いで北見に入り、その後、浦臼に入植し、一族共々北海道の礎となった。

ただ、直行は生涯、一度も龍馬のことを語らなかったという。
あえて語らず、ひたすら農民として、画家として生きた生き様こそ「志」に生きた龍馬の人生に重なる。

何でも思い切ってやってみることですよ。どっちに転んだって人間、野辺の石ころ同様、骨となって一生を終えるのだから...龍馬の声が聞こえる。


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